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東京で自分を生きるサラリーマン

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最近の記事

1周忌を迎えて

こんにちは!まるです。 2022年5月9日、無事に祖母の一周忌を迎える事が出来ました。 GW明けの日にちのため私は法要に参加する事が出来ませんでしたが、GWには帰省する事ができたので、そのタイミングでお墓参りをしてきました。 思うとこの1年はあっという間に過ぎて、この1年ほど家族について考えたことはありませんでした。 そして数えきれないほどに "ばぁちゃんに会いたい" と思いました。 亡くなって2週間は明るい時に外に出るのも嫌で仕事にも行けず、仕事に復帰したのは5月末

    • 卒業式の思い出

      皆さんこんにちは。 今日は卒業式を懐かしんでいこうと思います。 人それぞれ卒業式の思い出があると思うのですが、皆さんは小中高大(専)など、どんな卒業式を過ごされてきましたか? 人の卒業式、興味があるので是非聞かせて下さい! 1.小学校の卒業式HRが終わって担任の先生に1人一輪花を手渡す時のこと。 みんなが先生に一言伝え手渡す時に泣いていて、 「え、みんな泣くの?なんで?笑」 と思いながらも、流れ的に"ここは泣かないといけないのかな..."と思い、涙した所言葉に詰

      • ばぁちゃんのお小遣い

        みなさんこんにちは。 年を越したのも束の間、もう12ヶ月の1ヶ月が終わりかけていますね。 今日は「ばぁちゃんからのお小遣い」について書いていきます。 過去にnoteを読んで下さった方がある方はご存知と思いますが、昨年5月祖母が亡くなりました。 5歳まで一緒に暮らしていた祖母でしたので、一人っ子の私にとっては母親のような祖母でした。 そして言葉では表せないほどに悲しみ、私は人生で1番涙しました。 祖母が亡くなり260日ほど過ぎましたが、私はこれからも祖母との思い出を

        • 17歳少年の刺傷事件に思うこと。

          みなさんこんばんは。 本日は大学入学試験の共通テストの日でしたね。 まずは高校生の皆さん、本当にお疲れ様でした。 今日くらいは自分を甘やかしてゆっくりしてね。 一方で東京大学会場では、耳を疑う信じられない悲劇が起きましたね。 17歳少年による無差別刺傷事件。 犯行理由は「勉強がうまくいかなかったから、事件を起こして自分も死のうと思った。」 被害者は、受験生と見られる2名と同伴者と見られる大人の男性の方。 この事件から私が感じた事を3つのテーマに分けて、を綴ろう

        1周忌を迎えて

          実家に帰り思うこと

          こんばんは。 すっかり年の瀬です。 皆さん2021年でしたでしょうか。 さて1週間ほど田舎の実家に帰省している25歳港区サラリーマンが、毎回帰省して思うことを綴ろうと思います。 恵まれてる。僕は幸せすぎるほど恵まれている。何不自由なく育ててくれた両親には心から感謝しています。ただ一方で、 幸せに溺れる自分が怖い。幸せが続くことが恐ろしい。と思うのです。 "幸せが続くことが怖い" これは15歳の頃からひそかーーーーに考えていました。きっかけは小学生の頃です。 (

          実家に帰り思うこと

          百箇日を過ぎたいま

          祖母が亡くなり100日が過ぎました。 百箇日の法要がお盆にあたった事もあり、百箇日の法要に参加できて嬉しかったです。 僕と祖母のことはこちらに書いています。 100日以上過ぎた今、当時書ききれなかったこと、今のことを残しておこうと思います。 1.お悔やみ、お葬式、火葬の時この3日間で僕はタバコを50本吸いました笑  (きっとよく吸うやつだなぁと思われていたんだろうな笑) 安心して下さい。ほぼふかしです。笑 元々吸っており喘息のため禁煙し成功していたのですが、まさか

          百箇日を過ぎたいま

          とめどなく溢れる涙

          今回は祖母シリーズ第3弾。 祖母の訃報を聞いた時の心境、そしてお通夜とお葬式の日の僕の心境について綴ります。 前回の記事はこちらから。 10(月)の朝8:40頃、母から社用の携帯に「私用のLINEを見て欲しい」と連絡があり、そこに祖母の訃報が書かれていました。 当然出勤していたので、上司に旨を伝え、僕は一度アパートに戻り、身支度を済ませ実家へ帰りました。 実家までは電車や飛行機を乗り継ぎ6時間近くかかりました。 この時はまだ亡くなった実感もなく、ただ早く帰りたいと

          とめどなく溢れる涙

          僕と祖母が生きた9000日

          こんにちは。 今回は祖母シリーズ第二弾でして、祖母と僕の思い出を思い出せるだけ思い出したいと思います。 いわゆる惚気です🤤前回の記事はこちらになります。 祖母の生きた日数が30,814日なので、僕と生きた年数は約1/3年になりますね。  祖母とは、僕が小学校に上がるまで同居していたので、約6年間一緒に暮らしていました。 その後は、祖母の家から車で10分かからない家に引っ越しました。 自転車の練習や従兄弟と一緒に遊んだり、料理上手で本当に優しい祖母でしたが、礼儀や作

          僕と祖母が生きた9000日

          祖母の生きた30,814日

          2021年5月9日、祖母が84歳で永眠しました。大好きな大好きなおばあちゃんでした。葬式が終わり3日経ちますが、祖母のことを考えると未だに涙が溢れてきます。自分でもこんなに大好きだったんだなと実感している中、この気持ちを書き留めておきたいと思い、今回全5回に渡り祖母への気持ちを綴ります。 今回はまず1回目、祖母の生きた84年間の日本・世界の歴史を問わず簡単に振り返っていきたいと思います。 1936年(祖母1歳) 二・二六事件 第12回オリンピックの開催地が東京都に決定

          祖母の生きた30,814日