美しいへの心の反応とその先
精神分析は通い出して9ヶ月ほど経った。
通い始めた当初は、ただ楽になりたい。錆び付いて操縦不可能になり、壊れたように勝手に呼び起こされ続ける辛い記憶から私を解放してほしい。その思いだったとおもう。
今は、その苦痛を乗り越えた自分がいることを感じられる。
この数日、姉2人とよく連絡を取る。内容は私たちの両親と、幼い頃のその家庭環境への記憶や想いや考えだ。
今まで、こうやって姉妹でじっくり話し、その頃と今への影響や今の思いを伝え合うことってしてこなかった。
出来なかった、というのが事実だろうと思う。
3人の受け取りかたや、考え方はそれぞれだけど、それでも幼少期の経験や記憶に穏やかな暖かさや、心の安らぎや楽しみを感じられることは残念だけどなくて、幼少期の家庭環境という人生の土台がぐちゃぐちゃであったことを心を痛めながら、それぞれが受け入れる努力をしていることには共通していると思う。
ここに来て、家族として支え合える関係がここにはあった、と2人の姉の存在を受け入れられている私がいると感じる。弱音を吐いたり素を見せたり、これから自分たちなりの良い関係を作っていきたいと初めて思えた気がする。
他人がなんなのか、家族がなんなのか、よく分からないできたけど2人の姉という家族がいて良かった。
美しいものに反応できるこの心で、姉はもちろん友人にもその先へも自然なつながりが生まれることを楽しみにしている。
少しずつ少しずつ自分を知り、そのままの自分で身近な人、大切な人と関わっていきたい。
「饗宴」を読んでいる影響もあり、冒頭のこのタイトルにした。
その本を読みながら、私は美しい布との関わりをきっかけに、美しいへの心に関わっていたいとしがみついて来た道筋を振り返っていた。
そうしていると昨日、割れていた私の中の2つが繋がったように感じた。私が心を傾けて掬い上げるべき大事な気持ちがここにはあったな、と気づく。
自分を分からずに無理をしてきたことは多いけど、発端は、美しさに感動し大きく動揺もした自分の"心"との出会いとその存在への興味だった
と今は思う。
これからは、その興味を大切に大切に育て深めながら、好きだと思う心の通わせたい人達と共有していきたい。
長い苦痛から解放された今の私は、そんなことを淡くもキラキラした気持ちで思いはじめている。