『三重県足立区甲府住吉メゾン・ド・メルシー徒歩0分、入浴中』/「たんぱく質」(新潮21年8月号)フラッシュメモリー2022309
倉田翠と飴屋法水の共同プロジェクト『三重県足立区甲府住吉メゾン・ド・メルシー徒歩0分、入浴中』。そのツアーの終着地は、東京、北千住の元ボーリング場だったBUoYという会場。北千住は近年おしゃれな街になっている。でも会場のあるのは駅の裏側、場末感のある盛り場。その路地を渡っていく。くねくね…くね。線路の脇を通っていく。おしゃれな店もぽつんぽつんんと。BUoYは、ブイと読むらしい。漂うブイ。
水槽のある工場跡のような雰囲気のある舞台。でもリノベーションされているので、飴屋法水が昔、スクワットしていた恵比寿の廃工場とは基本ざくざく度合いが違うが、それでも何十年か前のことを思い出した。コンクリ剥き出しで、鉄筋すらでている水たまりに少年たちが突っ込んでいった。あの熱、飴屋の冷えた視線。あの時と、飴屋は変わらない佇まいと雰囲気。いや、オーラは少し、変わっているのかも…。『新潮』に掲載した「たんぱく質」(飴屋法水)には、職務質問を受ける飴屋らしき男…小説なので、本人かどうかは分からないが…の話しが書かれているが、60歳にもなって職質…などと。
自分も職質は限りなく多く…60歳くらいの時に、いやもう少し行っていたか…1ヶ月に10回、うち2回はパトカーで本署へという職質キング…飴屋の職質物語に笑ってしまった。でも、子供が産まれてほとんどされなくなったと…。社会の一員になったから? 自分は先日、夜中に彷徨して、曲がっても曲がっても交番、そして警察署というのを避けているうちに(職質受けるのが嫌で…夜中の3時に無人のスカイツリー下の運河を歩いていたら…まぁまぁ職質は受けるでしょう…)ほんとに道に迷ってしまい…携帯の電源も切れ…やむなく交番に…「ここどこですか?」と、聞いたら、彷徨老人に思われて、名前言えますか? 住所行って御覧なさいと言われ。揚げ句にパトカーで送られという前代未聞のこととなった。職質キングからいきなり彷徨い老人か…。
彷徨老人と間違えられたと、愚痴ったら、方向音痴でしょ、若いときから…。と、笑われた。まぁそうなんだけど、職質されないということは、人間としてのオーラが落ちているということでもあり…ちょっと悲しかった。飴屋はきっとボーダーの外にいたのが、ボーター境界に移ったのだと…。だって相変わらずだもの。職質されそうだよ。でもされないんだよね。日本の警察って不思議なものをかぎ分ける。
「たんぱく質」を読んだのは、上演を見た後だった。嘘と本当を混ぜて、それを告白しながら、「これは小説だ。小説だろうか?わからない」などと書いていくのは、演劇の手つきと同じだなと感じた。
冒頭、倉田の、わたしは子どもです。子どもでした。(正確に言葉をひろえているか自信はないが…)というようなモノローグでスタートする。倉田と飴屋は、生家に行って両親に話しを聞いたり、家の空気を体感したり、他に係わっている人たちを会話してプロジェクトをスタ-トしている。子どもの頃どんな存在だったとか、家族は…とか、家に居る人、もう居ない人…いろいろを聞いて対話して…そこからテキストが生まれていく。そして観客のいる場に立つ。映像でも二人の言葉でも…言葉が空間に響いていく。
言葉はだから出あった人たちの(それは語られた人たちのも含まれる)の言葉でもあったり飴屋や倉田の言葉であったりする。でも話しを聞いたときの生々しい感覚が手付かずで(そういうふうに飴屋は演出しているのかもしれない…)目の前にある。家に一緒に伺って話しを聞いているようだ。
そこに居る人と感覚を共有してそこから創造をはじめるというのは、倉田がずっとしてきたことしてきたやり方だ。飴屋は、そういう特殊感覚をしている人とコラボしその感覚を最大に拡張する力をもっている。共有感覚を持っていない人ともコミュニケーションする不思議な人だ。作品をもって観客とも共感する…共感は、そうそうという共感ではなくて、むしろ身体にダイレクトに共感を持ってくる。
だから飴屋の作品を見ると、痛い、とか、ひりひりするとか、泣いちゃうとか言う人がいる。飴屋が対話をして感じた身体感覚が、こちらにも伝播する。伝わるとかいう感じじゃなく、飴屋が誰かに話しを聞いている、その感覚が同時にこちらにも発生するという感じだろうか。そうか飴屋が痛いのをこちらも痛いと感じるのは、身体を使った、伝達表現なのだろうな。
このあたりうまく言えない。もっとちゃんと書きたい、書けたらなぁ。
人形の肉体とか、踊りの肉体とかを介在して伝える。その時の肉体の軋みとか震えとか…そんなものまで含めて。
飴屋が倉田に「家族のようなものを作る気はあるんですか?」と問うと「マクドナルドの話をします」と倉田が応じる。倉田のマクドナルドの話は[子ども]の話しにつながっていく。その話しは、飴屋に向かっているようでもあり、観客に向けているようでもあり、独言のような、自分に話しているようでもある。もちろん問いのような言葉に、相手は答えない。ちょっとすれ違ったような別のことを言う。[子ども]についての話し、それは冒頭で倉田のモノローグにもつながっている。
生きること。家族のこと。
飴屋が言う、「子供を持たないヒトはいても、親を持たないヒトはいない。始まりの場所は決まっていても、終りの場所は、決まっていない。」という飴屋の感覚がこの作品の通底器でもある。でも底を流れているというよりは、空中で混在しているという印象だけれども…
生と死の境界がはっきりしていなくて、死んだ人も、まだそこに居て(死んだままに)…じゃぁ生きていることは…それを見続けているのが、最近の飴屋法水のように思える。ぼくには。
死ぬことを意識すると、文章が変わる、見方が変わる、まとめ方が変わる。フローベールやプルーストがそうだったように。自分にも最近、その瞬間が来た。だけれども、プルーストにもフローベールにも残念なことになれない。その瞬間が来たとき、子供の頃からその瞬間の前までしてきたことが必要なのだ。それを変える。変わる。…自分、何もできていなかったので、来ても、まとめたり、変えたりするものをもっていなかった。ちょっとした昏い絶望が訪れただけだ。あ、自分のことはどうでもいい。
飴屋は死を深く意識して、日常でも常にそれがあって…作品は、次第にその同棲感が色濃くなっていく。(ちなみに死の意識は向こうから来るもので、死ぬまでそれが来ない人もいる…たぶんね…)で、その意識をもった人は、持っていない人と断絶して、仕事を完成しようとする。日野啓三もそんな瞬間があって、作品が変わった。若い人には分からないから…と、日野啓三は書いている。
そう意識が来ない人には、意識が来た人の感覚が、分からない。で、若い人には概ねそれはまだこない。だから分からないよね。フローベールもそうだけど、分かってからは、分かっていない人を拒否したり避けたりして、自分の仕事に邁進する。記憶というものと今というものを混在させながら…。
だけど、飴屋はそうじゃなく生きているように見える。死を隣に置いている人と、もっとも遠いところにある若い人と、作品を通じて交流しようとしている。しかも死をベースにした生と死の感覚をだ。だから言葉はずれたり逸れたりする。そのことを前提に飴屋はそれでも向かい合おうとする。自分の子供と、そして自分以外の人間と…。まだ死を強く感じていない人と。もちろん若くても感じ続け、意識し続けている人と。それが最近の飴屋の作品の基本姿勢だ。(と、自分は受けとめる)
だけれども、飴屋法水の関係する作品は、飴屋法水の身体を通じてくるものは、受取る人、それぞれに違っているように思える。
この演劇の上演を…あえてそう言って見る。飴屋法水は、演劇ということにも拘っているというか、追求しているようだから…見る体験という参加をしたからといって、何か分かるということではない。受取るものは観客ひとりひとり違うだろう。ひりひりする痛みとか、ちょっと胸の奥に空洞ができるような空虚感とか、身体のどこかに二人の言葉が刻まれて残されたり…
心の中に封印していて、ずっとずっと言わなかったようなことを、飴屋法水に話し、それを私たち観客が聴いている。家族が存在するってどういうこと? 生きているってどういうこと。死んでいることと、生きているとことって?
死んでいて今は居ない人も、この作品の中に居る。死んだ人は死んだままに…。そこがこの表現の凄いところで…観客の見ている今、このとき、この場所に、痛みを哀しみを、そして慈しみを連れてきている。観客はそれらに対面している。そして身体がそれを感じる。反応する。
ところで飴屋は、さらにというか常にというか、
演劇のあり方をも追求していて…
始まるときに、コロナなので、観客との距離をとりますから…この線で囲ったエリアでね…意外と狭いな…と飴屋は呟く…。終りのほうに、飴屋はそのエリアを自転車でゆっくり走りながらぱたんと倒れる。ガシャンと倒れる。ずっん。と、飴屋の肉体が床にぶつかる響きがする。右に倒れるか、左に倒れるか、それぞれ。度に、「虚構!」「現実!」と声を出す。
飴屋は、演劇の究極のスタイルを、いつもいつも作りだそうとし、その原点で格闘する。
最初に囲われたエリアは、ぼくには尖った分水嶺のように見え、その上を自転車で走っては、虚構と現実について倒れ、崖を墜落していく飴屋のように思われる。
虚と実の…演劇が発生の頃からもっている葛藤だ。
言葉と身体が、真摯さをもつと、葛藤は極限にまで達する。
虚構をどこかにもたなければ、きつい現実をきつく提示できない。哀しさという共感を観客とともに持てない。虚と実は、表裏一体とかいうけれど、そんなに単純なものではない。
たまたま、橋本治からの流れで、近松門左衛門を読んで、『冥途の飛脚』ですら、もともとは、ハードな作品で、余りのハードさに再演がかなわない。観客の顔を窺って、次々、作者が改変をして、エンターテイメントに作りかえられてしまっているが、元はピュアな[劇]であり、実をどうやって客に伝えていくのか、それにはどう虚を使ったら良いのかという、そんなことを必死に追求した手の跡が残っている作品だ。その近松の有名な虚実皮膜論は、短い、聞き書きのものだが、読んで居住まいをただしたくなるような、演劇の、虚構と現実のことが語られている。書き手と演者と演出家と音楽担当者と、そして観客のなかで、立ち上がるもの、立ち上げられるものは、何かということを長く踠いた人のリアルが伝わってくる。
飴屋を近松になぞらえるつもりは毛頭ない。もともと演劇の表現に方程式はないからだ。なのに方程式がまかり通っている。客に受けることが前提になっている。現代の、今に、ある場所で、観客が集まって、特定の場所で、唯一無二の人が、体験したり語ったりしたことをどう再現するのか…再現というのはたとえば表現やアートがrepresentationという言葉で表現されているのと同じ、再現というのは表現であって…という原理をまともに、まじめに向かい合っているのだ。
観客の反応も含め、その時、その場でどう編むかという切実な表現形態である。それが演劇なのだ。演劇にはスタイルがあるのではなくて、姿勢が、あるいは覚悟がある。必要なのだ。飴屋はそこを追求し続けている。
倉田翠は、ラストにモノローグのように
お家にかえるんですけど/みんなさがしているんだと思うんですけどね/たとえば家族とか/わたしは、ここじゃないかって思うようにして…/たとえばここ(会場のこと)/でも終わるんで/みんなお家があるじゃないですか。
と、話しかける。
上演が終わって…受けとめ損なっていることのほうが多いんだろうなと、そのことにちょっとだけ残念な感じを抱きながら、俯きながらちょっとしっかりした気持ちで、帰路についた。
帰りには両側に客引きのお兄さんがびっしり客を引いていて、人が一人通れるくらいの狭さの通路が通る人に許されている。南千住とか北千住とか若い頃から親しい場所だったが、この裏場末感の現役度に驚いた。京都九条の劇場のことを言っていた。九条そのもののことも言っていた。場所とそこに居る人、その人たちとどう繋がれるのか…そんなことも…あるんだろうな…と。
そして、もちろんぼくにも帰る家はない。
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