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「普通」という「容れ物」に入りたがって、中身の「自分」が幸せかどうかを見失いがちな私

先日、私の人生史上最低最悪の親不孝を働きました。
両親に、離婚届の証人欄に署名をもらったのです。
お母さんは、泣いていました。


お母さん…お父さん…
ごめんなさあああああああああああああいいいいい
死にます、まじでむごい死に方をして詫びます、本当にごめんなさい…。

30近くにもなって親を泣かせている自分をスパナのようなもので200回は殴りたかったし、とにかくこんな地獄絵図は無い、って思いました。
離婚は、私の人生史上最も最低最悪な親不孝なんだと悟りました。
「どうして離婚なんて一番不幸な道を選ぶの?」
「誰だって離婚を考えることはあるよ、それでも乗り越えていくのが結婚なんじゃないの?」
「離婚届なんていつだってだせる。ここから何度も考え直しなさい」
と、お母さんにも、他の人にも、何度も言われました。
まるで自分だけ頭が狂っていて、やってはいけないことをしているような気分になりました。


ということを、先日大好きな友人に話したんですよね。
そしたら、
容れ物=幸せじゃないでしょ、
肝心なのはその容れ物に入ってる自分自身であって、
自分自身が幸せかどうかが重要なのであって、
容れ物にこだわってたら自分を大切にできないよ。
だから、結婚してるから幸せ、とか離婚したから不幸、とか
そんなことじゃなくて、容れ物がなんだろうが、
あなたが幸せかどうかにフォーカスしないと。
あなたが幸せかどうかなんて、あなたにしか分からないんだから。」
と。
(本当に素晴らしい神のような言葉なので、同じようなことで悩んでいる人に共有したくて書きました…一緒にこの言葉で癒されましょう…号泣)


6年付き合って結婚して、2年の結婚生活を経て思うのは、
愛って、許すこと、受け入れること、って思います。
許す力や、相手からの愛情、相手の過ちを受け入れる力を、
この結婚生活を経て少しは得られたんじゃ無いかなあと思います。
愛するってめちゃくちゃ苦しいな、
でも、愛するって、めちゃくちゃ学びがあって、この上なく素晴らしい行為だって、思います。
愛って素晴らしいものですよね。
でも、その愛って私を幸せにしたのかな?

多分、学びを得た今、私は結婚生活を続けて、愛をもっと育んでいくことが出来ると思います。
もっともっと、私の大好きだった旦那さんとの愛情を育んで、結婚生活を深めていくことが出来ると思います。
でも、私の寿命は有限なのです。
人生は一度きりなのです。
私が不老不死だったら、これから何度だって愛を深めていきたい、許していきたい、受け入れていきたい、と思うのですが、
これからもずっと浮気相手の顔を思い出し、
いつ消えるかも分からない不安とともに、大好きなクリスマスにすら心からときめけず、
もう泊まれないホテルや行けないお店や行けない駅や思い出したく無い歌や小さい頃から大好きだったけど今では世界で一番大嫌いなキャラクターや思い出したく無いスニーカーのブランドや思い出したく無い色があって、
何より、大好きだった旦那さんの言葉や笑顔が、どんなに本当だとしても、全て本物だと思えないこの生活を、
限られた人生の時間の中で、私はあと何時間、心から幸せと思って生きていけるのでしょうか。


愛することって、
すごく正しくて綺麗で、なんか人生の正解っぽく聞こえるじゃないですか。
愛を全うすることこそが素晴らしい人生、みたいな。
(私だけだったらすみません。ディズニーで育ってきたタチなので、愛、最高!最強!みたいな認識がクソ刷り込まれてるもんで…だもんで…)
でも、私すごく思うんです。
その愛が、自分を幸せにしないのなら手放してしまう、ということこそが自分への愛なんじゃないかって。
(自分を幸せにしてくれないものなんてそもそも愛じゃないわこの青二才が…と思う方もいるかもですが、色々な考え方があるのでちょっと、あの、すんません)
愛は素晴らしいもの、愛を諦めるなんていけないこと、
みたいな、愛にとらわれた考え方を改めようと思います。
それに、離婚するからといって、旦那さんをもう愛さないわけじゃない。
信じられないかもですが、私は旦那さんを今もなお愛しているし、
むしろすごく、最高に仲が良かった6年間より、状況は最悪でも、今の方が旦那さんをすごく愛しています。

今までは旦那さんと愛情を育むことが私にとっての「愛する」という行為であり、それは私をこの上なく幸せにしてくれました。
それはもう、幸せな、幸せな、幸せな日々でした。
今はその形を変えたいだけです。
愛情を育むことは変わらず私にとっての「愛する」という行為ではありますが、
不老不死ではなくいつか死んでしまう私にとって、
その「愛する」という行為に伴う終わりの見えない痛みや苦しみに耐え抜くことよりも、
自分自身を愛し、また別の道で、素晴らしい、新しい愛を見つけに行く、という方が、私自身を愛するための適切な道になった、ということです。
最愛の人と別れる、ということが今の私への最大の愛なのです。

これから先、どんな「容れ物」に入っていようと、
その中身に幸せがちゃんとあるか、いつも忘れず確認していこうと思います。
私がちゃんと今幸せな状態にいるのか、
何かに疑問を持っていたり、不満は無いかどうか。
「皆我慢して生きてるよ、それが普通だよ」
「そんなことも耐えられなくてどうするの」
とか、そんな声は気にしなくていいのです。
肝心なのは、自分が幸せかどうか。
ものさしはいつも自分が持っていて手放してはいけないのです。
(こいつこの結論に辿り着くの何回目だよって目で見ないでくださいや…)

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