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13年経って、やっと腑に落ちた気づき-アフター巡礼道-

今朝、ランマと朝の散歩中、
雨が降り出したの。

たまにあるよね。
周りは晴れてるのに
この辺だけ曇って急に降り出す時。

宮古島にもしょっちゅう
この現象が起きるけど

今日はなぜかふっと
13年前の巡礼道のことが蘇ってね。

冬のスペインの山や野原や町中を
毎日20∼30km歩いてたその時も
突然雨が降ってきたりしたけど、

ある日、
疲れ切って、やっと歩いてる
山道の中で雨が降りだしたんだよね。

腹が立ってきて
わんわん泣きながら
天に向けて怒りをぶつけたの。

「いい加減にしてよ!
もう本当疲れてるんだよ!
今まで頑張って生きてて
ここまで来て一所懸命歩いてるのに
何で急に、ここだけ雨を降らせるのよ!」

と、怒りまくってたら
どんどん内側がしーんと静かになって

「怒って何の意味があるんだ、
ここに来ると選択したのは自分じゃないか、
天気は本来、読めないもの、
受け入れて進むしかない」

という心の声が聞こえ
淡々とまた歩き続けてた。

そして
今朝の散歩でふっと

13年が経った今でも
まだ受け入れてない
私がいることに気づいたの。

もちろん当時よりは
成長したこともあるよ。

もうそんな怒りはしないし、
選択したのは自分自身であって、
全ては変化している、
ということは
はっきりわかっている。

しかし、
未だにそれを「受け入れようとしている」状態であって
完全「受け入れている」状態ではないんだよね。

「受け入れて進むしかない」と
「受け入れて進もう」は

言葉では微妙なニュアンスの差だけど
意識のレベルでは次元が違う。

人生と向き合う無意識な態度が
そのまま表れている。

シンプルに言えば
「受動的」か「主体的」かの違いだし、

受け入れることを受け入れることで
主体的に生きるという意志でもある。


とにかく、
大事なことは
今までどうだったかではなく
「今」そして「これから」

決める時なんだ。

「受け入れて進むしかない」、
「受け入れて進もう」から

さらに意識をクァンタムジャンプさせて

受け入れて進んでいることが普通過ぎて
わざわざ思い出したり、心に刻んたりする必要もなく、

いつ、どこで、何をしても
いつ、どこで、何が起こっても

「ただただ純粋に楽しんでいる状態」を
無意識態度、そして生き方にする。

「今ここ」で決めたの。








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