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その言葉に意味なんてなくていい、その音に君の気持ちがこもってたから意味があったんだ。

先週の土曜日、クソ面白い出会いがありました。

ふと、「一人で飲みに行ってみたい」と思い、
なんだかよさげなバーに、生まれて、初めて、一人で飲み行ってみました!
と言いながら元々お酒に弱い体質なので、「2杯くらい飲んだら帰ろう」くらいの気持ちで乗り込むことにしました。
楽しくなかったとしても、一人飲み童貞を捨てられればいいかな、くらいの気持ちでした。

店のドアを開けるまでまあまあ緊張がありましたが、思い切って開けてみると特に入りづらいでもなく、静かで落ち着いた店内。
バーと言ってもスナックみたいな感じで、女性二人がカウンター席で静かに飲んでいて、おお、、おとな、、と思ったのですが、意外にも一人は若い大学生くらいにも見えるような方。
ほうほう、こういう感じなのか、一人で飲みにくる人は必ずしも峰不二子みたいな感じじゃないんか〜と思いながらボーっとお酒を飲んでいると、なんとなく流れで後から隣に座ってきた男性と話すことになりました。
いや、その出会いがまさに今から書きたい面白い出会いなのですが、(恋愛要素一切ありません)一言で言うと、大人になっても友達ってできるんだなあと改めて思った、って話です。

私がクソほど大好きな下ネタラジオを相手も好きだったという偶然から始まってすぐ打ち解け、好きなゲームの話、子供の頃見ていたアニメの話、お互いの名前も知らないまま4時間ぶっ通して爆笑し、時になぜか泣きながら違いに手を握り合って他愛のないことを語りに語り合いまくりました。
大人になってからこんな風に友達ができるなんて、ほとんど無くないですか?
会社とも、学校とも関係ない場所で、こんな風に友達を作る、という経験が今までほとんどなかったので、私にはすごく新鮮だったし、すごく嬉しい経験でした。
ソロ活にはやはり予想外な展開が待っている、ひとりじゃないと起き得なかったハプニングだったなあとしみじみ思いました。

で、今回書きたいのが、友達ができておもろい夜でした、ってだけではなく、彼に言われた言葉に思うことがあった、ということです。
お互いの身の上話になった時に、
私は離婚経験があるということ、でもまだ元パートナーのことが好きだということ、
彼は年上のシングルマザーに片想い中だということ、今まで元ホストとして色んな女性や恋愛を見てきたことなどについて話しました。
そんな彼に言われた言葉が、「人をもっと信じていいと思うよ」ということ。
初対面だからしょうがないけど、クソ無責任なこと言うやないかい。
信じたいときだけ信じとるわ。
「浮気は、病気でやってるか、そうなるまでの過程の中で二人に原因があるかのどっちかじゃん。
多分今回のことは後者だったと思うよ。
二人が頑張ってきた結果そうなっちゃっただけで、どっちかだけが悪いってわけでもないじゃん。
でも、おっちゃった傷は癒して前に進んでいかなきゃじゃん。
俺はなんとなく、人につけられた傷は人で癒されることがあると思うよ。
だから、怖いかもしれないけど、その相手が新しい男でも、元々の男でも、友達でも、とにかく誰であれ、もう一回人を信じて悪いことはないと思うよ」
なんか、漫画に出てきそうなこと言うとる…。
こいつ酔ってイケメン気取り始めたんかと思いながら、心のどこかで言われた言葉を反芻していました。
人につけられた傷は人で癒されることがある、というのは、反射的に私的には無理だし、自分で治すからほっとけい、他人に関係ねえんじゃって思う反面、
心のどこかでもしかしたら、そういうこともあるかもね、とも思ってしまう。

私以外の全人類、皆、全然知らない人で、お母さんやお父さんすらほとんど知らない、どんな思いでどんな孤独を抱えて生きているのか。
これからも知る由もない。
ましてやピンクの髪の元ホストがどんな人生を送ってきたのかなんて想像もできない。
何考えてるかなんて、わかるわけがない。
それなのに、漫画で読んだらさむすぎて「しんど」しか反応出来ないような言葉を、この人が言うから、意味があったように思えてしまったんです。
この人がまっすぐ私にくれた言葉だったから、意味を持って私の耳に届いたのかもしれないと思いました。
人ってすごい。
自分の殻に閉じこもってばかりでは、知り得なかった。
ほら、案外、そういうこともあるのかもしれない。
だって、私は既に、いつの間にか新しく出来た友達のことを、少し信じて身の上話なんかしちゃって、しんどい言葉(ごめん)をもらって、すごく嬉しいなって、すごくありがたいな、幸せだな、と思っている。
言葉の中身はどうだっていい。
相手が誰だってどうでもいい。
ただ、その言葉から、他人の優しさや愛情が込められているのなら、それこそが私の世界で唯一意味を持つんだと思うのです。
心のこもってない「愛してるよ」とか心のこもってない「お誕生日おめでとう」なんかより、4〜5時間分の私しか知らない誰かにもらった言葉の方が、私に不思議に前向きな力をくれるんだと、知りました。

その後、終電に間に合うように少し早い時間に解散しました。
帰り道でも、ずっと爆笑が止まらなくて、小学校の時近所の友達と喋りながら帰ってたことを思い出しました。
まるでまた明日も会えるような気がしながら改札で別れた時、振り返ると、見えなくなるまで見守ってくれている姿が見えました。
柄にもなく大きく手を振った自分にびびりながら、「生きる、ってクソおもろ」とその日一番しんどつらすぎ痛すぎワードを心の中でつぶやいてしまったのですが、はい、そんな厨二な夜も、ありますわ。

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