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僕と祖母が生きた9000日

こんにちは。

今回は祖母シリーズ第二弾でして、祖母と僕の思い出を思い出せるだけ思い出したいと思います。

いわゆる惚気です🤤

前回の記事はこちらになります。

祖母の生きた日数が30,814日なので、僕と生きた年数は約1/3年になりますね。 

祖母とは、僕が小学校に上がるまで同居していたので、約6年間一緒に暮らしていました。

その後は、祖母の家から車で10分かからない家に引っ越しました。

自転車の練習や従兄弟と一緒に遊んだり、料理上手で本当に優しい祖母でしたが、礼儀や作法には厳しく、おばあちゃんの揚げた天ぷらをつまみ食いして怒られ、御近所の方に挨拶をしなかったら怒られ、靴やトイレのスリッパを並べなかったら怒られ、公文の宿題や夏休みの宿題をサボっていたら怒られたりと、本当に沢山の怒られた記憶があります。特に小学生中学年〜中学生時代はそんなおばあちゃんが鬱陶しいと感じて、今思えば後悔があるし、反抗期だったろうなと思っています。

そんな祖母は母の姉の息子(従兄弟)を合わせると、3人の孫がおり、僕はその末っ子でして、従兄弟家族も祖母の家から徒歩5分くらいに住んでいたので、小さい頃はみんな集まっていたので、よく「あんた達は三人兄弟やけんね、仲良くせないかんよ」と言われていました。

幼少期(0-6歳)の時は、オムツもばぁちゃんが変えてくれてたそうで、つい最近までその話をされていました。笑

よく覚えてたな、忘れてくれ。笑

後は1番上の従兄弟が小学生の時までは3人で遊ぶ事が多かったので、ばあちゃんの作るおにぎりを3人で食べたり、買い物に連れて行って貰ったら、外食の時は孫だけ先に食べて、おばあちゃんがその後孫3人を連れて外で遊んでくれたり、みんなでお花見したりしていました。

小中学生時代、最初の頃は餅つきも恒例行事として、12月か1月にしていた記憶があります。

確か冬休みだったと思うけど、その時1番上の従兄弟は中学生だった事もあり、中々会えなかったので、みんなに会えるのが凄く楽しみでした。

6月になるとおばあちゃんの家の花壇には菖蒲(しょうぶ)の花が咲きとても綺麗でした。そしてこの菖蒲を学校に持って行ってましたね。

菖蒲についてはこちら

また小学生時代は、夏休みや冬休みは両親が共働きだった事もあり、日中は祖母の家に預けられていました。

お昼になるとご飯を作ってくれて、ばぁちゃんの作る炒飯は大好きでした。その炒飯を食べて少し休憩し、15時になると僕は公文に行き、公文が終わったら、祖母の母(曾祖母)の入院する病院にお見舞いに行き、その帰りに近くのスーパーで買い物をするのが常でした。

毎週末は病院に行っていました。

中学生に上がるとあまり話さなくなり、僕も最低限しかおばあちゃんの家には行かなくなりました。これは単純に塾とスイミングに通っていた+学校の宿題で忙しかったんです。

2-3歳から始めた水泳ですが、たった一回だけ近所で大きな試合が開催されるという事で、ばぁちゃんが僕の試合を見に来てくれた事がありました。

そして僕はその試合で最初で最後のメダルを取る事が出来ました。

ばぁちゃんには晴れ姿を見せる事ができて良かったなぁ。笑

中学生の時、市の弁論大会で表彰された事があり、その時の切り抜き記事は僕が大学生くらいまで、ばぁちゃんの冷蔵庫に貼っていました笑

高校生になると、僕が実家を離れ、高校の寮に入ったので、お盆と正月にしか顔を出さなくなり、大学生になると、更に話した記憶がありません。

社会人になり、僕が上京したことで、祖母と話す機会も減りましたが、育ててくれた祖母にはお礼をしたかったので、初任給で、九谷焼と静岡茶、感謝の手紙を実家に送り、母から祖母に手渡して貰いました。

この手紙がばぁちゃんは嬉しかったらしく、帰った時に聞いた話ですが、近所のおばちゃん達や自分の兄弟に「まるが書いてくれた、暗記するまで読んだ」と嬉しく話していたそうです。

これを聞いた時は嬉しかったなぁ。

手紙の内容は下記です。

おばあちゃんへ
お久しぶりです。元気に過ごしていますか?
今まで言う機会がなかったけど、24年間育ててくれて、見守ってくれてありがとう。
小さい頃から頂いた沢山の愛情とお小遣いと迷惑をかけた事からすれば米粒程だけど、初任給で買った物なので是非使って下さい。
おばあちゃんには小さい頃沢山怒られたね。
でも自転車を買ってくれたり、従兄弟のみんなと遊んでくれたり、公文の帰りにお菓子をくれたりと沢山優しくしてもらいました。
おばあちゃんの作るしそご飯、炒飯、天ぷら、唐揚げ、オムレツ、ポテトサラダは誰が作るのより1番大好きです。
厳しかったけど、優しくて料理の上手なおばぁちゃんが大好きです。
改めて本当にありがとう。
これからも体には気を付けて長生きして下さい。

これが僕が祖母に書いた最初で最後の手紙です。

おばあちゃんと生きた9000日、如何でしたか?

僕自身、こんなにも思い出があったんだなと、おばあちゃんっ子だったんだなとしみじみしています。

次回は、そんなおばぁちゃんと別れを告げたお通夜・お葬式についてです。

それではまた。







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