もしも、夢があるならば
やりたいことの種をまいていた意識もなかったけれど、こぼれ落ちていた種が年月を経て少し芽を出した。
水を与えていたつもりもなかった場所で芽を出した。
一つ目の会社を辞めたとき、ぼんやりとできたらいいなと思っていたことがあった。仕事の中で最も得意としていたことで楽しいなと思っていたことだ。一応構想もあって、始めるための下書き的なものもしていたのだけど、始まらなかった。
それから少しして別の会社に入った。とにかく働かないとと思っていたので、好きとか嫌いとかよりもできることで探した。けれど、その会社はすぐにつぶれてまたゼロに戻ってしまった。
好きなことに突き進むなら安定は望めない。安定が欲しくて好きでもないことを選んだのに、それでも働き続けることさえ手に入れられないのかと思った。
というのは嘘だ。会社を解散しますと言われたとき、やった!辞められる!いえーい!と心の中で叫んだ。
正社員として数社働いたけれど、違和感を感じることが起こった時に最後に自分をなだめる言葉が「私の会社じゃないしな」ということは、どこに所属していても共通していた。
だから、私は私だけで完結できることで、誰かに喜んでもらえることがないかなといつも探していた。
けれど、私にはそれを一人で叶える力がなかった。思い切った転職もスキルチェンジも冒険もできる割には、自分のやりたいことを始めてスタートするということができなかった。
やりたいことができたらいいのになとプランを考えては流れていく。
心配性で安心が欲しい私は私にスキルを求めた。自分で生きていけるようなスキルをつけろ。会社に所属していたとしても会社がなくなれば終わりだぞ。だから、自分がいて自分さえ辞めなければ続けられるようなスキルを持て、仕事を作れと。
スキルの為に、自分の年齢とチャンスを考えたらこの業界だろうと飛び込んだ場所で、今まで出会ったことのないタイプの人や知識や環境に触れた。
夫ともその時期に出会った。そしてそれが、やりたいことを始めるきっかけとなった。夫が応援してくれるから折れずにいられる。
それまでの私との関連性が全然見当たらないと色んな人に言われた業界に入って身につけたスキルは、私が放置していた下書きを思いがけない形で現実化させた。
結果論だけど、なぜその経験を使わない?もったいないよ、やればいいのにと人から言ってもらえたことを私の場で芽吹かせるには、それまで知らなかった場所からの水が必要だったのだ。
思い描く未来を、スケジュールを立てて自分の力で切り開き引き寄せる人たちがいる。私はどう考えてもそのタイプではない。
きっと私と同じような人は多いと思う。
何で今こんなことしているんだろう、未来はどうなるんだろうと思う日もきっと多いと思う。
けれど、それでも、今できることをするという毎日を過ごしていく中で、少しずつ色んなものが土の中で根として繋がっていって、何かがきっかけで発芽することがある。
夢が叶うか叶わないかは結果論だ。
だけど、もし夢があるならば、毎日を大切に生きていこう。
私も、頑張ります。