お久しぶりです。 前回の投稿から約3年!空きすぎ、、 長いようであっという間な年数を重ねて、 ようやく新卒で入った営業会社を丸2年勤め上げ、また新たな職場で再スタートです。 初めての社会人本当につらかった。 けど、何より楽しかったな 楽しかった! こんな感情になるなんて辞めるまでは気付かなかったな。 初めて入った会社は、朝から夜まで働き詰めだった。睡眠3時間で1ヶ月乗り切った時もあった。 契約取れずに帰ってきたら激詰めされた時もあった。 日々泣きながら、『毎日死ぬ
マスクをした私は日傘を片手に今日も電車に揺られている。見えない敵と戦いながら
20代になると、「10代の頃は何も考えてなくて楽しかった。」 高校生になると、「中学生の頃は良かった」 大学生になると、「高校生の頃は良かった」 きっと就職したら、「大学生の頃は良かった」と思うのだろう。 年齢を重ねるたびに、何年か前の自分を思い出しては、あの頃は良かった最高だった、と言って今の自分が喪失感に襲われることがある。 でもね、よくよく考えてみると結局私の人生最高じゃん!?! 結局今の自分もまたすぐにあの頃は良かった、若い頃は良かった。と思うのかも…。 今
私達は聖者と違って自分の敵を愛するのは無理かもしれない。けれども、自分自身の健康と幸福のために少なくとも許し、忘れてしまおう。それこそ、賢明というものだ。『道は開ける』D・カーネギー
『ただ共感して欲しかった...』 その言葉にハッとした。 相手のためだと思い込んで正義感振りかざした私の言葉は逆に相手を傷つけてしまった。 『それはおかしいよ』 『本当にそれでいいの?』 自分の中では相手のことを思って言ったこと。 けどそれは言い訳に過ぎなかった。 * 世の中には正論を言う人が沢山いる。けど中にはその正論は相手のなんの役にも立たないこともある。 コミュニケーションにおいて、その正論ってそんなに大事ですか? 考えてみて欲しい。 学校来ない友達に
今日の帰り道はいつもより自転車のペダルが軽く感じるほど幸せ満開な気分だった。 というのも、高校からの仲良しグループと遊んだ帰りは決まって今日の出来事を思い出し、鼻歌を歌いながら家に帰ることが多い。 その理由はすでに明らかで、 只々褒められたから。(笑) きっと読者の中には単純かよ。と冷笑する人がいるかもしれない。 でもはっきり言える。私は褒めることよりも褒められことが多い。そして常に『褒める』よりも『褒められる』ことを重視している。 * 『あーすごいな』
自分の価値は自分で下げてはいけない。 何年か前までの私は友達で集まると必ず自虐を披露し、笑いを取っていた。所謂そのグループのボケ役であり、いじられ役であった。 その頃はみんなが笑ってくれるのが嬉しかったし、そこが自分の居場所だと思っていた。 そのうち、ボケ役が定着しくると今度は発言するたびにうるさいと言われ、叩かれ、蹴られ、頭ごなしに否定された。 その場所がどんなに辛くて息苦しい場所になっても、そのグループに入れてもらえてることがありがたいとさえ思った。 何を言
はじめまして、まゆです。 1年前、友人にnoteを書くことを勧められました。でもズボラな性格の私が続けられる自信もないし、そもそも文章を書くことに興味が湧きませんでした。 ではなぜ?『今日から自分の心の内をこのnoteに書き起こしてみよう。』 そう思ったのは私が今働かせてもらっているインターン先での出来事がキッカケ。 「何か会社のことでここ直して欲しいと思う所は?」 と前触れもなく社長に聞かれたとき、必死に何か答え ようとした結果、口から出た言葉は 「今は