それはどうしようもない。諦めて生きる。
本日妊娠判定日でした。
結果は、陽生出ました…!
ひとまず、ひと安心。
ステップが進むことに喜んだのも束の間、
次は1週間後の胎嚢確認です。
次ダメだったら…と、期待が膨らむほどに怖くなります。
しかも、わたし、なんと不育症でした。
亜鉛補充のため1ヶ月空いた期間で不育症検査をしてみたところ、
IgM値が基準よりだいぶ高く、
妊娠した場合、免疫反応を起こし血栓ができてしまい、胎児に栄養を届けられず、流産してしまうとのこと。
対策としては、
1日2回の自己注射(ヘパリン)を
出産まで毎日打つ。
そんなわけで
現在、毎日毎日注射を打って、血液をサラッサラにしているのです。
血栓(血液凝固)は、妊娠した場合にのみ起こる現象で、
妊娠しなければなんの不都合も無いようです。
最初はショックで泣きましたが、(すぐ泣く)
そういう体質なんだ、と立ち直り、
今やなんの躊躇もなく注射を打てるようになりました。
出血しやすい状態なので、
注射跡は内出血で青アザになるし、打つ場所が無くなってきて迷うし、
なかなか大変なことになってしまいました。
でも不育症検査をしなければ、流産を繰り返していたのかと思うと、
たくさん精神をすり減らしたと思うので、
先に検査して良かったなと思いました。
ヘパリン注射をしても100%血栓を防げるわけでは無いので、
妊娠初期だけでなく、出産までずっと流産の可能性がついてまわり、
わたしに安定期は無い。
当たり前に出産している人や、望まぬ出産をしている人もいる中、
なぜ私が。
って思いましたよ。思いましたけど、
ホクロの位置が人それぞれ違うようなことなんだろうな。
と思っています。
産まれながらの体質であり、なす術はなく、抗えない。
あと、3年ほど前、無職の時に(今も無職だけど)占い師になろうとして面接を受けたことがあったんです。
その時に、面接の最中に手相を見てくれて、
子どもはできるけど、流れやすいから気を付けて。
と言われていたんです。
当時、出産どころか結婚の予定も無かったのですが、
私の母親は姉を産んだ後、私と兄を産む前に2回流産の経験があることを聞いていて、
もしかしたら遺伝的な事なのかもしれない。
と、心のどこかで思っていたので、
それを言われたときにハッとしたのを覚えていました。
だから、この空いた1ヶ月でなんの検査をするか考えた時に、
不育症検査は必ずやろう。
と決めていました。
占いはエンタメだと思っていて、全く信じてなかったのですが、
あの時とても言いづらそうに私に流産を警告するおじいさんには、いったい何が見えていたのだろう。
と、不思議な気持ちになりました。
そして不育症でも注射三昧でも当たり前に移植を決行した私は、
子を望んでいます。
覚悟を持てずに迷いながら行動してきましたが、
行動することで望みは大きくなり、覚悟は後から付いてきました。
やるだけやってダメなら2人で爽快に生きます。
子がいようが、いなかろうが、
楽しく愉快に生きていないと、おかしい。
それを忘れずにいたいです。
そして、2回の流産の原因もわからないまま、
風邪ひいたのが良くなかったのかな。
と子どもの私に話してくれた母に、
ホクロの位置が違うだけなんだよ!なんも悪くないよ。
と早く、言ってあげたいです。
心配かけるので不妊治療のことは一切話してないのでね。
余談ですが、母から流産の話を聞いたのは多分小学校低学年の頃で、
私は歳の離れた姉も、兄も大好きで毎日遊ぶのが楽しかったので、
まださらにお兄ちゃんかお姉ちゃんが2人もいたことにテンションが上がり、
じゃあ産まれてたら5人兄弟だったんだねー(*^^*)楽しそうだねー。
とはしゃいでいたのですが、
さすがに私と兄の前に2人産まれてたら
私達は存在しなかったのではないかと思うので、
当時の母の心中を察しました。
それではまたね。