優生思想を否定する人たちへ

優生思想とは?

優生思想(eugenics)は、遺伝的な特徴を改善することを目的として、人間の繁殖を管理・制御しようとする考え方や運動を指します。この思想は19世紀末から20世紀初頭にかけて、主に西洋で発展しました。

優生思想の主な目的は、望ましい遺伝的特徴を持つ人々(知能が高い、身体的に優れている、健康であるなど)を増やし、望ましくない特徴を持つ人々(遺伝性疾患や精神障害を持つなど)を減らすことです。これにより、社会全体の遺伝的「質」を向上させようとするものでした。

しかし、優生思想は非常に問題のある考え方として批判されています。その理由は、以下の通りです:

  1. 人権の侵害: 優生思想に基づく政策やプログラムは、個人の自由と権利を無視し、強制的な不妊手術や結婚禁止、さらには命を奪うといった人権侵害を行うことがありました。

  2. 差別と偏見の助長: 優生思想は、人種、民族、性別、障害の有無などに基づく差別を正当化し、社会的不平等を助長しました。特にナチス・ドイツにおいては、ユダヤ人や障害者などが「劣等」とみなされ、ホロコースト(大量虐殺)に繋がる重大な人権侵害が行われました。

  3. 科学的根拠の欠如: 優生思想は、科学的な誤解や偏見に基づいており、人間の行動や特性が単純に遺伝だけで決定されるという誤った考え方を含んでいます。現代の遺伝学や社会科学では、環境要因や教育、社会的影響が個人の特性に大きな役割を果たすことが明らかにされています。

そのため、優生思想は現在では倫理的に許容されないとされており、多くの国や国際機関はこの考え方を否定しています。

優生思想の歴史

優生思想(eugenics)の歴史は19世紀後半から20世紀中頃にかけて発展し、特に西洋諸国で社会政策や科学の一部として取り入れられました。この思想の発展とその結果について、以下のように時系列でまとめます。

1. 起源と初期の発展(19世紀後半)

  • チャールズ・ダーウィンの影響: 優生思想は、チャールズ・ダーウィンの「自然選択」に関する進化論から影響を受けています。ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトン(Francis Galton)は、これを人間の社会に応用できると考え、1883年に「優生学」(eugenics)という用語を初めて使用しました。彼の考えでは、社会の「質」を向上させるために、人間の「望ましい」特性を持つ者の繁殖を奨励し、「望ましくない」特性を持つ者の繁殖を制限すべきだとされました。

  • 初期の社会的影響: 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ゴルトンや彼の支持者たちは、統計学と遺伝学の知識を組み合わせ、知的能力や犯罪傾向、貧困などが遺伝的要素に依存しているという仮説を立てました。これにより、社会の改善には人間の遺伝的「質」を管理することが必要だという考えが広まりました。

2. 20世紀初頭の拡大(1900年代 - 1930年代)

  • アメリカ合衆国と優生政策: アメリカでは、優生思想が広まり、20世紀初頭にいくつかの州で強制的な不妊手術が合法化されました。特に、1910年代から1920年代にかけて、多くの州で精神疾患や知的障害を持つ人々に対する強制不妊手術が行われました。カリフォルニア州はこの分野で最も積極的で、全米の強制不妊手術の約1/3がここで実施されました。

  • 優生学会と国際的影響: 1920年代には、国際優生学会が設立され、アメリカ、イギリス、ドイツ、スカンジナビア諸国などで優生思想が影響力を持つようになりました。これらの国々では、移民制限、強制不妊手術、そして特定の「望ましくない」人々に対する社会的支援の削減といった政策が進められました。

3. ナチス・ドイツと優生思想(1930年代 - 1940年代)

  • ナチスの優生政策: ナチス・ドイツにおいて、優生思想は極端な形で政策に組み込まれました。ナチスは、アーリア人種を「最優秀な人種」とし、他の人種や「劣等」と見なされた人々(ユダヤ人、ロマ人、障害者など)に対する抑圧と虐殺を正当化しました。1933年に「遺伝的健康に関する法律」が制定され、これに基づいて強制不妊手術が広範囲で実施されました。また、障害者や「遺伝的に劣る」とされた人々に対する「安楽死」計画(T4作戦)も行われました。

  • ホロコーストへの道: 優生思想は、ナチスのホロコースト政策の一部としても使われ、600万人以上のユダヤ人、数十万人のロマ人、障害者、同性愛者、その他の「非適格者」と見なされた人々が殺害されました。これらの行為は「人種的純粋さ」と「社会の質の向上」を目指したとされましたが、実際には極端な差別とジェノサイド(大量虐殺)でした。

4. 戦後の批判と衰退(1940年代後半 - 20世紀末)

  • ニュルンベルク裁判と国際的批判: 第二次世界大戦後、ナチスの戦争犯罪が明らかにされ、優生思想に基づく政策が人道に対する罪として国際的に非難されました。ニュルンベルク裁判では、ナチスの医師たちが優生政策とその結果に対して責任を問われました。

  • 優生思想の衰退: 1940年代以降、優生思想は急速に衰退しました。多くの国が優生政策を見直し、強制不妊手術や人種的優越に基づく政策を廃止しました。さらに、20世紀後半には人権や個人の自由が重視されるようになり、優生思想は倫理的に容認できないものとされました。

5. 現代の視点(21世紀)

  • 現代の遺伝学と優生思想: 現代の遺伝学では、優生思想に基づく単純化された遺伝の考え方は否定されています。人間の行動や健康状態は、複雑な遺伝的および環境的要因の相互作用によって決定されると考えられています。また、現代では個人の自由と人権が重視され、優生思想に基づく政策は倫理的に許容されないとされています。

  • 新たな形態の優生思想への懸念: しかし、近年の遺伝子編集技術や遺伝子スクリーニングの進展により、新たな形態の優生思想が再浮上する可能性が懸念されています。遺伝子編集技術を利用して「望ましい」特性を持つ子どもを選択することができるようになると、優生思想の復活につながる恐れがあります。このため、倫理的なガイドラインの策定と適切な規制が重要視されています。

優生思想の歴史は、人間の遺伝的「改善」を目指すという一見合理的な考え方が、いかにして人権侵害や差別、暴力へとつながるかを示しています。現代社会においては、この過去の教訓を踏まえ、個人の自由と人権を尊重することが不可欠とされています。

日本と優生思想

日本における優生思想の歴史は、主に20世紀前半から中頃にかけて発展し、その影響は戦後まで続きました。以下は、日本における優生思想の展開とその影響についての概要です。

1. 優生思想の導入と発展(1900年代初頭 - 1945年)

  • 初期の優生思想の影響: 日本では、優生思想は19世紀末から20世紀初頭にかけて西洋から輸入されました。西洋の科学と医学に強く影響を受けた日本の学者や医師たちは、遺伝学の発展とともに優生学に関心を持ち始めました。特に、明治時代末期から大正時代にかけて、欧米の優生学的な思想が日本の医療・社会政策に影響を与えました。

  • 優生学的研究と学会の設立: 1910年代から1930年代にかけて、日本でも優生学に関する研究が活発になり、「日本優生学会」や「日本人類遺伝学会」などが設立されました。これらの学会は、遺伝的「質」の向上を目指す研究や議論の場として機能し、日本社会における優生思想の普及に寄与しました。

  • 政策への影響と「国民優生法」: 1940年、日本政府は「国民優生法」を制定しました。この法律は、「遺伝的に望ましくない」子どもの出生を防ぐため、特定の遺伝性疾患を持つ者に対する結婚の制限や、精神障害者や身体障害者に対する不妊手術を認めるものでした。この法律は、国家の資源を効率的に管理し、「質の高い」国民を増やすことを目的としていました。

2. 戦後の優生政策と「優生保護法」(1945年 - 1996年)

  • 戦後の状況と「優生保護法」の制定: 第二次世界大戦後、日本では1948年に「優生保護法」が制定されました。この法律は、戦前の「国民優生法」を改正し、精神障害や遺伝性疾患を持つ者に対する強制不妊手術を合法化しました。これは、戦後の経済復興のために「人口質の改善」を図るという目的で行われたものです。1948年から1996年にかけて、約25,000人が強制不妊手術を受けたとされています。

  • 社会的影響と批判: 「優生保護法」のもとで行われた強制不妊手術や中絶は、当時の社会において特に障害者や貧困層に対する差別を助長しました。この法律は「望ましくない」遺伝的特徴を持つ人々の数を減らすことを目指していたため、社会全体で障害者に対する偏見が強まり、差別的な扱いが正当化される要因となりました。

3. 優生思想の見直しと「母体保護法」への改正(1996年以降)

  • 優生思想に対する批判と法改正の動き: 1990年代になると、障害者権利運動や国際的な人権の意識の高まりを受けて、「優生保護法」に対する批判が強まりました。特に、強制不妊手術を受けた人々からの声が上がり、政府や社会に対して優生政策の見直しを求める動きが活発になりました。

  • 「母体保護法」への改正: 1996年、「優生保護法」は「母体保護法」へと改正されました。この改正により、優生上の理由での強制不妊手術は廃止され、女性の健康保護を主な目的とする法律に変更されました。この法改正は、日本における優生思想に基づく政策の終焉を示すものであり、優生学的な考え方からの決別を意味しました。

4. 現在の状況と反省

  • 被害者への謝罪と補償: 近年、強制不妊手術の被害者たちは、国に対して謝罪と補償を求める声を上げてきました。2019年、日本政府は「旧優生保護法に基づく優生手術等に対する一時金の支給等に関する法律」を制定し、被害者に対する補償を行うことを決定しました。しかし、補償額の低さや対象者の限定性に対して批判の声も上がっています。

  • 社会的な認識の変化: 優生思想の歴史的な影響を反省し、日本社会では障害者や遺伝的多様性に対する認識が徐々に変化してきました。現在では、障害者の権利を尊重し、インクルーシブな社会を目指す動きが進んでいます。これは、人権を尊重し、全ての人々が平等に生きる権利を持つべきだという国際的な潮流とも一致しています。

まとめ

日本における優生思想の歴史は、戦前から戦後にかけて国家政策として取り入れられ、多くの人々に強制不妊手術を行うなどの人権侵害が行われた歴史があります。現在では、これらの過去の行いに対する反省と補償が進められており、社会全体で障害者や多様な人々の権利を尊重する方向へと向かっています。

雑感

前の段落まではChatGPTが5分で書いてくれたので私自身もよく読んでいないのですが、優生思想はヒトラーがそうだったからとかよくないだとか、差別的でよくないとか、人権がーとか、そういった類のリベラルの妄想的な主張をなんの疑問もなく受け入れてわかった気になっている反優生思想のひとたちに向けて、一言いいたいです。

あなたが若かったころ、配偶者をどのようにして選別したのか、または、まだ独身の人はこれからどう選別するのか。

デブはいや、不細工はいや、大卒以下はいや、年収800万円以下はいや、運動音痴はいや、身体障碍持ちはいや、知的障碍持ちはいや、アトピー持ちはいや、抗うつ薬の服用者はいや、ADHDはいや、黒人はいや、刺青入れてるやつはいや、ヲタクはいや、前科持ちはいや、コミュ障はいや、吃音持ちはいや、身長170cm以下はいや、チー牛はいや。

それってめっちゃ優生してますよねぇ。

国がやってないだけで、現代においても個人がなんの躊躇もなく、後ろめたさも感じずに、優生思想に沿って行動している。

配偶者を得られず、子どもを作れない人たちの遺伝子は淘汰されてしまうんですよ? わかってます?

その人たちの人権はどうなってしまうんですか?
子どもを残す権利は?
それって平等ですか?

いや、さすがに。人権と平等を重んじる高尚なリベラルの方々であれば、イケメンと結婚し子どもをつくるような優生的な選択をするのではなく、自ら知的障碍を持った異性や、ガチ40代の引きこもりニートとの恋愛からの繁殖を、簡単に言うと弱者と位置付けられる人たちとの結婚・出産を積極的かつ自主的にしにいっているはずですよね。

反優生主義で、かつ金持ちイケメンを狙いに行ってるやつとか、もし存在したらですけど、ダブスタすぎてちょっと頭おかしいでしょ。

はぁ、悲しい。

リベラルのひとたちって、よくこういう人権を守ろうとか平等とか、意識高くて薄くて軽いことをペチャクチャいうんですけど、自分に関係ないことが条件というか、自分に火の粉が降りかかってくると手のひら180度ひっくり返してくるんで、主張は鵜吞みにしないほうがいいです。

私の立場としては、優生思想は普通にあり。ただ、過去の歴史にあるように国が範囲を定め、強制的に去勢・不妊を行うのはやりすぎじゃね?って立場です。


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