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真の信頼関係を築く「日本外交」への誇り

安倍元首相が、選挙演説中に何者かによって撃たれ、意識不明状態という速報を、私はインドで知ることになる。それも、日本の大学院に通う、留学生たちのWhatsappグループで。

「私たちが、今こうして日本の大学院に留学して母国発展のための研究に励むことができるのは、安倍首相の外交政策のおかげだ。何としても助かってほしい。」と言っていた。

最初は状況がよく読み込めずにいたけれど、次第に、どのニュースを見ても、インドで出会った人々からも、zaloやwhatsappやmessengerでも、「日本の安倍元首相が凶弾に倒れた」「病院に運ばれたが、助からなかったそうだ」という話が流れた。

大学院のページでも、各国からの元留学生たちからメッセージが寄せられていた。「悲しすぎて、信じられない。日本は、偉大なリーダーを失った」と。

日本人として、日本の外に出る度に、日本の「外交政策」に誇りを取り戻す感覚。こればかりは、経験した人々にしかわからないものがあると思う。私自身は、世界各国に旅をし、そのとき「日本に行くことが夢!」という多くに人々に出会ってきた。ただ、当時の私は疑心暗鬼で、自分すら信じることができていなかったから、相手を信じることができず、そして英語力が追い付かず、「もし私が韓国人だったら、この人は『韓国に行くことが夢!』と言ってるんじゃないか」とか、「そうやって話しかけてくる人は、裏がある」とか、くだらない考えを持っていた。(『地球の歩き方』にそう書いてあるし)

その後、外資系企業に勤務したり、ベトナムと日本の二国間の国際協力のもとで、ベトナム政府内にて勤務したり、そしてその後、日本の大学院にて、主に発展途上国出身の留学生たちと貴重な人間関係を育み、同時に、「物事は簡単に白黒つけられないから、対話や議論が大事だ。そして、発言することよりも、傾聴力と深い思考が大事だ」ということを学ぶ。

その度に、私は、他国の人々に「自国への誇り」を取り戻すのを助けてもらっている気がしていた。「いつか日本に行きたい」「日本は、どんな国のどんな大統領や首相とも友好関係を築く、稀な国だと思う」「とてもきれいな国」「日本人は、場の空気を良く読んで、深い洞察力を持っていて、それは自国(インド)には無いもので、とても尊敬している」。

政権に対する意見や思考を、あまり海外の友人たちと語ることは無かったけれど、私たちは、いつも、「失ってから気づくものが多くあること」に気付く。

日本の政治は、特に外交政策は、日本国内にいるだけではほとんどわからない。なぜなら、マスコミやテレビの報道番組は、その時の状況しか伝えない。経済、安全保障、改憲、コロナ感染対策、未曽有の自然災害からタレントの不倫報道まで、「井の中の蛙大海を知らず」とは本当によく言ったもので、とにかく私たちは、日々「批判」と「ネガティブ」な報道にさらされている。私自身は、高校時代、周りの反対を押し切って、海外に出た自分を、今では誇りに思う。そして、その「外交」を、全方位からうまく築いていたのは、安倍政権だったのだと思う。

その後、「安倍元首相への各国からの弔問希望が殺到し、対応に追われる外務省」というニュースをベトナムで見た。こういった弔問希望はしばらく続くことが予想されるけれど、うまく「外交の場」として、引き続き各国の大統領や首相等と良好な関係を築いてほしい。「日本の誇りを取りもどす」とした安倍元首相の願いでもあると思う。

インド

インドに訪問するのはこれで3度目だった。初めて訪れたのは、8年ほど前。現地のNGOと日本の大学との連携プログラムに参加した。その時は、何を食べてもカレーの味をする食事の思い出しかなく、それでも、現地で出会った子どもたちとは、今でも友好関係を築いている。2度目は、福岡市のNGO主催のホームステイプログラムだった。福岡市在住の中学生~高校生を、インドのムンバイ近郊まで引率し、1週間ほどのホームステイプログラム体験を実施した。学生の頃、「いつか国際協力に関わりたいな」と思いながら、描いていたのは国連や世界銀行などの巨大組織だったけれど、今考えたら、現地で出会った子どもたちとの友好関係や、引率プログラム自体が、国際協力だったんだろうな、と思う。そして、その協力は今も続いている。(3度目は、主にヨガ講師資格取得の渡印であり、友人たちとの再会の機会でもあった)

そういう、「草の根」の人間関係を、一国の首相も築いていた。インドでも、「安倍元首相とモディ首相が個人的に良好な関係を築いた」と報道していた。そして、日本の「地政学的環境の変化を鋭く認識していた」と同紙は書く。彼は「攻撃的な中国の台頭が意味することをいち早く察知し、自由で開かれたインド太平洋の構想を最初に描いた人物」だったのだと。

「自由で開かれたインド太平洋」を提唱し、QUAD(日米豪印戦略対話)も続く菅首相がインドへの歩み寄りを促している。

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今回、インドのデリーに1週間程滞在し、日本人の彼女がいるというインド人男性に出会った。私自身、「国際結婚は、一番身近な、強力な国際協力の礎」と考えているし、この男性との会話から、インド社会や日本人との出会い、夢、現実と未来をとても濃く学んだ気がした。インドのメトロや新幹線計画、日本のものづくり学校建設、経済や政治のみならず、文化交流や人的交流の促進、日本留学へのプログラム等、それぞれは小さな規模かもしれないけれど、「日本の存在感」を、いたるところで実感した。

その男性は、タージ・マハルで有名なアグラ出身の方だった。数年前、旅行中に彼女と出会い、その時は友人関係だったけれど、彼女が日本に戻ってからも、連絡を続けていて、再び彼女がアグラに戻った際に交際を申し込んだのだという。基本、インド人はとてもロマンチストな方々が多くて、初対面では、様子を伺う人々が多い印象だけれど(日本人と似ている)、とにかく話して仲良くなると、よく喋るし話題が豊富。哲学的であり、勤勉でもあり、同時に、男性は「相手に迷惑をかけまい」と、彼女に対して弱音を吐かない。彼は、子どものころ、近所に住む日本人教師に出会い、日本語にのめりこんでいったことを教えてくれた。今回、コロナ禍を経て、約2年ぶりに、初めて出会う日本人、ということで、非常に喜んでくれていた。「外交」は、当然ながら政府主導のものと民間外交があり、この両輪がうまく進むことにより二国間協力が深化していくのだと思った出来事だった。

ベトナム

ベトナムにいると、ベトナムと日本の二国間の友好関係は、今では他のどの国よりも強いものだと感じることが多い。日本国内では、あまり良いニュースを聞いたことが無いけれど、ベトナム国内では今日もHUTECH(ホーチミンにある大学)で日本祭りが開催されていたり、ハノイ大使館では安倍元首相の追悼式が開催されていたり、こういったものは、「今」に始まったことじゃなく、数十年の外交関係のもとで、数多くの議論や会議や、個人間の友好関係、経済、ビジネス、両国の共通利害など、全ての関係者の、長年の小さな出来事の積み重ねなんだと感じる。

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ベトナムだけでなく、東南アジア全体と日本の関係性や、メコン地域とアジア銀行の関係性、そして中国やインド、太平洋までの多くの地域を含めた均衡というのは、簡単にはいかない。地政学的環境の変化を、誰よりも早く察知し、予見し、ベトナムの地理的重要性を理解しながらも、メコン地域(特にラオス、ミャンマー、カンボジア)の国々への協力も惜しまない。中国の脅威に対して、物申すことができるベトナムは、そうした日本外交を近くから観察しながら、独自の政策で、隣国との関係性を強化しているのだとも感じる。

アメリカ

アメリカのブリンケン国務長官が7月11日、急遽来日した。ブリンケン氏は岸田総理大臣と会談し、哀悼の意を伝えた。また、バイデン大統領からの安倍元総理の家族に宛てた手紙を日本側に手渡した。ニュース記事は、「アジアにいたとしても、閣僚高官が弔問に訪れるということは異例で、それだけ世界での安倍元総理の存在感が大きかったということを証明する一例」としている。「戦後のG7で、これほどまでに存在感を示した日本の総理はいない」とし、オバマ・トランプ両政権と上手く付き合っていたことを評価しているが、これもまた、日本国内にいるとなかなか気づかないことではないかと思う。G7の場でも、国際的な会議の舞台でも、ビジネスでも、いわゆる「欧米」が集まると、議論が白熱しすぎる、ということがよくあるのだと思う。その際、「安倍元総理が割って入って合意案を出したり、最後に締めたりと大きな存在感があったそうです。」とドイツの高官が語っていた。

大事なポイントは、G7のなかでは「トランプ大統領対欧州」の対立があったということです。しかし安倍元総理は、決して「日米対欧州」という形にはしませんでした。メルケルさんやフランスのオランド氏、マクロン氏といった欧州国のトップからも慕われていたのです。敵味方をつくるのではなく、間に入る、それが日本の信頼に寄与したのだと思います。

岸田政権は、「アジアのなかでも多国間の秩序をつくらなければいけない。それに対して汗をかいていく。自由で開かれた価値観を共有するところでやる」としている。

ある人が、コメントを寄せていた。

民主党政権に変わったあたり、特に外交が酷い状態になっていたのをよく覚えている。中韓にはいいようにやられ、欧米からの評価も、「このままじゃ日本はB級国家になる。」「鳩山はルーピー」などと分析されてさんざんな状況だった。内政ではなんとなく大衆受けしそうな事を言ってごまかせても、外交では全く通用しなかった。そんな最悪な状況から立て直してくれたのが安倍さんだった。国内ではまるで極右かのようにイメージづけられていたけど、実際外交の場では非常にリアリストでバランス感覚に優れていたと感じる。

私自身は、日本の政権や政治に詳しいわけではないし、党への絶対的な賛成や反対が強いわけではない。ただ、「日本への誇り」は間違いなく、世界各国での実体験が築いてくれたものであり、その体験は、日本と多国との長年の信頼関係性構築に起因する。

アメリカのワシントンポスト

https://www.washingtonpost.com/business/what-the-world-got-wrong-about-shinzo-abe/2022/07/12/2cb5f096-0237-11ed-8beb-2b4e481b1500_story.html%5BWhat

基本的に彼は日本を、世界中の国が当たり前に思っている『自衛権行使で自国民を守り、自国に誇りを持つ、普通の国』にしたかったのだろう。世界の脅威は安倍氏が首相になってからますます危険になっている。彼が主導した新しい秩序が生まれたアジア諸国の彼に対する各国の圧倒的な支持・称賛を見てわかるだろう。脅威に賢く対応出来て、外交能力の高い安倍氏のような人材が世界で必要な時代である故に、ここまで惜しまれるのだろう。

ロシア

ロシア・プーチン大統領から遺族に弔電
(安倍元首相は、日米同盟の強化とともに、日米同盟の枠内で日本の独立を確保することを真摯に考え、そのためにロシアとの関係改善を図っていた)

尊敬する安倍洋子様
尊敬する安倍昭恵様
あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏の御逝去に対して深甚ある弔意を表明いたします。 犯罪者の手によって、日本政府を長期間率いてロ日国家間の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。 尊敬の気持ちを込めて ウラジーミル・プーチン

立場や主張の違いとタイミングで国家同士は友好的になったり離れたりする。安倍さんの外交にも国家の立場や対立はある。でもそういった国家の立場を言い合う前に、まず人としての友好や付き合いを大切にして信頼関係を築いてから話をしようとするのが安倍外交だった。国としては対立する立場だけど、人としては心を通わせる、それこそが正しい外交のやり方なのかもしれない。

大学の時に、北アイルランドに9か月間留学した。当時、ほとんど英語ができなかった自分に対して「マミ、何でもいいから話してみて」と白熱する議論の中で先生に言われ、『英語を流暢に喋ることが、自分の存在感を示す』『自分の意見を発言することが大事』『発言する=評価が良い』と考えていたけれど、各国に旅をして、物事は白黒では決められないんだ、と気づいた。個人主義が渦巻く世界で、結果を早く求められる世界で、発言することが大事とされる世界で、全方面から物事を考え、長期的な友好関係を築くための努力を怠らず、傾聴力と洞察力を磨く。「日本外交」からは、そんなことを学び続けている気がする。

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