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樋上公実子『幻の絶滅図譜』展

誰が云ったのか? ゴトーでフルーツパフェを食べてる時に、誰かが云っていたというのは覚えている。「スタバのロゴも人魚なのよね…」「樋上さんも人魚…」そうか…雷門のスタバを覗いてみると、ロゴマークのフェアをやっている。マグカップに全身が描かれている…あれっヒレが二本?ロゴマークの左右の手だと思っていたのは、ヒレ?…二本?変種?変種の人魚。だったら危惧種。でもスタバの人魚は滅びない世界的チェーン展開に支持されているから。『非絶滅危惧種』の人魚だ。
ヒレの先が二つに分かれてるの?かな。だったら、足が入るね。え、足? スタバ人魚の衣装作ったら、フィンのところに足が入る。じゃあ樋上さんが小学校のときに演じた人魚の衣装はこんなだったのかな? 聞いてみよう。

『人魚の見る夢』の出版記念。フルーツパーラーゴトーでのパフェパーティ。司会をつとめた。久しぶり3年くらい人の前にでていないかも…すぐには聞けないので、小学校の頃のころから聞きはじめた。
「小学生で自分で衣装を縫って人魚を演じたんでしょ?」
樋上さん一瞬躊躇したあと、嬉々として話しはじめた。この間、打ち合わせのとき聞いた話
https://note.com/pkonno/n/ne3a6057dae86
より詳しくなっていたけれど、おんなじお話。樋上さんの中には少女の頃からずっと人魚が棲んでいる。自分の演じる、自分物語の『人魚姫』。先が分かれているところに足をいれたのかな…。それともフィンは1つ?綺羅綺羅しながらはなしている樋上さんを止めたくなくて、そのまま聞いていた。今度の画集『人魚の見る夢』は、後半が絶滅危惧種にあてられている。アートディレクターのミルキィさんが、「美しいがゆえに滅びる絶滅貴種」と、今度は、素敵な本質的な話になっていたので、まだ聞けない…。滅びるのが美しいのではなく、美しいから滅びる…聞いて樋上さんの筆が進んだらしい。どんどん絵が完成していった。と。樋上さんの
筆は今、混合技法。何年か前に先生についた。表現したいものをもっと描きたいという欲望のゆえだ。師は、我が敬愛する建石修志だ。学生の頃からの憧れでリスペクト。建石修志天使論を『芸術生活』や『現代詩手帖』に投稿していた。27歳か8歳か、そんな頃。ちょうどその頃、青木画廊で日本人の若手が混合技法で、注目を浴びた。一世風靡と云いたいけれど、そこまでではなかった…。何かが変わる…そんな思いにかられて、混合技法のセミナーを、鎌倉、蓼科で開催した。川口起美雄、高橋常政、(二人ともウィーン幻想派か帰り)日本画の 大島哲二、そして絵画とリトミックのワークショップを折田克子が行った。芸大油絵科の田口、佐藤、坂口という教授が覗きに来てノートをとっていた。ボクの知識はそのときのもの。板を磨いたり球の描き方を教わったりした。(でも絵描きにはなれない。それは川口に教わった。その通り。理由はまたどこかで…)描けないけど知識はある。(その時の)で、その感覚で云うと、樋上さんの混合技法、変異種のような気がする。時に習ったのはファン・アイクとウィーン幻想派の混合技法。白の使い方が…わからんけど…なんか違って素敵だ。思わず会場に来ていた建石修志に質問した。混合技法は油とテンペラの透過層と非透過層を重ねていってその光を反射したりしなかったりで色をだす手法ですよね…で、樋上さんの出来上がり、見たことが余りないんですが、フワッとした毛の感じとか…。回答はクリアだった。「透過層と不透明な層の重ねで描いていくんだけど、その重ね工合が個性になる。個性があるということだと思いますよ」なるほど…。重ね工合、合わせ工合が勝負どころなんだ…。ファン・アイクの技法からしか混合技法を見ていなかった。混合技法を使うと、なんとなく中世のヨーロッパの匂いのする絵ができてくるから、技法が引くもので、技法に風景も時代も組み込まれているのだと思っていた…が。違うんだな。描きたいものを混合技法で描いている______。なるほど、樋上公実子の絵は、描きたい渇望で存在している。…のだ。

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