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とめどなく溢れる涙

今回は祖母シリーズ第3弾。

祖母の訃報を聞いた時の心境、そしてお通夜とお葬式の日の僕の心境について綴ります。

前回の記事はこちらから。

10(月)の朝8:40頃、母から社用の携帯に「私用のLINEを見て欲しい」と連絡があり、そこに祖母の訃報が書かれていました。

当然出勤していたので、上司に旨を伝え、僕は一度アパートに戻り、身支度を済ませ実家へ帰りました。

実家までは電車や飛行機を乗り継ぎ6時間近くかかりました。

この時はまだ亡くなった実感もなく、ただ早く帰りたいと思っていました。

祖母の家に行くと、棺に納められた祖母の姿を見て、祖母の死を実感し涙が止まりませんでした。

そして亡くなる前の状況を聞きました。

翌日、夕方からお通夜だったので、朝から祖母の家に行き親戚と色々な話をして、従兄弟の兄ちゃん達にも再会しました。その中でお葬式の段取りの説明もあり、「弔辞を誰かに読んで欲しい」と話があり、僕は自らやりますと言いました。せめて最後にお別れの挨拶をして送り出したい、この思いだけでした。

夕方になり斎場に移動すると、祭壇に並べられた遺影や花、そして棺に眠るばぁちゃんを見るとより死を実感し涙が出てきたので、僕は受付に回りました。

お通夜も終わり、ご飯も少し食べ、親戚一同でおばあちゃんとの思い出話に花を咲かせました。深夜2時前、みんな寝始めたので、僕は泊まる部屋を抜け、弔辞の文章を考えていました。そして、今夜がばぁちゃんと過ごす最後の夜。ずっと一緒に居たいと思ったからこそ、寝ないことを決めていました。

弔辞を考えながら祖母の眠る棺を見ると涙が止まりませんでした。

「ばぁちゃん、本当にありがとう。お世話かけたね。大好きやけんね。大好きやけんね。」

そう言いながら僕は30分以上、1人で泣き続けました。

そして、1番上のお兄ちゃんが来たのを察し、僕はその場を離れると、お兄ちゃんが涙をすする音が聞こえてきました。お兄ちゃんは僕ら下がいる前では決して泣かなかったので、その時初めて涙をすする声も聞きました。兄ちゃんも辛かったよね、と思うとまた涙が出てきました。

1人でノートにおばあちゃんとの思い出を振り返りながら、ペンを走らせた祖母との最後の夜。

この夜は一生忘れない。

朝の5時頃、泣きながらも弔辞を完成させ、1時間だけ寝ました。

そしてまた祖母の所に行き、また泣いて。

9時になると斎場の方が出勤されてきたので、今日の流れを聞き、13時からお葬式でした。

コロナの影響と、祖母が派手なことは嫌いだった事もあり、家族葬で行いました。

お葬式が始まる前から僕はボロ泣きでした。

その笑顔にその涙にそのひたむきな想いに
触れたかった心から
いとしき日々よサヨナラは言わないで
貴方に会いたくてもう一度会いたくて
届くまで叫び続ける
忘れはしないこの体が消えても
貴方に吹く風よ貴方に咲く花よ
貴方と追いかけた明日よまた会いたくて

晴れ渡る日も雨の日も浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせてもさみしくて恋しくて
君への想い涙そうそう
会いたくて会いたくて
君への想い涙そうそう

そんな事を想いながら、僕は弔辞を読みました。

祖母◯◯の葬儀にあたり、ここに謹んで、哀悼の辞を述べさせて頂きます。
僕は生前の元気な祖母の姿しか思い浮かばないので、霊前にたった今も突然の訃報が信じられません。
ばぁちゃんには優しくも厳しい愛を沢山頂き、育ててもらいました。
そんなばぁちゃんは、孫の従兄弟3人の事を「3人兄弟やけんね」と話し、僕ら3人は何をするにも一緒でした。
1番上のお兄ちゃんがする事を全て僕らはしてきました。
そしておばあちゃんの握る美味しいおにぎりを食べて、僕ら3人は大きく育ちました。
おばあちゃんは僕が小さい頃、"泣き虫◯ちゃん"って呼んでたよね。
礼儀作法には特に厳しく、僕は怒られる度に泣いていましたが、社会人になった今、おばあちゃんの教えが身にしみている事で、僕はどこに行っても恥ずかしくありません。おばあちゃんのおかげです。
今は本当に寂しいけれど、おばあちゃんとの思い出を胸に、これからは上を向いて前を向いて、一生懸命生きていきます。
これからはみんなのことを空の上から温かく見守って下さい。
孫3人を代表して、おばあちゃんから頂いた溢れんばかりの愛情を振り返りつつ、お別れの言葉とさせて頂きます。
安らかにお休み下さい。
おばあちゃん、本当にありがとう。
大好きだよ。
令和三年 五月一二日

弔辞を読み終え、出棺の時。

母も泣き崩れていました。あんなに泣いた姿の母を見るのは初めてでした。孫3人で「おばあちゃん、本当にありがとう」と伝え、棺には沢山の花を添え、僕の弔辞も入れ、最後冷たくなったほっぺにも触り、祖母は出棺されました。

火葬場に着き、告別室で最後の別れを伝えました。

もう散々泣き、伝えたい事も沢山伝えたけれど、まだ足りない。それでも最後は一言で。

「おばあちゃん、本当にお世話になりました。大好きだよ」

骨になった祖母の遺骨を拾い、納骨し、終わりました。

この日の夜は、泣きすぎて目が痛くてたまりませんでした。

おばあちゃん、本当にありがとう。

おばあちゃんのいない世界で僕は強く生きます。

おじいちゃんと35年振りに再会して、いっぱい仲良くしててね。

60年後位になると思うけど、またそっちで会おうね。

大好きだよ。

人生でこんなにも涙を流した日はありません。

涙は枯れない。自然と出てくるもの。

そう感じた2日間でした。



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