展覧会[月虹・絶滅図譜]樋上公実子 絶滅危惧種たちの地上paradise
樋上公実子の描く絶滅危惧種を見るたびに、何故か心が揺れてざわつく。危惧種たちにとても惹かれるのだけれど、その気持ち自体が自分に微妙な感覚を呼び起こす。絶滅するのに、どうしてこんなに凛とした平常心をもって、生きている誇りをもって[絶滅]を受け入れているのだろうかと。感銘すらある。
絶滅危惧種は、自らの滅びすら知らないまま生きている無垢のものたちなのだろか?いや、そうではあるまい。自分が、消滅する種であり、自分がその種の最後の個体であることを良く知っているはずだ。
今は…環境の変化が大きくなって、種は遺伝の変異を含めて、生命として迷走をする時代なのだ。絶滅危惧種は、どんどん生まれて来るだろう。____それにしてもこのように愛くるしく美しい絶滅種たちよ! 美しい畸型よ!
種の保存が、自己の保存と関係がある時代はとっくに終わっている。簡単に云うと子供が居れば自分の何かが伝わり存在し続けるという安心は、もうない。自分という存在は、個であり孤であり個であり、自分とって自分の生命は、絶滅貴種なのである。それはもちろん、あなたも、街角で会う人も、一世一代の貴種なのであり、死によって絶滅する貴種なのである。
死ぬ、滅びる、老いるなどというものを描くと、それは自然と陰画になる。ところが、樋上公実子の絶滅危惧種の絵画は、陽画なのである。樋上はポジでマイノリティを描いている。どれだけの負を運命的に抱えても、今はあるという点で、ポジティブなのだ。
そしてもう一つのポイントは、絶滅危惧____…危惧というのだから、まだ滅んではいないということだ。今は、生きているのだ。絶滅も死も受け入れながら、凛として立っている。(少し弱って寝ている子も居るが、僕はその子が一番好きだ。哀れな目をしていないから。澄んだ真っすぐな目をしている)受け入れ前を向くその美しさだ。
樋上公実子の絶滅危惧種は、あなたが見ている限り、ずっとずっとここに居る
あなたが思う限り、ずっとそこに居る。そしてあなたの心に生き続ける。
フラットに今存在していること、生きていることを享受する絶滅危惧種。絶滅するまで、消滅するまで、そのままに…嘆かず、存在している。その生命の強さと、あっけらかんとした無垢の明るさは、ほっとすると同時に今の生命を励まされる。
ゆえに自らもある限り、あり続けていようと思うのだ。
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