気づいたらもやもや君が、酷いことになっている…のその先。
ネット上でこんなやり取りを見つけたよ。酷いね。
と、教えてくれる人が居たので、読んで見たら、たしかに酷い。
に対して、PASSAGEの回答が以下のようなこと。
PASSAGEで売りが立たないのなら、メルカリかAmazonへ行けと。
まぁまぁ塩対応なお返事ですが、簡単に云うと文句があるなら出てきなさいよということですね。今は、棚は引く手数多なので、どんどん入ってどんどん止めてもらうと、最初の入会金が何度も何度も何度も入ることになってうはうわな訳です。一般棚子たちは、運営しているスノッブ作家・評論家を、その人たちをサポートする書評家・評論家の棚を維持するためのお財布なのですから、個性的な品揃えとか、本の事を思っている風な、キャッチコピーは、単に棚子を集めるだけのものでしかないと思います。まじめに応対してはストレスがたまってしまいます。
メルカリはともかく、Amazonもいまや出店は、中国人転売ヤー優位にして出店許可を出しているので、自分は長いことマーケットプレイスでそこそこの売上ていたのですが、転売ヤーの不当申請に刺されて、マーケットプレイスを閉鎖されました。出展料は取り続けるんですけどね。再申請には身分証明と銀行の活動記録が必要なのですが、身分証明はマイナンバーでは受け付けないんです。パスポートだけを受け付けます。パスポートは転売ヤーならもっていますのもね。より日本人を排除して外国人を入れようとしていますね。なので、ぜひ、今度、Passageの人にAmazonでの店舗運営の仕方を聞いてレクチャーを受けようと思っています。
で、地べたの個性豊かな書店『Passage』というのが表向きの顔ですが…まさに羊頭狗肉___(まぁそういう書き手が多いんでしょうな…Passageの関係者なのですから…)そのキャッチで引いて見てもらえるのは、関係者棚だけなわけです。顔を棚の位置が悪くて本の顔を見てもらえない棚主は、ネットに期待するわけですが、良く使用不能になる体質脆弱のネットシステムなので、期待はできない…。地べたの書店に期待をしちゃぁいけないよ、ネットの機能に期待しちゃいけないよ…と、文句を云うならAmazonかメルカリに行け!と…。まあ相当に酷い言い草ですし、掲げた羊頭は嘘なわけです。
棚の貸り賃すら売り上げられないということを認めているPassageです。つまりこれは書店ではないわけです。もしかしたら棚子を騙して誘致すれば、書店のような形をしている集合場所で利益を上げられる、場所の主宰者がやっているそのぼったくり形式を書店と云っているのかもしれません。棚子は、お代官様のお店を支えるための、奴隷のようなものです。
一棚書店というのであれば、それは成立していないので、謂わば不当表示、まぁ詐欺に近いものなんじゃないかと思います。
で、嫌なら出てけば良いと。その方が、うちは儲かるからと。
PS
只で真ん中の棚を続きで提供してもらっている、某優秀書評家は、最新出版本をだーっと、それだけその真ん中の続きの棚にこれでもかと並べています。おまけにPassageのセンターにある大きな平台に本を山積みにしています。全部で何冊あるんだろう。そこをデザインの良い目立つ色合いで占拠されると、もう、うちの棚なんか霞んでしまって…あー、あの場所の一角にちょこっとでもでられたらなとつくづく思いました。まっちょな、バブルの頃の風景です。
これ僕が企画者だったら、こんなことを考えますね。優秀書評家なので一般的なセールス本ではなく、これぞという本を発見して言及しています。ほんとに凄い仕事です。書評で言及した本で、よりローカルな方から順に棚に入れていきます。その本が例えば…例えばですよ宮内悠介さんの『あとは野となれ大和撫子』(角川文庫)であるとしたら、それを棚に入れて、例えば青い付箋を付けます。本にね。で、それと同じ青い付箋を書評本の言及したヶ所、095Pの該当箇所に貼ります。付箋を貼った一冊は、読めるようにしておく…。
これを書きながら今、思ったけれど、書評誌にでている本を全部棚に揃えて、それと本文を付箋でリンク付けるとか…。
なんかその位の本愛をもっていたら面白いことはいくらも出来るのに。まぁ書評家たちも、本を書いている人たちも、本という紙から一歩でると、何にも本を売っていく存在していくというシステムの問題を、深くは考えていない。逆に言えば、状況を利用して自分だけ生き延びればいいや、という姿勢でしかない。
簡単に云えば、著者、出版社、取次、書店が一冊の本からもらえる%では成立しないということになっている。運送費、人件費が以前より負担になっているので、状況はさらに悪い。システムを根本的に手を入れなければならないが、それぞれの立場、その%のことを理解し合わないと、認知し合わないと先に進まない。
Passageは、そうではなく取次を飛ばし、書店にあたる著者・出展者に負担をかけながら、著者である人たちだけが利益を得るシステムを組んだのだ。この場合、著者には書評家も含まれる。つまり書評家たちの本も優遇するということだ。自分をサポートしてくれる書評家は大切にしたいということだろう。これでは本格的メディアにならない。もちろんこれをモデルに書店は復活しない。
大手メディアは誉めそやすが、まぁ大手なので自分たちが生き延びれば良いと考えているのだろうけど、結局は、最終自分の首も絞めるのだと云うことを忘れている。というか分からないんだろうけどね。
以上。