理想的な日々
週末なんで最近の日常、私にとっての「理想的な隠居話」という役に立たない話をしてみたよ。
半生を振り返ると、子供の頃から「理想の隠居生活」を目指して、社会の様々と折り合いをつけてきた気がするのですが。
誰か有名人や注目の人の集まりにも「すっかり行かなくなり」また知らない人の前に出て拙い「話をすることもなくなった」現在。そういった華やかな場面に参加したり、注目される事自体がいつまでも大好きで大切な方からは「すっかり忘れ去られた、見えなくなっている」透明人間なんだろうなあと思う最近。
ただ、そのことを寂しく感じたり、衰えを感じているかと言えば。むしろ逆で。ようやくと「色々なしがらみ」や「期待される役割」から解放されて、前述した子供の時の夢「理想的な隠居生活」を早々に達成、充実した日々をエンジョイしている気がしている。(ファイヤー話?とは違う)
若い時は”みえていなかった”季節や自然の移り変わりを眺めたり、感じながら。本の中の登場人物たちと静かに「時間や歴史を超えて対話しつつ」一方で都会の一等地にある”怪しいお店”に社会から迷い込んでしまった方に「気まぐれに背中をおすような話をしたり」バーチャル空間では喋る珍獣として「自己流で授業をしたり」と日々、色々な人とも実際に話をしている。具体的にはそんな感じ。
ありがたい日々だと隠居の私は感じています。
お金や財産、地位や名誉、賞状といったものとは「残念ながら」必然的に無縁なままの半生で、これからも多分にそのままですが(笑)。私にとって必要なものは「すべて揃っている」理想的な日々だと感じています。
「働かされる」のは本当に嫌だけれど。今、目の前にいる近く「傍」(はた)にいる人くらいには恩返し『はたを楽に』できていたらいいなあ。良い影響を与えられていたらいいなあと思う。