言葉の重み
言葉って重たい
物体としてじゃなくて
価値や意味の話
言霊って言葉があるように
発したり綴ったり
言葉はヒトから出ると命を宿す
責任なのかな。説得力なのかな。
威厳や歴史、成果なのかもしれない。
これが厚みや重みになるのかな。
ありがとうの必要性
ごめんなさいの重要性
さよならの向こう側
何億光年 輝く星にも 寿命があると
教えてくれたのは あなたでした
季節ごとに咲く一輪の花に 無限の命
知らせてくれたのも あなたでした
あ。ごめんなさい。ふざけました。
こういう軽いノリだったり
適当なことをいうのは
言葉の重みを理解してない証拠だ。
そんな奴が言葉の重みを書き記す。
時間がありましたら読んでやって下さい…。
文字と言葉では伝わり方も変わってくる。
悲しいかな
言葉では全てを伝えきれない
文字だけでも全ては難しい
どちらも合わせて行っても、なかなか。
Noteで書き綴る作業をしてきた中で
こんなにも言葉に向き合うことになるとは
思ってもみなかった
他の方の表現力に圧倒したり脱帽したり
時には腹を抱えて笑ったり、
時にはひっそり泣いて
知らない事実を学んだり
新たな物事を捉え方を知ったり
コメントによる楽しみも知れた。
でも、悲しいかな。全ては理解しきれていない。
表現する100%は汲み取れないし
そこは僕の能力の足りなさなんだろうと思う。
コメントを残し、リアクションすることで
筆者のモチベーションも影響されるが
それによる辛さや葛藤もあるんだろうな。
僕はまだそこには至っていない。
そのレベルには達していない。
Noteが上手く活用できているのか。
そんなことはよくわからない。
現状は過去かじっていた
mixiや前略プロフと大差ない。
使い方で言うと、
ツイッターやインスタとも大差ない。
ここ数日は
ちょっくら弱気になってしまいましたが
休憩も挟み、家族とも交流し、ほぼ全回復。
楽しみにしていたフォローさんが
いなくなってしまったことで
関わっていた方々との交流も
少なくなってしまったけど
引き続き頑張っていければと思う。
改めて、
何を目的に どんな意図でNoteをやり続けるのか。
考え、書き綴ることとする。
障がい者福祉に携わり10年
支援の難しさや大変さ
人と関わることの奥深さや虚無感
ああいえばこういうなんてシーンは
何度も何度も経験させていただいたし
怒鳴られたり、泣かれたり、暴言暴力なんてのも
今では結果いい経験として残っている。
色々と学ばせて頂いた。感謝。
人と触れ合うこと
毎度毎度勉強させられる。
日々勉強常々精進精神で学ぶ一つ一つを
自らの頭に身体に叩き込むために、
抽象的な内容であろうとも書き記していこう。
コレがスタート時の思い。
僕の書き記す内容は100%正解ではない。
立場によっても見え方捉え方も変わってくる。
成長や加齢によって感じ方も変わってくる。
昔見えていたものが違ってくることもある。
昔話の深読みに関しては
完全に後から出てきた棚ぼた状態。
子どもの絵本を読み聞かせる立場になって
あれ?こんなんだったっけ?とか
これこうしたらいいんじゃないかな。なんて
子どもの時は聞いたまま受け取ってたけど
素直に聞き入れられなくなっちゃったのかな
深読み、深堀りすることが癖になってしまった
こうやって書き残した全てを
今から数年後 見返した時に
nannda kore状態になるやもしれない。
でも自らのために自分の自己満足のために
結局は最終的には
支援する関わる人たちのために
習慣化出来ればと思う。
子どもたちの協力も得ながら
あとから見返しても吐き気100%の仕上がりに
ならないように。続けていければ。
実を結ぶ何かが得られるかな。
そんな気がするのです
たぶん
おわり