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さよならルッキズム
メタバースを始めたことをきっかけに、ルッキズムから解放された私が感じていること。
昨夜も3回目となる仮想空間、メタバースでの読書会を一度もリアルで会ったことはない(会う予定もない)『横浜読書会』の方々とコラボ開催していたのですが。
物理法則等に縛られない「メタバース」というSF的別世界の「新しい可能性」(今も一番注目されている部分でもある)に気づいて興奮していた当初の段階から、良くも悪くもメタバースでの活動も1年を過ぎて、これまで積み重ねてきた「リアル」での経験を【地続きに「メタバースに還元」】するかのような活動になりつつある。
良い意味だけで言えば、それはお祭り的な非日常から「バランスよい日常」に取り込めつつある感覚で私には丁度いいし。
また、メタバースを始め、アバターという新たな肉体を得たことをきっかけに、SNSでほとほと嫌悪感を覚えていた1970年代に誕生し、WEBによって如実に顕在化している”主に人間が、視覚により外見でその価値をつける”「ルッキズム」(外見至上主義)的な価値観やプレッシャーから【すっかりおさらば】できていて。精神衛生上、こちらがとても心地よい。
具体的には、別に過去画像を削除したりはしないし、ブランディングを意識して隠しているわけでもないけれど(笑)メタバースを始めてから意識的に【リアルワールドの自分の姿、肉体】をWEB上にアップするのを極力避けるようになりました(『仕方ない』時は別話)
まあ、もともと自分の外見に特段な興味もないし、なので自撮りノリとか嫌いだし。でも一応の「代表」として「姿を出しておいた方が信頼補完になるのかなあ」と消極的にこれまでも写真に『協力や記録』として写っていただけなので。メタバースで【アバターの姿で想像以上に自由に活動できるようになって】"もういいかなあ"と移行するのは自分の中ではとても自然な流れなのですが・・
そして、そのリアルワールドの『80%視覚に頼る』世界から、主に音声、言霊や聴覚に頼る心地よい世界がメインとなることで。いわゆる【『魂』コミュニケーション】ルッキズム、外見や性別、人種や国籍とかに縛られない「匿名での豊かな関係性」がゼロから新しく、そして丁寧に生まれていることにワクワクしている。
何度か過去にも書きましたが。リアルで面識や関係性がある人とは「別に」私はメタバースを「一人で始めた」ので。今のメタバースの関係性は過去に面識はなく、すべてゼロから【メタバースで互いにアバターの姿で出会って”はじめまして”から始まっています】
まだ1年、されど1年。そんなリアルでの匿名性が担保され、それでも生まれている関係性を経て、一度もあっていなくても、例えリアルでの"情報”を何も知らなくても「友人」と(少なくとも私自身は)思える方々が増えてきていることに、いまの私は感謝と手応えを覚えているのです。
うまく言葉にできないけど、個人的な備忘録。そして、あらためて【さよならルッキズム】