気持ちに順位をつける
今。
・眠たい
・note書きたい
・洗濯物畳みたい(というより畳まなきゃ)
・子どもたちの明日の準備(しなきゃ)
・洗い物(しなきゃ)
・リビングのリセット(以下同)
眠たい時に寝た方がいいな。とも思うけど
やりたいことはnoteかな。
家事はやれたらいいけど
「やらなきゃ」に囚われると辛いよな。
理想は家事などやることやってから
自分の好きなことをやれたらいいけど
わたしのキャパでそれは無理らしい。
今日もビーズのシールを子どもたちと2セットもやっていたから家事は進んでいなくて当然。上出来だ。
で、今1番やりたいことはなんだろう。
眠たい。だけは生理現象だから
寝た方がいいか?
いや、こうやって脳内で
順位づけしていることをnoteに書きたい。
こうして、いつも順位づけすることを心がけている。
順位を付けた結果やりたいことを優先しているから家が汚いのだと
原因がはっきりしてしまったけれど
今日のところは一旦おいておく。
断捨離にも順位づけが必要。
まさに今は写真整理の真っ最中で、
前回のnoteで3万6千枚になったと記したわたしの写真フォルダは
地道な作業で約3万枚まで減らすことができた。
どの写真を優先するかを考えることもそう。
自分が今どうしたいのか、何を選びたいのか
考え続けることは疲れるけど、
自分の選択に自信を持てるようになるだろうし、
その作業は繰り返すほどに上達していくだろうと思う。
優先するものを選ぶことは
同時に切り捨てるものも選んでいることになる。
noteを書くことを選び、
早寝を切り捨てたように。
わたしが苦手な選択がある。
それは主に対人関係で
例えば、
良い人ぶってしまう自分
vs
我を通すこと
我を通すとは悪い意味で使われることが多いけど
単に多数決の少数派なだけとか、
相手の思う通りに動かなかったから相手からすると我を通しているなんて言われるけれど
よほどの自己中心的な考えでない限りは
悪いことではないと思う。
自分には出来ないからむしろ憧れているし、
相手が我を通していると思う人もまた自分の我を通したかっただけじゃないか!と思う。
(何に怒っているのですか
良い嫁でありたい自分と
義父母に言い返したい、我を通したい自分。
母と仲良くしたい自分と
会うと疲れるから会いたくない自分。
まだまだ順位がつけられる日はこない。
毎日自分の気持ちと向き合って、
いつか矛盾する二つの気持ちに順位が付けられる日が来るといいな。
今日はやりたいこと1位のnoteを書くことが出来た。
明日の自分は洗濯物を畳みたいが1位であることを期待する。