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3月31日の祈り

3月が、終わる。
3月31日は、残業をしっかりして、疲れて帰路についた。
スーパーに寄ってお寿司もいいなフルーツもいいなと悩みながら、今日くらいはと食べたいものをぽんぽん入れる。
特別にシードルを買ったくせに、家に帰るとハイボールが飲みたくなって、結局シードルを開けない。夫に「一緒に飲みたかったから」とかわいいことを言うんだ私は。
冷蔵庫を開けると昨日仕込んだチャーシューがあったことに気づく。30%オフのローストビーフを悩まずに買ったのになんてことだ。チャーシューが先に食べたいので、ローストビーフは冷蔵庫に寝てもらって、豚のかたまりを切る。

3月31日だ。去年の3月31日はどう過ごしたのか、あまり覚えていない。当たり前だ、一日一日をどう過ごしたかなんて覚えているはずがない。
桜が満開になっていることは知っていた。毎日見ていた。でも、3月31日なんて全然実感がなかった。定時を過ぎて仕事をしていると、だんだん年度末の実感が湧いてきた。明日が土曜日で、休みだからかもしれない。地続きだったのものが、一度区切りを迎えるような。

前半のことはもう覚えていないけれど、とくに後半は、仕事が苦しかった。終わりの見えない仕事、終わりのない育成。育成というとおこがましいけれど、あとから入ってくる方々のサポートに関わらせてもらってから、人と向き合うことをあらためて学ばせてもらっている。言いたくないけれど伝える厳しい言葉、それを受け止めてくれる後輩にありがとうと思うし、葛藤をしながらだけど葛藤をしていなければ一方的になってしまうと思う。良いメンバーで仕事をさせてもらっている。自由な自分らしい自分でいれることが本当にありがたい。
また変化がある、本当に不安だけど、働いてるみんなが、ここで働いてて楽しいと思えるようにはがんばりたい。

目標というと、もっとゆるやかに生きたい、それだけな気がする。ずっと言っているかもしれない。
毎日をきちんと呼吸をしながら過ごしたい、料理をたのしんでやりたい、好きな時にピアノを弾きうたいたい、休みの日でも外に出て少し遠くまでおさんぽしたい、本も映画もたくさんみたい。
いつも余裕と気力が足りなくて急いたり身体が思うようにいかずに眠っていたりする。ただゆったりと過ごしたいという、それだけなのに、途方もなくむずかしい。

資格の勉強も兼ねて、来年度から、週4日に勤務を減らすことにした。金銭面のことも考えると、大きな決断だった。ずっと取ると決めていた国家資格を取りたかったのもあるし、社会人になってずっと働いてきて、少しだけでも立ち止まる時間がほしかった。
夏までは勉強にもそこまで追われない予想、ほんとうにまずゆるやかに過ごしたい。仕事でも、急いできゃっきゃと笑うよりも、おだやかにゆっくり笑いたい。だれかにイライラすることもしたくないし、それってきっと余裕がないからだれかに責任を求めてしまうということ。仕事は好きだけど、キャパが仕事に傾きすぎると生きることがたのしくなくなってしまうし、一番やさしさを注ぎたい相手にやさしくなくなってしまうのだ。

どうか、もっと生活も仕事もたのしめますように。日常を大切にできますように。やさしくなれますように。3月31日の祈り。

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