ほおずき市
●鴎外忌
「阿部一族」を読み返してみた。
乃木希典が自害してからの森鴎外は筆が簡素である。
肥後藩主細川忠利の死に際し、殉死していく家臣たちに対して、
殉死が許されなかった阿部一族の最後を淡々とかいた。
ここで過去記事を引用してみよう
2014年の1月の記事である。
小野田元少尉の日本帰還のニュースは
1974年当時、小学生だった私にとって、あまりに衝撃的であった。
そして、滑稽でさえあった。
兵士である以上、命令に従わざるを得なかった
という言葉に強い違和感を覚えたのだ。
小学生の狭い了見と感覚では、
自分の布団で寝られないことでさえ嫌なのに、
「その命令」はすごい効力だと思ったのだ。
命令でも、10年も連絡がなければ、
おいおいどうなってんだ?っていって刃向わないのはなぜかと思った。
しかも
小野田少尉は命令で死ねなかったといっているのだ。
国のために死ぬことを覚悟するってなんだろう・・・
という疑問であった。
その国とやらは、よほど偉いのだろうなという小学生なりの感想と、
傲慢な姿の想像。
それが日本という自分の住んでいる国であることが
とっても末恐ろしくなったことを覚えている。
小野田少尉帰還のニュースがきっかけで
私は、戦争というキーワードに対し
アレルギーのような嫌悪を伴う反応を植え付けられたのだと思う。
日の丸が国旗でなく、
君が代が国歌でなかった時代のことである。
小野田元少尉はそのあと
30年ぶりの故郷である日本を去ってブラジルにいったという。
日本の変わりようが受容できなかったとのことであるが
とにかく、小野田少尉のお布団は日本になかったのだということだ。
時は経ち、成長するにつれ、戦争というキーワードに対して
ある程度抗体ができてきたのか、耳を塞ぐようなまねはせず
きいたふりぐらいは、できるようになってはきた。
その程度の認識しか持たない者の戯言だが、
小野田元少尉が田母神論文の支持者だと知って
やはり、一抹の違和感を感じた。
従軍慰安婦の問題についても日本を擁護する発言があったという。
もちろん、小野田元少尉の思想は自由だ。
なんか、国マニアなんだなって感想を持った。
だって、戦争も終わったことを知らなかったのに
見てもいない従軍慰安婦の問題について正しい判断はできなかろうと
思ってしまうのだ。
実際、小野田元少尉の「証言」を読んでみても
従軍看護婦という言葉は聞いたことがあるが
従軍慰安婦という言葉はきいたことがなく
後日捏造されたものであると判断しているにすぎない。
そういった商行為があったのであろうとしている。
おそらくは、そんなことだろう、と私も思う。
ただ、そのことについて、小野田元少尉がいちいち発言を迫られていることの方に
重きを置いてしまうのである。
田母神氏の論文について支持する立場だという
この自らの首をかけて書いたこの論文は短いので私のような浅学なものでも
全文を読むのに苦労はしなかった。
論旨は
・日本は侵略国家ではなく正当な条約のもとに駐留した
・当時の日本が侵略国家なのであればほかの国だってみんなそう
・インフラ投資も多分にしていて恩恵をアジアに与えている
・偏向された歴史観も刷り込まれた。正しく日本の歴史を把握せよ
となっている。
どんな思想をお持ちになろうが自由だし
ひとつのご意見であるし、正論の部分もあるのかもしれない。
しかし、ここでも私は違和感と嫌悪感をもってしまう。
なんだか、
もう一人のジャイアンに嫉妬するジャイアンみたいなものだ。
のび太をいじめながらも、
ときどきは優しい言葉をかけたジャイアン。
そこに金髪で喧嘩が強く頭もよいジャイアン2が転校してきた。
ジャイアン2にいじめられるジャイアン。
そして馬鹿なので、のび太をいじめるようにジャイアン2にはめられてしまう。
しかし、ジャイアンがのび太にしたことは
とても良いことなのだ。
といっているのと似ている。
いいわけないだろ!
最後の方を引用しよう。
^^^引用はじめ
”嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである”
^^^引用おわり
私にとっては「だから?」といいたくなり
戦争をやってよかったとでも 思っているのかと感じてしまう。
(そうだとしてもこの人のご意見であるが、、、)
戦争をしなくては文化や国が守れないのであれば
その文化や国は不要なのではないかと思う。
反省すべき点とそうでない点をイッショクタにして論議するのは
それこそ「輝かしい歴史」の捏造なのではないかと思う。
選挙違反になってしまうのかもしれないし、
田母神氏の論文なんかがテーマではないし、
私に語る資格も資質もないので感想だけを書く。
多少話に”盛り”があるのかもしれないが、
日本軍の悪行について状況証拠はそろっているように思える。
それは、戦時中や戦後の、日本の軍人が日本人に対しての不遜な態度が
それを物語っている。
日本の軍人は日本人に厳しい態度だったのに
どうして外国でおとなしかったなどといえるのだろうか。
それは、「先進国にもよくある事件」などではない。
国ぐるみで、国きっかけで諸外国に迷惑をかけた行為に言い訳無用だ。
甲子園を目指す高校が一部の悪行で出場取り消しという潔い躾であるのに
国だとどうして擁護せねばならぬのか。
せっかくいいことをしたのに、一部の悪行で台無しのいい例ではないか。
戦時中の状況を知る人がどんどん亡くなっていく中、
私は、小野田元少尉には、
この国の悪行の証言をしてほしかった。
なのに、
国を大事にする者こそ、自分を大事にする
と主張する小野田元少尉に違和感を覚えていた。
晩年はブラジルで自然教室を開いていたという小野田さん。
本当は洗脳はとっくに解けていたのだろう。
そういった洗脳されている自分の姿をさらけ出すことによって
日本国が小野田さん個人にしたことを
「証言」してくれたのかもしれない。
小野田さんは次のようにいう
死を覚悟すれば、なにも恐れることはない
今の日本には覚悟が欠けている。
(「日本に欠けているもの」と題された講演)
なかなかそういった心境になるのは難しいほど
平和ボケした日本を歯がゆく思う小野田さんの言葉。
それをしっかりと胸に刻もうと思う。
小野田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。
自分の命よりも国が大事だという概念についての慄(おのの)きを
書いている。
「阿部一族」では、自分の命よりも、社会の掟を気にして、殉死する方を選ぶ思考について同じような悍(おぞ)ましさを感じる。
若し 自分が殉死せずにいたら、恐ろしい屈辱を受けるに違いないと心配していた
上のように心配して、弥一右衛門が切腹する。しかし、これが公認の殉死ではないため、遺命に背いたとして問題視されて、殉死でなく盗賊と同じ扱いをうけ家格を落とされる、これを不服とした長男は忠利の一周忌に髷を切った。これを無礼とまた咎められ、長男は縛り首にされる。次男をはじめ一族もろとも、藩の差し向けた追手と戦い討ち死にする。
屈辱を怖れて行動したのに、結局、社会の掟とやらは阿部一族になんてことをするんだろう... 此の酷すぎる顛末に対して、森鴎外はなんのコメントも残してくれていないのである。
今のパースペクティブにしてみれば、これぞ武士道みたいな、別世界の話としてロマンを感じる人さえもいるのであろう。しかし、実はほんの80年前まで、”お国のために”という社会の掟は現存していたのである。
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●ほおずき市
私は鴎外については「遺書」以前の方が好きである。「高瀬舟」を手に取ると最初は「杯」である。映像が鋭く浮かんでくるような短編である。
その短編に、酸漿(ほおずき)が出てくる。
今日から二日間、浅草では、平時なら、ほおずき市の日だ。(今年は感染症対策で中止)なぜ、ほおずきなのかは、お盆の飾りだからである。
七夕でも触れたとおり、この時期は旧暦の7月なら、お盆の準備の時期だ。
ほおずきは鬼灯とも書く。つまり、霊の迎えの道標に提灯の代わりとして飾るのだ。
浅草寺の縁起のほどは定かでないが、奈良時代にはすでに浅草寺はあったのである。時代はくだり、家康が入府するにあたり、鬼門の方角にある浅草寺を祈願所に指定され、家光が大伽藍を建てる。さらに、明暦の大火で遊郭が浅草寺の北側に移転して賑わい、天保の改革によって芝居小屋が浅草に集まるとこれによっても栄える。遊郭と芝居小屋はかなりの悪所とみなされるが、信仰の場であるこの清濁合わせ呑みながら、人々の流れがこの地に集ったのである。こうした聖俗の抱き合わせは、実は川崎だってそうだ。川崎遊郭には川崎大師、新宿の歓楽街には花園神社がある。
浅草寺の仲見世は、境内の掃除をしてくれた人々に軒先に床見世を出す特権を与えたことに始まる。往来の激しいこの場所は商売の絶好地であった。
前掲の天保の改革で商いが禁止されたときでさえ、この地が寛永寺の所領ということで、例外とされた。さらに時代をくだって財政難になった寺社はこの場所を町人に貸すようになり、明治には恒久的な建物が並び、今日のような形になった。ほおずきを売っているのは、仲見世より奥の宝蔵門から境内にかけてである。
毎年この日には、浅草をはじめ江戸の老舗について、風情を味わう日としよう。
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<来年の宿題>
・江戸の老舗について
・鴎外のほかの作品について
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●見出しの画像:
ほおずき市の様子(画像はお借りした)
この日にお参りすれば四万六千日お参りしたのと同じ御利益があるとされているが、4万6千という数は米一升が46000粒であるから一生とかけたという説もある。
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