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百箇日を過ぎたいま

祖母が亡くなり100日が過ぎました。

百箇日の法要がお盆にあたった事もあり、百箇日の法要に参加できて嬉しかったです。

僕と祖母のことはこちらに書いています。

100日以上過ぎた今、当時書ききれなかったこと、今のことを残しておこうと思います。

1.お悔やみ、お葬式、火葬の時

この3日間で僕はタバコを50本吸いました笑 
(きっとよく吸うやつだなぁと思われていたんだろうな笑)

安心して下さい。ほぼふかしです。笑

元々吸っており喘息のため禁煙し成功していたのですが、まさか50本も吸うとは...(苦笑)

悲しい感情を落ち着かせるため、時間があればタバコを口にし、溜息混じりに吸っていました。
祖母はタバコが嫌いな人だったので、祖母の家では吸いませんでしたが、斎場や火葬場では沢山吸いました。

その時の僕はタバコに救われていました。

タバコを吸うことで頭の中を整理し気持ちを落ち着かせながら祖母との思い出を振り返り、悲しみに向き合っていました。
タバコを吸っていない時はほぼ泣いていたので、まるで子供の"おしゃぶり"です。笑

1番上のお兄ちゃんがタバコを吸ってる事をこの時に知り、よく兄ちゃんが「タバコ行くか?」と誘ってくれたのでちょいちょい2人で話ながら吸っていました。
お兄ちゃんと仕事の話をするようになるなんて、僕も大人になったんだなぁと嬉しかったのを覚えています。

50本吸ったタバコの中で1番記憶にあるのは、山奥にある火葬場の外で景色を見ながら吸ったタバコ。

ここで火葬されている1時間40分位で10本以上は吸ったと思います。
僕がタバコを吸うスピードは1本約10分なので、殆どの時間吸っていたことになりますね笑

とにかく1人でいたかったので、親族たちが集まる控室には戻らず、1人外に出てタバコを吸っていました。

今は火葬される煙が環境の悪因になる事で、煙が空にのぼらないつくりになっているそうで、祖母が天にあがる様子を見れなかったのが残念でした。
その間、僕に気を遣ってくれてたのか従兄弟のお父さんや1番上の兄ちゃんが来てくれて、タバコを吸いながら仕事の話をしていました。

「お前はモテるぞ。ここまで頑張り屋さんとは知らんかった。よく表現出来る子やったんやな。」

「もう福岡戻ってこい。安心させてあげろ。」

心に残った言葉なので書き残しておきます。
兄ちゃんと話した時、「充電ないけん一本貰ってい?」と言われ渡した一本が僕の最後のタバコでした。

最後一本吸って戻ろうとしたら僕のIQOSが充電切れで吸えず、「僕らしいなぁ」と声に出して少し笑ったのを覚えています。

時間は前後しますが、お葬式の始まる前。

斎場の方が、「弔辞を読まれる◯◯さんはどちらですか?」と言われ、弔辞の段取り説明の時。

僕は夜も寝ず泣きながら弔辞を書き、少し疲れていたんですね。説明の時フラフラだったのを覚えています。説明が右から左で返事も生返事にして、頭に入りませんでした。

よく頑張った自分。笑

2.東京に戻った2週間

東京に戻ったあと僕は仕事に復帰できませんでした。
外に出て陽にあたりたくなかったし、人と話したくなかったんです。

2週間引きこもっていました。

毎朝会社に連絡し、後はぼーっと過ごしていました。その間祖母のことを思い出しては泣いていました。


立ち直るきっかけは簡単なもので人事の方から言われた「いつまでもそのままでいても何も変わらないよ」と言われたことです。
この言葉を言われた翌日から僕は出社しました。

それからは忙しさに追われる中で、少しずつ悲しさを和らげていきました。

3.お盆に帰省した期間

6月末に航空券を取り、それから帰省を楽しみに生きていました。(気が早い笑)

祖母の姉妹、親戚、家族に、とらやの羊羹や資生堂パーラーを手土産にお盆は帰省しました。
親戚の方たちから、「よう帰ってきたねぇ」と言ってもらい、お土産も喜んでくれて嬉しかったです。

祖母にも手を合わせ、法要にも参加出来た事でだいぶ心が軽くなったのを覚えています。
お盆期間はほぼ毎日祖母の家に行きました。

そして今。

祖母が「世のため、人のために生き、人を幸せにして幸せに生きなさい。」と言われたことを時折思い出し、僕は今も生きています。

今回はこれで終わりです。

拙い文ですが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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