別れと出会い(2014-2015)
マンションの屋上で大真面目に参加者全員で宇宙人を呼ぶ「そうだ 宇宙人、よぼう」とんかつを料理する音に合わせながら即興で音楽を奏でる「とんかつとDJ」など文字通り”わざわざその為に施設を借りるほどでもなく”一方で”もし借りるとしたら許可をとるのが実は難しい”「自宅だからこそできるイベント」に夢中になって挑戦する日々がしばらく続く。(でも?なぜかその事でNHKの番組に出る事にもなった)
とてもバカバカしくも楽しい時間。間違いなく僕自身も楽しんでいたが、今振り返ると、プライベートでは看護の甲斐なく実の父親を始めとして、次々と親しい親族達と死別する日々が重なっていたこの時期は、何かしら心にぽっかりと穴が空いたような、そんな喪失感を埋めるの為に必要な時間になっていたのかもしれない。
そんなある日、待ち合わせの時間まで余裕があった僕は時間潰しも兼ねて本屋でぼんやりと立ち読みをしていた。その時に偶然に視界に入ったのが「元オウム真理教」の”アーチャリー”こと松本麗華氏による「止まった時計」だった。
”オウム真理教か、懐かしいな。そういえば当時テレビでみたこの人、今は何をしてるのだろう?”
1995年に起きた地下鉄サリン事件当時に大学生だった事もあり、同時代的な感慨もあり単なる興味本位で手にとった、この「止まった時計」にしかし気づけば引き込まれていた。なぜなら、この手記には松本麗華氏から父への想いが、決してうまくはない文章で、でもだからこその誠実さを感じる文章で書かれていたからだ。そして僕自身もその時に父を亡くし喪失感を抱えていたからこそ、直観的に感じた。”ああ、この人は「元オウム真理教」ではなく「娘」として父親の事を誰かに話したいのだな”と感じた。
でも「だとしても」それは一連の事件で傷ついた人達の事を考えると「難しいだろうな」とも思った、僕自身が仮にどこかの「公的な施設の人」なら、被害者感情に配慮して許可は出せないだろうとも思った。
”なら「住み開き」として「自宅」を開放し続けている自分ならどうだ?”思考の続きが予想外のブーメランになって自分への問いかけとして戻ってきた。”それに「自宅だからこそできるイベント」って、単純に今している楽しいことだけか?忘れそうになっていたけれど東日本大震災後の行動として「日常避難所」を「住み開き」で始めた僕はこうした「困っている人」の力になる為に始めたのではなかったのか?”
気づけば、本の最後に記されていたブログのアドレスから彼女に、しかし「それほど返事は期待せず」にメールを送っていた。”もし誰かに本の話をする機会を持ちたいのなら、うち(住み開き511)ならお引き受けできますよ”と。すると程なくして、まさかの返信が来た”ぜひ、よろしくお願いします”と。びっくりした。とはいえ、自分からメールしたにも関わらず、返事を受け取って、正直に言えば「怖かった」
メールを送った後から、周囲の人に相談したり、自分なりにネットに掲載されている情報を検索した「その時の結論」として「面識のない」彼女の事を100%確証をもって信用する事ができなかったからだ。最悪な場合、もしかしたら僕は「邪悪な宗教組織の布教活動」の片棒を「自分から」担ぎにいってるかもしれない(実際にそうだ。と友人にも警告された)そんな事すら考えたからだ。でも、やっぱり最後は「住み開き511」でこれまで貫いて来た、たとえ初対面の人でも「無条件の善意で相手に向き合い続ける事」その数年間で得た「自分の直感」を信じる事にした。
そして完全非公開で「住み開き511」で開催した松本麗華氏による「止まった時計」出版記念トークイベントが無事に終了し、その後は、彼女の希望で「普通の飲み会」を何人かの僕の友人、そして、彼女の知人の元オウム真理教信者の方々と一緒にテーブルを囲んで行った。社会では「悪とされる」そして罪のない人々を傷つけた事は「間違いのない」オウム真理教。だけど、それは「別にして」松本麗華氏が元信者の方達とまるで同窓会のように昔の事を懐かしそうに話す姿を少し離れて眺めながら「この機会をつくって良かった」と心から思った。
同時に、このイベントを開催した事で初めて「新たに知った事」があった。関心をもってくれるのでは?と「若者の再出発」や「社会的弱者の救済」に取り組むNPO団体や宗教関係者に連絡をとる中で、一部の方から「会いたくもない。ましてや話など聞きたくない」「一体何を企んでいるのか?」などの否定的な反応をもらった事だ。(勝手に僕を”元オウム真理教信者”と決めつけたり、疑ってくる人がいた事には驚きを通り越して、ぽかんとした)その事で僕の中で起きた気持ちは”え?あなた達の日頃言っている「若者の再出発」や「社会的弱者の救済」に元オウム真理教信者や松本麗華氏は含まれないのか?”と言う関係者に対する素直に、そして失望を交えた驚きと「不信」。そして”松本麗華氏、そして元オウム真理教信者の人たちはこうした(自分も含めて)「一方的な悪意」とずっと長年にわたって向き合わされてきたんだろうな”という僕なりの理解と「謝罪」だった。
この時まで僕は全然「知らなかった」から。いい年をした大人なのに見ているようで何も「見ていなかった」から。
そして「元オウム真理教」の松本麗華氏は、この後に僕にとっては「松本麗華さん」(元オウム真理教)という存在となった。つまり、過去のことは「別として」このイベントを通じて”一生懸命に生きている、父親想いの一女性”という、新たな気づきをくれた事に僕が感謝する「大切な友人」の一人となったのだ。
この経験が大きなきっかけとなり「住み開き511」は「自宅だからこそできるイベント」として「面白おかしい事」だけでなく、この当時話題となっていた安保法案に反対する学生運動「SEALs」関西や福島原発から避難した主婦の会の集まりといった真剣に考え「発言し、行動しているのに、遠巻きにされたり、無視される」あるいは「公共施設や民間のスペースでは理由を作られて断られる」そんな方達にも「自分自身の責任と判断で」積極的に”場所を貸す”ようになった。
あらためて、一方的に決めつけて「良いか悪いかを勝手に判断する」のではなく、まずはその前に「相手と向き合って、話をちゃんと聴く」その事が全てにおいて必要だと思ったからだ。
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