昔話に学ぶ《け》
せっかくならさ
僕の住んでいる所の昔話を
岡山にまつわる話を
してみてもいいのでは
そんな思いで調べてみたよ。
岡山にはさ
桃太郎という
超有名
勧善懲悪
ジャパニーズスーパースター物語が
あるからさ
他の物語って霞んじゃって全然残ってない
いやあるのよ
あるんだろうけどさ
調べてもヒットしない
そんな中出てきた
『カエルの坊さん』
おいおい。
なんてかわいらしい名前のお話。
頭の中では
鳥獣戯画のカエルが
お経を唱えているよ。
さっそく内容は以下…
むかしむかし、
ある池の中に、
カエルのお坊さんがいました。
毎日、ハスの葉っぱの上に座って、
「ナムゲロゲロダブツ」
と、お経をあげていました。
とてもすごいお坊さんで、
その日に咲くハスの花の数を数えて、
いくつお葬式があるかを言い当てるのです。
さて、
ある日の朝の事、
池の上にハスの花が五つ咲きました。
(おや、
今日は五つもお葬式があって、忙しくなりそうだ)
と思っていたら、
さっそくモグラのおかみさんがやってきて、
「カエルのお坊さま。主人が亡くなりました」
と、言いました。
「それはお気の毒に。
でも、あんたのご主人はよく働いたから、
立派な仏さまになれるだろう。
ナムゲロゲロダブツ」
と、丁寧にお経をあげてやりました。
するとそこへ、
セミの息子がやってきて、
「カエルのお坊さま。
おやじが亡くなりました。
立派な仏さまになれるよう、
お経をあげてやってください」
と、言いました。
「残念じゃが、そいつは無理じゃな。
夏の間、仕事もせずに歌ば歌っていていて、
立派な仏さまになれるもんか。
まあそれでも、お経だけはあげてやろう」
カエルのお坊さんは、怖い顔で、
「ナムゲロゲロダブツ!」
と、お経をあげました。
セミの息子がガッカリして帰って行くと、
今度はコオロギの家から使いがやってきました。
「カエルのお坊さま。
うちの旦那が、亡くなりました」
「なんと、コオロギの旦那が亡くなったとな。
うーん、
これからはいよいよ、
お前さんたちの季節が来るというのに、
なんとも惜しいのう。
よしよし、立派な仏さまになれるよう、
お経をあげてやろう。
ナムゲロゲロダブツ」
カエルのお坊さんが
一生懸命お経をあげていると、
目の前に緋鯉が顔を出して言いました。
「カエルのお坊さま。
さっき夫が亡くなりました。
どうか立派な仏さまになれるように、
お経をあげてやってください」
「だめだ、だめだ。
夫婦して毎日遊びくらしていたくせに。
・・・でもまあ、お経ぐらいはあげてやるが。
ナムゲロゲロダブツ!」
お経がすむと、カエルのお坊さんがホッとして言いました。
「やれやれ、これで四つのお葬式が終わったぞ。
あと一つはどうなっている?
早く言ってこないかな」
その途端、
池の傍で遊んでいた人間の子どもが
石を投げました。
石はカエルのお坊さんの頭に当たり、
カエルのお坊さんはひっくり返ると、
白いお腹を出して言いました。
「こいつはたまげた。
五つ目のお葬式がわしとは、気がつかなかった。
ナムゲロゲロダブツ」
そしてそのまま、死んでしまったという事です。
おしまい…
なんともまぁ…
ブラックシュールなお話
起承転結もしっかりしていて
お話の構成も上手
話し手は落語家さんかな?
他人の死を言い当てられても
自分のことは分からない
私利私欲には能力は活用できない
そんなことを伝えたかったのかな
いや。ちょっと待てよ。
別にカエルの坊さんは
私利私欲に使おうともしていなかった
でもなぜ…
あ!
仏の前では皆平等
平等主義の部分がミソでは!
人命の尊さは、その人の身分で決まらない。
身分にかかわらず、
全ての人が本当の幸せになれる道を、
お釈迦さまは説いておられる。
仏教の真髄は
幸せの追求→万物皆平等
だから
カエルの坊さんは
皆に
ナムゲロゲロダブツ
と唱えていた
でも
感情が表情や態度に漏れ出てしまっていた
仏教には
因果応報というのもある
善いのも悪いのも
自分が受ける結果のすべては
自分が作るのだよ
という教え
どんな結果にも
必ず原因があり、
原因なしに起きる結果は一つもない
幸福や不幸という「結果」にも
それに応じた「原因」が必ずある
善因善果、悪因悪果
「善い行い」は「善い結果」を生み出し、
「悪い行い」は悪い結果」を引き起こす
善い運命も悪い運命も全て
「自分の行い」に応じて現れた結果であること
むやみに人を恨んだり憎んだりするのではなく
自分の行いを振り返り改める必要がある。
人を恨む憎む
それ自体が無意味で無駄な行為である
カエルの坊さんは
4つのお経を終えた後
あと一つはどうなっている?
早く言ってこないかな
と感情むき出しで
お経を唱えることにも面倒くさくなっていた
あれ?おかしいぞ
お経は、お釈迦様の教えを伝えるためのもの
お経自体は供養としてのものではない
故人を思いながら
お経を上げることで
残された遺族たちが
心を落ち着かせ
より一層
故人を思う供養の心が届きやすくなる
そんな効果がある
だから
遺族の悲しみをやわらげ、
幸せになれる道を諭している。
カエルの坊さんの感情は
故人に対するもの
それを
遺族にぶつけるなど
言語道断
坊さんとしてあるまじき行為だった
ということなのかな。
カエルの坊さんは
自らの身体を張って
万物皆平等と因果応報
を教えてくれたんだ
幸せの探求って
福祉と似てるね
福祉の究極は仏教なのかな
これは言いすぎかな。
サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!