中川多理『廃鳥庭園 PartⅡ』 ~Petit(プティ)
『廃鳥庭園 PartⅡ』 ~Petit(プティ)の展覧会がはじまった。
展覧会が、始まる前に、人形の柔らかいことと可愛いについて少し書いた
下にリンクを貼ってあるので、よろしければ読んで下さい。
人形の~と、書いたけれども、この展覧会では、それがとても重要なところだ。
この展覧会には、川野芽生の
――ありあはせの布(きれ)をあつめてなんどでもつくつてほしいぼくのからだを(『人形歌集・骨ならびにボネ』川野芽生)という歌が添えてある。
この歌が、ぬいぐるみ界隈で話題になっていると伝え聞いた。Petit(プティ)はぬいぐるみに親和性があるように受けとめられているかもしれない。そう親和性はとてもある。そうしてぬいぐるみのファンの方や作家が見に来て頂けるのは、とてもありがたい。
プティたちは、頭の上についている、アンテナのようなヒモがでている。シュヴァンクマイエルの映画にでてくる走り回る等身大の人形の、頭の上に棒のようなものがでていた。チェコでは、等身大人形劇の人形は頭の上に棒がついていて(長い)それを天井裏的なところで操作する。大きさは真逆だけれども、そんな風に思った。
プティの頭についているような、突起/ヒモはを切ると、プティは一瞬にしてばらばらになってしまう。あのヒモは球体関節人形の、所謂護謨引きと呼ばれているヒモの端っこなのだ。
そしてプティのヘッドの中は球体関節人形らしく空になっている。
中川多理は、あくまでも人形を製作している。表層の表現はどんどん拡張していっている。オブジェに見えるのような、ぬいぐるみに見えるような作品もあるが、いずれも人形であるというところは強く保持されている。
今回の展覧会に参加している過去作があって、「羊猫」「兎」で、この人形は、ぬいぐるみのようにも見えるけれども、肋骨があって、中が空洞になっている。なおかつ護謨も引いてある。人形と同じ構造をしている。
とてもチャーミングで素敵な作品だ。「羊猫」はカフカの『雑種』という作品にでてくる。夜想がカフカの特集をしているときに作られ、『モード』の松本さんのパフォーマンスにも登場する。
さてこのあたりまでは、ある程度、予測がついたのだが…
今回の展示は、人形ごとにパノラマになっていて、さらにそのパノラマごとに物語を感じる。あらかじめ作家が提示したい物語と云うよりは、プティたちが、そこで作りあげた、あるいはおしゃべりしながら作りつづけている物語…。
実は、『白堊』の子たちも、よくおしゃべりをする。場所を変えたり、10人で箱に入ったまま並んだりすると、また別の物語をもっておしゃべりをする。可愛く高貴な人形なので、なかなかおしゃべりまでは、物語までは感じ取ることは難しい。でも人形たちは、みな物語をもっている。
とくに、物語に強い、中川多理は人形たちが物語りするようにしている。
(夜想特集『物語の中の少女』をぜひ読んで頂きたい)プティに親しんでいただけると、そうした人形たちの見方もまた深くなるかもしれない。