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ミッキーマウスの日

まえがき

1928年の今日が蒸気船ウィリーが公開され、ミッキーマウスが世界にお披露目された。

前回の記事では、亀井俊介が宿題にあがっているので
そちらについて、少し書こうと思う

亀井俊介のみたアメリカ

亀井俊介のアメリカ文化の分裂に関する分析について、具体的な作品を通じて説明する。

マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』における分裂は、主人公ハックと逃亡奴隷ジムの関係性に端的に表れており、人種間の分断が如実に描かれている。また、良心と社会規範の間で揺れ動くハックの姿を通じて、アメリカ社会の道徳的分裂が巧みに表現されている。

児童文学における分裂について、亀井は『オズの魔法使い』と『少女パレアナ』に着目している。『オズの魔法使い』では理想郷を求める願望と現実の乖離が描かれ、アメリカの夢と現実の分裂を象徴的に表現している。一方『少女パレアナ』においては、楽観主義と現実の苦悩の対比が描かれ、アメリカ的な「明るさ」の裏に潜む闇を示している。

歴史的な分裂の表現として、亀井は特に親子関係の比喩に注目している。アメリカをイギリスからの独立を果たした「幼子」として捉え、「親と疎遠になったりエディプス的な反抗をしたりする孤児のパターン」が、文化の分裂を表現していると指摘している。

また南北戦争前後の変化として、ピューリタン時代の「幼い殉教者像」から、南北戦争後の「動物的な活力と勇気のある腕白少年像」への変遷があり、この変化自体がアメリカ文化の内面的矛盾と分裂を示していると論じている。

これらの作品や歴史的変遷を通じて、亀井は表面的な「天国」的側面の裏に潜む「地獄」的要素を指摘し、アメリカ文化の二面性と分裂状態を鮮やかに描き出している。アメリカ文学における分裂の主題は、単なる表現上の特徴にとどまらず、アメリカ文化そのものの本質的な性質を反映したものとして捉えることができるのである。

アメリカの分裂病

亀井俊介のアメリカ文化の分裂状態に関する見解について説明する。

亀井俊介は、アメリカの多文化主義について重要な指摘を行っている。アメリカは多人種の国として多文化性を標榜しているが、実際にはその理想とは逆の現象が起きていると論じている。この分裂状態を、亀井は「サラダは苦い味になり」「モザイクは崩れ」「多文化はてんでんばらばらの分裂状態を露呈する」という比喩的な表現で描写している。これらの表現は、本来調和するはずの多様な文化要素が、むしろ対立や分断を生んでいる状況を鮮やかに示している。

亀井の特徴的な視点は、この分裂に対する姿勢にある。彼は「破壊へ舞い戻るよりはあくまで統合を希求する日本的精神」を持って、アメリカ文化を見つめている。この統合を重視する視点は、亀井のアメリカ文化研究の重要な特徴となっている。さらに、表面的な「天国」的側面の裏に潜む「地獄」的な要素にも注目することの重要性を説いている。この二面性の認識こそが、アメリカ文化の本質を理解する鍵となると考えているのである。

亀井の分析は、単にアメリカ文化の問題点を指摘するにとどまらず、その分裂状態を克服する可能性をも模索している点で独自性を持っている。多文化主義の矛盾や限界を指摘しつつ、なお統合への希望を失わない姿勢は、アメリカ文化研究における重要な視座を提供しているといえるだろう。

多文化共生の国というイメージからは程遠い分裂があるという
ただ、あくまでも統合を希求する日本的精神というは、いかがか・・・

日本こそ分裂病なのではないかしらんと思うところもある。

リベラル

一般的にリベラルとは、「自分らしく生きたい」という個人の自由を重視し、同時に他者の自由も認めるべきという相互性の原則を掲げる思想である。しかし、この理念には本質的な矛盾が内在している。現代のリベラルは、表面的には多様性を重視しながら、「政治的正しさ」に反する意見に対しては極めて不寛容な態度を示すことが多い。

本来、真の多様性とは、自分にとって不愉快な主張に対しても寛容であることを意味するはずだ。だが現実には、人種やジェンダー、性的指向における多様性は歓迎される一方で、政治的正しさに反する意見は徹底的に排除される傾向にある。さらに皮肉なことに、リベラルな価値観それ自体が新たなアイデンティティとなり、排他性を生み出している。「よいアイデンティティ」と「悪いアイデンティティ」の区別は原理的に不可能であるにもかかわらず、この二分法が社会の分断を深めているのだ。

この問題に対し、アマルティア・センの「アイデンティティの複数性」という考え方は重要な示唆を与える。単一のアイデンティティではなく、複数のアイデンティティを持つことの重要性を認識する必要がある。確かに社会のリベラル化は人々の幸福度を向上させる一方で、社会の複雑化を招き、利害調整を困難にしている。これは結果として、政治の機能不全を引き起こす可能性をはらんでいる。

特に日本のリベラリズムにおいては、この問題がより顕著な形で表れている。日本のリベラリズムは、実質的に民族主義の一変種として捉えることができる。その根本的な特徴は、戦後期に形成された特殊な歴史的文脈に深く根ざしている。

日本のリベラル

日本のリベラリズムは、実質的に民族主義の一変種として捉えることができる。その根本的な特徴は、戦後期に形成された特殊な歴史的文脈に深く根ざしている。

敗戦後、GHQによってアメリカのリベラルな価値観が日本に持ち込まれた際、日本国憲法は一種の「神」のような存在となった。私の観察では、この過程で「憲法を守れ」「戦争反対」という単純な主張が、論理的な思考を伴わない信仰として定着していったのが特徴的だ。

特に注目すべきは、日本のリベラル層に見られる特別視の構造である。「世界で唯一、戦争を放棄した憲法九条のある日本は特別な国である」という意識が強く存在する。これは、皮肉なことに、彼らが批判する民族主義者の論理構造と酷似している。

さらに深刻な問題として、歴史認識の選択性が挙げられる。私が「八月ジャーナリズム」と呼ぶ現象がその典型だ。広島、長崎への原爆投下や沖縄戦の犠牲を強調する一方で、日本の旧植民地や占領地における加害の歴史については、驚くほど無関心である。この選択的な歴史認識は、実は極めて民族主義的な性質を帯びているのだ。

また、日本のリベラル層は、表面的には人種やジェンダー、性的指向における多様性を重視する。しかし、彼らの主張する政治的正しさに反する意見に対しては、驚くほど不寛容な態度を示す。この点において、彼らは「ネトウヨ」と呼ばれる日本人アイデンティティ主義者と、実は同質の偏狭性を持っているといえる。

このような状況を踏まえると、日本のリベラルが掲げる「普遍的価値」は、実際には極めて特殊日本的な民族主義の性格を持っていると言わざるを得ない。彼らは自身の価値観を普遍的なものと信じているが、その主張の根底には、独特の歴史観と自己正当化のメカニズムが存在しているのである。

私が特に危惧するのは、この自己認識の欠如だ。リベラルを自認する人々が、自らの思考や主張の中に潜む民族主義的な要素に気付かないまま、表面的な「普遍的価値」を振りかざしている現状は、日本の政治的言説の質を著しく低下させている要因となっているのではないだろうか。

このように、リベラリズムが持つ普遍的な矛盾は、日本という特殊な文脈において、より複雑な形で顕在化している。表面的な多様性の称揚と実質的な排他性、普遍的価値の主張と民族主義的性格という二重の矛盾が、現代日本のリベラリズムの本質的な課題となっているのである。

アメリカのヒーローと分裂

アメリカのヒーローと文化的分裂について、歴史的な視点から現代の課題まで踏み込んだ考察を述べたい。

アメリカのヒーロー像は、建国以来、社会の統合機能を果たしてきた。ジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンといった政治的指導者たちは、単なる歴史上の人物を超えて、国民的理想を体現する象徴として機能してきた。また、西部開拓時代を代表するダニエル・ブーンやデイヴィ・クロケットは、フロンティア精神という独自のアメリカ的価値観を具現化する存在として、国民の心に深く根付いていた。

しかし、現代のアメリカ社会において、このようなヒーロー像は大きく変容し、むしろ分断の象徴となっている。同一のヒーローに対する解釈が、政治的立場によって真っ向から対立する事態が日常化している。この現象は、より広範な文化戦争の一側面として捉えることができる。

文化戦争は、性的マイノリティの権利から人種問題、銃規制に至るまで、社会のあらゆる領域に及んでいる。特に深刻なのは、宗教的価値観と世俗的価値観の対立である。この対立は、単なる意見の相違を超えて、アメリカ社会の根本的なアイデンティティを問う闘争となっている。

この分断は、経済領域にも及んでいる。バド・ライトの事例に見られるように、企業の文化的立場表明が即座に経済的帰結をもたらす時代となった。企業は否応なく、文化戦争の当事者として位置づけられるようになっている。

現代のアメリカにおける分裂の本質は、アイデンティティの対立にある。リベラル派は多様性と包摂を掲げるが、皮肉なことに、それ自体が新たな分断を生む要因となっている。一方、保守派は伝統的価値観の防衛を訴えるが、その主張は必然的に排他性を帯びることとなる。

このように、かつてアメリカン・ヒーローによって体現されていた国民統合の理想は、今や失われつつある。代わって浮上しているのは、価値観の根本的な対立に基づく、修復の困難な文化的分裂である。アメリカ社会は今、建国以来の理想と現実との乖離という深刻な課題に直面していると言えよう。

この分析からは、アメリカ社会が直面している困難が、単なる一時的な政治的対立ではなく、より構造的な問題であることが浮かび上がってくる。この分裂を克服し、新たな統合の原理を見出すことができるか否かが、アメリカの将来を左右する重要な課題となっているのである。

天国と地獄

亀井俊介はわかりやすく、「天国」と「地獄」と表現した。
表面は自由の国アメリカ、リベラルの国アメリカ・・・なのだが、
その実、地獄ともいえる側面を含んでいる。
そもそも、アメリカン・ヒーローはそもそもが2重のアイデンティティをもっている。

アイデンティティの二重構造

  • バットマン/ブルース・ウェイン:富裕層と闇の正義の体現者

  • スーパーマン/クラーク・ケント:移民と理想的アメリカ人の二面性

  • スパイダーマン/ピーター・パーカー:庶民と特別な力を持つ者の葛藤

これらのヒーローの二重性は、現代アメリカの分断を象徴的に表現しているともいえる。分裂するアメリカの縮図として
つぎのような構図が見られるのである。

  • リベラル派と保守派の対立

  • 都市部エリートと地方労働者の分断

  • グローバリズムとナショナリズムの相克

保守派の夢の国アメリカを体現しようとするヒーロー
そして、リベラルな正義で腐った保守派を打倒していくヒーロー
どっちが本当のアメリカなのだろうか・・・
いったい誰がアメリカ人なのか・・・
という根本的な問いがそこにある。
そもそもリベラルは、多文化共生と伝統的価値の統合を目指しているはずであるが、しかしながらその実、差別と分裂で入国した各民族がそれぞれの派閥を作っている。

しかし、そもそもリベラルがおかしいのはアメリカだけに限ったことではない。日本だって、実はナショナリズムと結びついているのである
このあたりは、ミッキーマウスに免じて、別の機会に書くことにするが
日本人のなかには、日本人であること以外のアイデンティティを持たない人がいる。こういう人が躍起になって、日本の国益を脅かす人々に罵詈雑言を浴びせるような形でSNSに投稿している。ネトウヨなどが好例である。
そうした地獄絵図のような構図があるため、私などが私見で思うに、アメリカよりもある意味悲惨な状態である。

さて、ミッキーマウスを見てみると

ミッキーマウスの二重性

ミッキーマウスは、アメリカン・ヒーローとしての複雑な二面性を体現する存在として特筆すべき存在である。その誕生初期、ミッキーは従来の規範に挑戦する反抗的な精神を持ち、時にアナーキーで前衛的な「地獄」的要素を内包していた。たとえば、『蒸気船ウィリー』における即興的な音楽演奏シーンや、動物たちとの奔放な交流は、当時の社会規範からすれば挑発的ですらあった。しかし、時代とともにミッキーは変容を遂げ、ディズニーランドの象徴として「天国」的な存在へと昇華していく。この変容過程こそが、理想と現実、秩序と混沌が共存するアメリカ文化の本質を如実に表している。

文化的象徴としての変遷も注目に値する。ヴァルター・ベンヤミンが指摘したように、ミッキーは技術と生命力が融合した「サイボーグ的性質」を持つ「集団的な夢の形象」として誕生した。アニメーション技術という近代テクノロジーと、生命力溢れるキャラクター性が見事に調和し、アメリカの夢を具現化している。さらに、ミッキーは単なるアニメーションのキャラクターから、豊かさと希望を象徴する文化的記号へと進化を遂げた。この過程で、世界各地の文化的文脈に柔軟に適応しながら、普遍的な魅力を獲得していったことは特筆すべきである。

現代におけるミッキーの意義は、さらに重層的である。エンターテインメントと芸術性、商業主義と理想主義、グローバル性と地域性といった、一見相反する要素を高次元で統合する存在として機能している。たとえば、ミッキーの表情や動きには、商業アニメーションの枠を超えた芸術的な深みが宿っており、それは世界中の子どもたちの心を魅了し続けている。また、各地のディズニーパークにおけるミッキーの表現は、グローバルなブランドの一貫性を保ちながらも、地域文化との見事な調和を実現している。

ミッキーマウスの魅力は、その愛らしい外見や親しみやすい性格にとどまらない。むしろ、時代や文化の境界を超えて、人々の夢と希望を体現し続ける存在として、その文化的価値は今なお色褪せることがない。近年のデジタル技術の進化により、ミッキーの表現可能性は更に広がりを見せており、次世代における新たな文化的意義の創出も期待される。実に、ミッキーマウスは、アメリカ文化の複雑性と可能性を体現する存在として、現代においても重要な示唆を与え続けているのである。

あとがき

ディズニーが影のない場所であるという指摘をきいてから久しい
その実、それを支える、影を握りつぶすスタッフの皆様の苦労が偲ばれる
松岡圭祐の「ミッキーマウスの憂鬱」は楽しく読んだ。
次回は、、、えっとアメリカについて、もう少し考察してみよう。

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