春愁秋思 〜 by 空気公団 〜
木漏れ陽。並木道と住宅と公園。ありふれた街の一画。
園児たちがキャッキャと演奏者たちについていく。このシーンが見るたびに微笑ましくて、なんて無垢で平和なひとときなんだと心が潤う。
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動画を貼り付ける、なんてこともちょっとやってみる。
折に触れては見ている動画を、紹介します。
(ゆっくりとした6分の映像があります。お時間のある方はどうぞ)
鍵盤ハーモニカから始まり、ボーカル、ギター、パーカッション…と1つずつ加わっていく、演奏の音。
それから、子どもたちの声。歩くときの砂利。風や衣ずれ。
ボーカルの女性が、動物の尻尾のような機器を手さげているのを見て、その場の空気全体の音を録っているのだろうと察する。
ふんわりと楽しそうな演奏者たち。
それをポカンとした表情で見つめる園児たち。
のどかで微笑ましい対比。
この動画は、ミュージックビデオのようでもあり、一方でホームビデオのようでもあり。
念入りにリハーサルを重ねた感じがするけれど、逆に一発撮りらしい即興の要素も感じる。
この動画を見ると、世の中のいいものって、正反対の要素をバランスよく兼ね備えているものなんじゃないかと思う。
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演奏者は空気公団というポップ音楽グループで、演奏している楽曲は「まとめを読まないままにして」というもの。
この曲は、優しくて落ち着いた曲調の中で、「たとえば、君は一人かい」というフレーズがとても印象に残る。サビの歌詞一帯は、こうなっている。
「そんな風じゃないんだよ」と最後に否定するあたりに、この詞独特のレトリックを感じる。意味をつかむのが難しい一節。
そもそも「まとめを読まないままにして」という曲名からしてよくわからない。
「真っ白い壁は苦手だな」とか「僕はまだ少し歩きたい」という他のフレーズを頼りに、なんとなくこういうことを言っているのだろうか、という考えはあるにはあるのだけど、いまいち確信がもてずに、行き止まりのない思索を続けている。
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「まとめを読まないままにして」は『春愁秋思』というアルバムの1曲目に収録されている。
このアルバムは、全曲を通して一つのまとまりや流れを感じられる、一冊の本みたいなつくりになっている。クライマックスの「文字のないページ」から「春愁秋思」、ラストの「なんとなく今日の為に」の流れは、秀逸。いや、その前の「絵の具」「僕ら待ち人」「日寂」の流れもそうだ。
どの曲も、風景描写のように歌詞が描かれている。それは空気公団のもともとの持ち味だが、本作でも存分に発揮されている。「僕」や「君」が出てくるのに、どこか「他人事」のような距離感を感じる。
字面はいたってシンプル。ただ、聴いているうちに「僕」や「君」が俯瞰で見えてくるから不思議。それこそ風景の一部であるかのように。
やがて聴き手自身も、その風景の一部となって、遠い存在になっていく。
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『春愁秋思』を聴くと、右も左もわかっていなかった新社会人の日々を思い出す。帰り道にこのアルバムをよく聴いていた。
あの頃…。説教好きの上司の下にいて、何かと呼び出されては、ああでもないこうでもないと、指摘を受けたり仕事論を説かれたりしていた。別に怒られているというわけでもなかったのだが、当時の自分は、言われた言葉の一つ一つを真に受けては、禅問答のように悶々としていた。
あまりにも色々なことを言われたせいか、今となっては何の言葉も覚えていない。心に刺さった一言、みたいなものが一つはあってもよかったのだけど。
あれから年数を重ねて、仕事への視野も広がってきて、誰かに言われた一言にいちいち振り回されることもなくなったけど、当時はそれなりに悩んだ日々でもあった。
そんな中で、空気公団の、空気のような音楽を聴くことは、現実から一歩身を引くことだった。
単に好きということももちろんあったが、俗世間を受け流すための手段としても実用していた。
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3月から4月にかけて環境が変わり、新しい場所に身を置くことになる人もいることと思う。きっと、最初は戸惑うこともあるだろうけど、その場の出来事など所詮は風の前の塵と変わらないと(時には)思ったりして、気を張りすぎない程度にやっていってほしいなと、陰ながら応援しています。
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(↑花粉で目がしょぼしょぼしています…。)
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長くなりましたが、最後にもう1つ、動画を載せておきます。
『なんとなく今日の為に』。