夜想残照記2020/03/06

夜想の想い出をいろいろ書きながら、これからの活き方のヒントが見つかったらいいなと。誰から書こうかな、どんなことから書こうかなと、思って、最初に浮かんだのが北斗晶だった。何で?と自分自身も不思議。

雑誌『新劇』の編集にいた女性の編集者が、持ち込んだ話だったかと記憶する。女子プロの本作りませんか。女子プロというよりは北斗晶。何度か見に行って、ストーリーのある闘いだと思っていた女子プロが、真剣勝負であるのに驚いた。後でも書くが、女子プロとくに全女は、精神のぶつけあいと、その強さ(もしかしたら北斗の場合はプラス美しさ?)によって勝敗が決る。

自伝の話をもちかけに行ったのは、全女の稽古場だった。独り稽古場に居た北斗は、会うなりじーっとこちらを睨みつけるように仁王立ちした。僕はこういうとき、逃げず、対抗せず、それでも目を合わせることにしている。その道の人と対抗してもかなわないから、全部受ける感じで。それが板前さんでも人間国宝の歌舞伎役者でも同じ。で、北斗はしばらくて「負けた」と言って笑った。「えっ?」僕は聞き返した。「金髪ってのあるけどさ、緑ってのはないよね。自分も金髪だからさ。編集長さんの勝ちだね」エメラルドグリーンに染めていた頭髪のことだった。(後に北斗の子分のぬまっちが、髪の毛をグリーンに染めた。北斗は嬉しそうに真似したよと僕に言った。えーっぬまっちかよと思ったけど、もちろん言わなかった。)

余談だが北斗に、ロープに立ってみる?と言われて触ってみたが、ぐにゃぐにゃしていてとても立てそうにない。こんな上に立ったり、豊田みたいにロープ使った技なんて信じられない。試合のときはもう少し強く張るけど、ほぼこんなもんかな。北斗はロープに立って見せた。ちなみに北斗晶の表紙の写真は、畠山直哉が撮影している。北斗の凄さは、自伝と記録集のために帯同してリング下から写真を撮り続けた僕はこの上もない体験として残された。

『北斗晶自叙伝―血まみれの戴冠』
おそらく文章なんて、そんなに書いたこともない北斗晶が、辞書を片手に鉛筆でノートに書き綴った、北斗晶の肉声、血声。編集部が書き加えることなく(カットはした)北斗晶の当時の、言葉。そしてその時、北斗の引退へのカウントダウンは始っていた。
引退の覚悟は決っていたのだろう。そんな気はする。神取に負けるとは思わなかっただろうが(北斗のことだから)勝てるとも思わなかっただろう。北斗はそのとき満身創痍だった。膝の関節はぼろぼろでキックを受けただけで外れるくらいに痛んでいた。そして女子プロの闘いは相手の怪我しているところを本気で攻めるスタイルだった。それが相手への礼儀、[本気]の証し。当時の全女は相手にも観客へも[本気]を見せ続けていた。

説明の仕方はいろいろあるだろうが、僕が見た[本気]とはこういうことだ。当時の全女は技を掛け合って、それで身体と折れない心が生き残った方が勝ち、という戦い方をしていた。相手のかけた技は受けるのだ。そして相手に技をかける。それを繰り返していく。心と体の真剣勝負なのだ。その果てに勝敗はある。例えば帯同したときに目撃したのだが、ゴングが鳴る前に北斗に飛びかかって技をかけた少し格下の(北斗に言わせると相当格下の)子は、北斗の怒りをかってゴングと同時に気絶させられ、北斗は足で相手の肩を押さえて終わり。その時、北斗はほんとに怒っていた。神奈川の山奥のスーパーマーケットに駐車場での興業で、ファンの子は嘆いていた。二時間かけて5秒!しか見られないなんて。

北斗が一瞬で勝てる相手はたくさんいる。でも女子プロは究極勝ち負けではない。勝ち負けは最後に決る。闘いで見せるのは[きもち]であり[本気]であり、技であるのだ。それを命がけで見せる生き様が北斗なのだ。それは掛け値なしにそう思う。リング下にいると実にいろいろなものが見える。良い体験をした。

北斗のためだけの写真はなかなか存在しない。プロレスのカメラマンはまんべんなく闘いを追う。北斗の試合にカメラマンとして帯同することにした。ちょうど神取との引退マッチの2戦目からリング下にいた。当時の映像を見れば、プロレス雑誌のカメラマンに迷惑がられながら、リング下を走り回っている僕の姿が残っているはずだ。プロレス雑誌は、リング下に二人対向の位置にカメラマンを入れる。そうすれば二人で余り動かず全域をカバーできるからだ。リング下にはコーナーポストから選手が降ってくる。巻き込まれたら僕がカッコ悪いし、興業に大迷惑だ。北斗が舞うコーナーポストは決っていないので、美しい飛翔を撮るためには、反対側に回らないといけない。なので僕は北斗の動きを読みながらリング下を右往左往していたのだ。東北の地方興行の時などは、こっちこっちと教えてくれたり、こっちが回り込むまで待ってくれたりしていたが、神取戦はそんな余裕も配慮もある筈がない。迷惑しないようにしなきゃ。それだけを考えていた。(YouTubeで確認したら髪の毛を黒くして、黒づくめになっている自分が写っていた)

北斗の結果、引退試合。……あの頃の神取は本当に凄かった。強かった。最終戦でも神取が北斗に関節技を入れた瞬間が見えなかった。早かった。もちろん技をかける気配もさせず、一瞬で北斗に技を入れた。男のレスラーと関節技の練習をしいると報道されていた。もちろん写真にも写っていない。気がついたときは北斗の顔が歪んでいた。世界柔道2位のスピードって、こんなに早いのか。あ、腕が折れるかも。ドキドキした。綺麗に技がかかっていたからそれもできただろうが、神取にもちろんその気はない。プロレスをやっているのだ。北斗と闘っているのだ。

この試合はじまって程なく勝敗は決していた。神取が北斗に対してコーナーポストからかけたなだれ式の技が、若干、すっぽ抜けてさらに崩れた北斗は投げ出された。北斗は意識を失っていた。そして膝の関節が抜けてリング下でレフリーに入れてもらって、またリングに上がっていった。(前回の神取戦では肩が脱臼した)北斗は、とことんぼろぼろになっていった。神取は容赦しなかった。それが礼儀。そして立てないほどになったときに、リング下にいる一部の人だけには聞こえたかもしれないが、神取がもういいだろう、と、誰にも聞こえないように北斗に言った。神取は泣きそうだった。北斗は子供がするように、こくんと頷いた。 勝負はあっというまに決った。北斗はまた気絶した。

気絶が負けではない。気絶してからが勝負。それを見たのは堀田戦だった。堀田に北斗のノーザンライトをかけられて、北斗は気絶した。リング下で写真を撮ったが、気絶したとは思わなかった。立ち上がった北斗はコノヤローと叫んで、あっという間に、確か堀田の技でスリーカウントをとった。楽屋に顔を出すと、ふっと我に返ったように、「試合どうなった、勝った?負けた?」勝ちましたよと言うと、そうか。記憶にないんだよね。と、北斗。気絶してからが勝負だからと。そこからやれる用に練習するんだと。『北斗全記録』のカバー写真にその時の北斗の姿が写っている。後日写真を見せたら、目が死んで涙がでてるだろ、気絶してるな。やっぱり、と、北斗は言った。この写真くれるか編集長さんと言われてパネルにして渡した。僕の撮ったカッコよい他の写真には興味を示さなかった。

北斗の自伝は、そんな壮烈な闘いをしていた北斗の、まさに[気持ち]がこもっている。そして帯同した僕の写真がささやかに最後に姿を伝えている。

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