arigato
「ありがとう」きちんと言えてますか?
感謝を表す言葉「ありがとう」
大人になってもなお、素直に言えない方いますか?
気恥ずかしくて言えないや。お気持ちよくよく分かります。僕も同じ。
背中で語る方が男は格好いいなんて勘違いしちゃってる。
「知る者は言わず、言うものは知らず」「言わぬが花」「能ある鷹は爪を隠す」なんて言葉もあるように、口数少ない方が貫禄もあるし、美徳とされている…のは言いように伝えられているだけで、どんな方でも自分の意見は分かりやすく簡潔にはっきりと主張できた方が自分にとっても相手にとってもきっといいのでしょう。
語らずで気持ち伝わります?体現せずに気持ちを伝えられていますか?
言葉で伝える勇気。そもそも感謝を伝えるという意味の重要性。
改めて考えてみたことありますか?
「ありがとう」そもそも語源は仏教にあるとされています。梁塵秘抄、新古今和歌集、小倉百人一首にも出てくる「盲亀浮木のたとえ」が由来のよう。
どんな話かと言いますと
ある時、お釈迦様は
お弟子さん(阿難)に「そなたは人間に生まれたことをどう思うか」と尋ねる。
お弟子さんは「大変喜んでおります。」と答える。
お釈迦様はさらに「どのくらい喜んでいるか」と尋ねます。
お弟子さんはどう伝えようかと困っていると
お釈迦様は「では、人間に生まれることはどれほど有難いか、たとえをもって教えよう」と「盲亀浮木」をお話されたよう。
「たとえば太平洋のような広い海に目の見えない亀がいる。その目の見えない盲亀が、百年に一度、海に顔を出す。広い海には一本の丸太が浮いている。その浮木の真ん中には小さな穴が開いている。」「阿難よ、100年に一度浮かび上がるこの亀が、波のまにまに、風のまにまに東へ西へ南へ北へと漂う丸太の穴に、頭を入れることがあると思うか?」
『お釈迦様、残念ながら、それは到底ありえません。』
「では絶対にないと言い切れるか?」
『絶対にないかと言われれば、何億年、何兆年、幾億兆年の間には、ひょっと顔を出すことがあるかもしれませんが、ないといってもいい位に困難なことです。』
「よいか、阿難よ。私達が人間に生まれることは、この盲亀が、浮木の穴に頭を入れることがあるよりも、難しいことなのだ、ありがたいことなのだよ」とお話されました。
ありがたい。有り難い。有ることが難しい。つまりは滅多にないこと。それがありがとうの語源なのです。自らのために生きている欲や煩悩の塊である人間が、他者に親切をする、人のために尽くす、恩義を図る。これは珍しいこと。滅多にないことなのです。
ありがとう。は生の言葉。人が人である。人として生まれることの感謝の言葉。一つ一つの出来事、事象に対して、当り前だと思わずに、しっかりと噛みしめながら実感していく。その一つがありがとう感謝を述べるになるのかな。神や仏を賞賛し、感謝を述べる。なんて奥ゆかしき日本語。
も一つ、ポルトガル語の「オブリガード(obrigado)」が語源であるとも言われています。ですが、ポルトガル語が日本に伝わったのは16世紀で、「ありがとう」はその前からあったよう。その前の感謝の言葉は「かたじけない」だったよう。
海外のありがとう例えば英語の「サンキュー(Thank you)」なんかは「私はあなたに感謝する」ですよね。スペインのグラシアス、フランス語のメルシー、あとはグラッチェ、ダンケシェーン、シェイシェイも同意。
ありがとうは違います。人を介して、神や仏に感謝を伝えている。この方がこんなことをしてくれた。この場を築いてくれた神様ありがとう。毎日毎日日が昇って、日が落ちて、息をしていて、水道捻れば水が出る。そういった日常が「当たり前」ではなく「ありがとう」と思えると、見えているものも少しは変わって見えてくるのでは。人生が豊かになってくるのでは。
僕自身、なかなか言えない「ありがとう」ですが、改めて意味に触れ、感謝を伝える習慣をきちんと付けようと思いました。そして子どもや関わる全ての人にも「ありがとう」の重要性を共有できたら…
さぁ何する?どうする?
サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!