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大寒

まえがき

前回のおなじ題名のnoteでは、漢詩、玉の輿などちょっとバラエティに富んだ記事になった。

さて、今日も挑戦してこの節気について書いてみよう

梅の開花

大寒をそのまま詠んだ漢詩は浅学かな、存じあげない。
冬至については、杜甫の漢詩がある。

天時人事日相催,冬至陽生春又來。
刺繡五紋添弱線,吹葭六琯動浮灰。
岸容待臘將舒柳,山意衝寒欲放梅。
雲物不殊鄉國異,教兒且覆掌中杯。

杜甫「冬至」

ところで、この寒いなかで梅は開花するのもこの季節なのであるが
一体何をスイッチになるのか

梅の開花メカニズムは、自然界の様々な要素が絶妙に組み合わさることで制御されている。開花の引き金となる最も重要な要素は、冬季の低温刺激である「休眠打破」と呼ばれる現象だ。この過程では、気温が0~7℃程度の環境下で一定期間経過することが必要となり、この低温刺激によって花芽が目覚めの準備を開始する。

この休眠打破の後、気温が10℃を超える温暖な日が続くことで、実際の開花のスイッチが入る。特に昼間の気温上昇が重要な役割を果たし、これは「大寒」から「立春」にかけての時期と一致することが多い。また、冬至を過ぎてからの日照時間の増加も開花を促進する要因となる。日照時間の延長は植物の成長ホルモンであるオーキシンやサイトカイニンを活性化させ、花芽の発育を促進する効果がある。

土壌環境も開花に大きな影響を及ぼす。冬季の適度な土壌水分は、梅の木の健康状態を維持し、開花への準備を整える手助けとなる。さらに、昼夜の寒暖差も重要な要素である。日中の暖かさで花芽が成長し、夜間の冷え込みで新陳代謝が活発になることで、開花が促進されると考えられている。

自然界からのサインも見逃せない要素だ。暖かい日が続くと活動を始める鳥や昆虫の存在、そして春先の南風がもたらす暖気なども、梅の開花を後押しする環境要因となっている。

このように、梅は冬の厳しさと春の訪れを敏感に感知する植物であり、その開花には冬の低温刺激とその後の暖気の到来が重要な鍵を握っている。これら複数の自然現象が組み合わさることで、梅は春の訪れを感知し、開花という生命の営みを始めるのである。

寒念仏

転じて本朝には、寒念仏という宗教行事がある。
寒念仏は、日本の仏教文化と民間信仰が融合した独特の宗教行事である。主に東北地方、特に宮城県から山形県にかけての地域で、厳寒期の1月から2月にかけて行われてきた伝統行事だ。

この行事の起源は、鎌倉時代まで遡るとされている。法然や一遍上人らによって広められた念仏信仰が、民衆の間で独自の発展を遂げ、農村部での季節行事として定着していったものと考えられる。特に、東北地方の曹洞宗寺院を中心に広く行われ、現代まで継承されている。

寒念仏の特徴的な形態は、真冬の夜に僧侶や念仏講の構成員たちが、白装束に身を包み、数珠と鉦を持って村々を巡り歩くという点にある。参加者たちは「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら、太鼓や鉦を打ち鳴らし、家々を回って歩く。この行為には、村中の人々の無病息災と豊作を祈願する意味が込められている。

また、寒念仏には修行としての側面も強く存在する。厳寒の中での托鉢行は、参加者たちの肉体的・精神的な鍛錬となった。特に、真夜中から明け方にかけての行事実施は、寒さと闇との戦いであり、それを乗り越えることで、より深い信仰心が育まれると考えられていた。

各地域での寒念仏の形態には、その土地独自の特色が見られる。例えば、山形県では「あらやしき」と呼ばれる特殊な節回しの念仏が伝承され、宮城県では「松島念仏」という独特の唱え方が残されている。これらの地域差は、その土地の文化や歴史を反映した貴重な無形民俗文化財となっている。

さらに、寒念仏には、仏教の教えと日本古来の民間信仰が複雑に絡み合っている点も注目に値する。冬の最も厳しい時期に行われることには、年の節目における厄除けや清めの意味合いが込められており、春を迎えるための儀礼的な意味も持っていた。

民俗学的な観点からは、寒念仏は単なる宗教行事としてだけでなく、地域社会の紐帯を強める機能も果たしてきた。各家庭を回る際に供される酒や食事を通じて、参加者と地域住民との交流が深められ、コミュニティの結束が強められていった側面も無視できない。

現代では、過疎化や高齢化の影響で、寒念仏の伝統を維持することが困難になっている地域も少なくない。しかし、その精神性や文化的価値は、日本の精神文化を理解する上で重要な示唆を与えるものとして、今なお高い関心を集めている。寒念仏は、厳しい自然環境の中で育まれた日本人の信仰心と、地域社会の絆を象徴する貴重な文化遺産として、後世に伝えていくべき価値を持っているのである。

寒念仏千住の文をことづかる

江戸川柳


掛取り

年末には、借金の取り立てが実施されるということがあるが
これと同様に掛けとは、後払いの信用取引のことを指す

掛取りとは、商品を後払いで購入する信用取引のことを指し、主に江戸の町人社会で広く行われていた。商人は定期的に得意先を回って代金を集金し、これを「掛け払い」と呼んだ。

この制度は、武士階級との取引において特に重要な意味を持っていた。武士は半年に一度しか俸禄が支給されなかったため、日常的な買い物は掛け売りに頼らざるを得なかったのである。商人にとっても、信用のある武家を得意先として持つことは、安定した収入源となった。

しかし、掛取りには様々な問題も存在した。代金の未払いや支払いの遅延は日常的に発生し、商人は時として多大な損失を被ることもあった。特に、武家の借金は「踏み倒し」という形で帳消しにされることも少なくなかった。

このような状況に対応するため、商人たちは得意先の信用調査を綿密に行い、掛け売りの限度額を設定するなどの工夫を行った。また、「帳合」と呼ばれる定期的な決済の機会を設けることで、未収金の積み重なりを防ぐ努力もなされた。

掛取りの習慣は、江戸の商業システムの根幹をなすものとして、明治期以降も形を変えながら日本の商慣習として受け継がれていったのである。

さて、落語の「掛取り」があるのも小正月の頃である
舞台は深川、新川あたりの長屋。主人公は家賃を滞納している店子で、大家に追い立てられる寸前の貧乏長屋住まい。ところがこの男、決して悪人ではなく、むしろ人の良さが災いして借金を重ねてしまった憐れな人物なのだ。

そこへ登場するのが掛取りの親方。この親方が実に面白い。商売柄、借り手を追い詰めるのが仕事なのだが、どこか憎めない人情味のある人物として描かれている。「お前さんよぉ」と、いかにも下町らしい言葉で店子を諭すのだが、その口調には不思議と温かみがある。

物語の山場は、掛取りの親方が店子の窮状を理解しつつも、商売である以上は取り立てをせねばならないという板挟みの場面だ。ここで描かれる人情の機微が実に絶妙で、観客の心を掴んで離さない。

特に印象的なのは、親方が店子に向かって「あのなぁ」と切り出す場面。ここには、債権者と債務者という単純な関係を超えた、人間と人間との深い絆が感じられる。江戸の町に息づいていた、情け深い人間関係の機微が見事に表現されているのだ。

結末では、親方が店子に返済の猶予を与えるのだが、これは単なる慈悲ではない。相手の人となりを見抜き、将来的な返済の可能性を信じての判断なのである。ここには、商売における人を見る目の確かさと、人情の機微が絶妙なバランスで描かれている。

この落語は、単なる笑いの演目を超えて、江戸の商慣習や人情の機微を今に伝える、貴重な文化遺産としての価値を持っている。そこには、現代のビジネス社会でも失ってはならない、人と人との信頼関係の大切さが描かれているのである。

江戸時代の商習慣における掛け取りが年明けに行われる背景には、当時の経済事情と商慣習が深く関係している。

まず、江戸時代の商取引の基本は掛け売りという後払い方式であった。商人は商品を先に渡し、代金の支払いは年末や年明けの時期にまとめて行うことが一般的であった。しかし、年末は取引先の決算処理や年越し準備で多忙を極め、商人たちも支払いの準備が追いつかないことが多かったため、取り立ては年が明けてから、正月の行事が落ち着いた1月15日の小正月以降に行われることが慣例となっていた。

この時期設定には、正月を迎えるための深い配慮も込められていた。江戸時代の正月は年始の挨拶や祝儀を交わす重要な時期であり、年末に借金を催促することは祝い事に水を差す行為として忌避された。そのため、正月の支度のための余裕を持たせて年明けに支払いを求めることが商人たちの間で暗黙の了解となっていた。

さらに、取引先の資金繰りの事情も考慮されていた。年末年始には町人や農民たちも支出が増えるため、現金が手元に残りにくい状況であった。一方、年明けには新しい商取引や農村からの現金収入が見込めたため、取り立ても自然とその時期に集中することとなった。

年明けの掛け取りの様子は、取り立て側と支払い側の駆け引きがコミカルに描かれることも多く、落語や川柳の題材として人気を博した。特に落語「掛け取り」では、借金を返さないための巧妙な言い訳や、取り立て屋とのやりとりが笑いを誘う場面として語り継がれている。

このように、掛け取りが年明けに行われるようになった背景には、年末の忙しさや正月準備への配慮、正月の祝いムードを損ねないための心遣い、そして年明けの資金繰りのタイミングという、実務的かつ情緒的な要因が絡み合っていた。江戸の商人たちは、単なる金銭の取り立てに留まらず、取引相手との関係性や風習を重んじる姿勢を持っており、それが自然とこのような商慣習を形作っていったのである。

押入れで 息を殺して大晦日

あとがき

年末年始は いろいろと忙しいが
ここを悠々と過ごすようにしたいものである。


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