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魂アート=生(き)の芸術?

メタバースの表現者は皆、美しい。と(いつものように)アール・ブリュットやファントムセンスを持ち出して、あーだこーだ話。

昨夜は難病の手術を終えて、無事にかえってきたノワールさんの”弾くのが楽しくて仕方がない!”と伝わってくるメタバース、cluster上の復活ステージ(#ノワール復活祭)そして、それをサポートしたり暖かく見守る方々の姿を遠くから?拝見しながら。こうした時間を共有させていただける事を嬉しく感じた。

週末の学会でも、ずっとプロのダンサーをしていたもののトレーニングのしすぎで身体を壊し、それでもリハビリを続けながら今度はVRダンサーとして新たなキャリアを築こうと頑張っている女性の様子を発表させていただこうと、対話を重ねていますが。

こうした「何かしらのアクシデント」で、これまでのキャリアに身体的な制約や制限ができてしまった方々が「自身の意思や、周囲のあたたかいサポートによって」頑張っている姿は本当にリスペクトを覚えるし、心から”美しく”思う。

美術で「アール・ブリュット」という「アカデミックな美術教育を受けていない人が、湧き上がる衝動に従って制作するアート」を総称する言葉があって、なんとなく国内では「障がい者アートのみに使用される」ことが多い気もしますが。

私にとっては「教育を受けていない」「障害を抱える」云々といった、定義づけやフィルター【そこではなく】

より、本来的なフランス語「brut」=加工されていない”生のまま、自然のまま”「生(き)の芸術」という意味で、メタバースにおける表現者たちのデジタル空間のアバターを介した、それぞれの「魂の表現」も充分に該当するのではないか。とも考えている。

なぜなら。私には”魂の輝き”が例え外見やエフェクト、様々に「デジタルで計算された世界」であったとしても、それすら超えて、モニター越しに「確実に伝わってくる【説明できない何か】があると確信しているからだ。

・・非論理的かもしれませんが。これも、バーチャル美少女ねむさんのいう"本来感じるはずのない感覚"「VR感覚(ファントムセンス)かもしれない?知らんけど。

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