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修行なし。独学でラーメン屋をオープン。繁盛して天狗になった僕の末路。

今日は僕が天狗になっていた時の話をします。

人間は、うまくいっている時は、勘違いしてしまう生き物だと思います。うまくいっている時は、なんでもうまく行くような気がする。そして、それが本当にうまくいきます。

逆に、うまくいかない時って、やる前からなんだかうまくいかない気がしてしまって、やっぱりうまくいかない。

僕は29歳で個人事業主として飲食業を始めて、ラーメンの修行もせずに、自分で食べ歩いたり、専門書を読んだり、ラーメン店の先輩店主に教えてもらってたりしながら自分のお店のラーメンは進化させていき、繁盛店を作り上げました。

「2年で行列店を作る!2年で行列が出来なければやめる!」

その時から終わりを決めてお店をスタートして、結果その目標は達成されました。

最初は「居酒屋メニュー+ラーメン」のお店でした。

朝の5時まで開けていました。

ランチ営業もやっていました。

午前5時にお店を閉めて、片付けが終わるとそこから弟子と飲みに行き、午前8時ごろに帰宅して、仮眠して、また12時からお店に立ってラーメンを作ると言う生活を8ヶ月間続けました。

そうしないと、お店の家賃や従業員に給料を払えなかったからです。

今から考えるとめちゃくちゃな働き方だし、その時はなぜか飲みに行かないとやってられなかったし、体力的にも限界だったと思いますが、楽しかったんですよね。

全然お客さんも少なかったけど、必ず繁盛店を作ってやると言う目標があったから、毎日一つでも多く試作をして、学んで、ラーメン作って、接客もがんばりました。必死でした。

この時期に、僕の飲食人としてのスキルや実力はかなり磨かれたと思います。

そして、少しずつ僕の作るラーメンが口コミで話題になり、暇だった店がだんだんと忙しくなり、オープンから閉店までお客さんが途切れなくなってきました。

満席になることも珍しくなくなった頃に、お店の経営状態も余裕が出てきました。

そこで、繁盛店になるきっかけとなる出来事が起きました。

当時、無名だった鶴麺に突然、歌舞伎役者の中村獅童さんがご来店されたのです。

一瞬緊張で固まりましたが、スタッフみんなで落ち着きを取り戻し、いつも通りラーメンをお出ししました。

獅童さんは僕たちのラーメンをすごく気に入ってくださり、その後、大阪での歌舞伎のお仕事がある時は必ずと言っていいほどお店に来てくれるようになりました。

そして、獅童さんはテレビ番組で行きつけのラーメン屋として鶴麺を紹介してくださいました。

そこからです。次の日、お店のシャッターを開けると30人以上の行列。それが2、3日ではなく数週間続きました。

このブレークをきっかけに、鶴麺はどんどん繁盛店になって行くわけですが、冒頭にも言ったように、僕もどんどん天狗になって行くわけです

うまくいている時は、なぜかさらにうまくいくもんです。

自分には才能があると勘違いします。

内から湧き出る無双感。大袈裟に言うと、天才にでもなったかのように自分の能力を自分で過大評価してしまいます。

めちゃくちゃ努力してそうなったのに、自分にはもともと才能があったと思いたくなるのが人間なんですよね。

そして、2軒目のラーメン店をオープンして、そのお店も1年経たないうちに大ブレイク。本店の売り上げを超えるお店になりました。

2軒のお店を繁盛させて、正社員6人、アルバイトも10人ほどと、今から思えば大したことない規模なのに、全能感すら覚える自己肯定感マックスな状態でした。

そしてついに僕は人生最大の勘違いとも言える考えに至ってしまうのです。

(ここからは、若かりし頃の自惚れマックスのお話になるので)

「僕にとって、日本でラーメン店を流行らせるのはもうイージーすぎる。海外へ行こう!」


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