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シンティ・ロマについて

まえがき

アブシェクションという、クリステヴァの言葉がある。
「恐怖の権力」という書籍に詳しく書かれている。おぞましきもの、と棄却するという言葉からの造語である。人間の心理的な発達や、文化的な文脈におけるアブジェクションをキーワードに語った書籍である。
クリステヴァの境地について迫るのが、私の狙いではある。
ホロコーストについて書いた前回のnote

の宿題に、シンティ・ロマについて、とやや唐突にあがっていた。
唐突にというのは、自分でも宿題にあげたことを忘れてしまったということである。いわゆる差別というのは、2つの角度で、たしかにアブジェクションだ。ユダヤ人を殺戮したことはもちろんおぞましい。しかし、西洋の歴史において、シンティ・ロマの問題の歴史は長く、またホロコーストでは同様に殺戮されたのにもかかわらずユダヤ人ほどには語られていないのである。
今日は、まずこの問題、忘れられたホロコーストについてみてみることにしよう

シンティ・ロマ

シンティ(Sinti)とロマ(Roma)は、インド北西部のパンジャブ地方を起源とする民族であり、10世紀頃から西方へ移動を始めたとされる。彼らの移動の背景には、イスラム勢力の侵攻や経済的な要因が指摘されている。

言語学的研究により、ロマニ語はサンスクリット語と密接な関係を持つことが判明しており、これは彼らのインド起源説を裏付ける重要な証拠となっている。ロマニ語には10以上の主要な方言グループが存在し、各地域の言語からの影響を受けながら発展してきた。

中世ヨーロッパにおいて、シンティ・ロマは「エジプト人の末裔」という誤った認識から「ジプシー」と呼ばれ、差別や迫害の対象となった。多くの地域で定住や職業選択の自由が制限され、強制的な同化政策も実施された。

特に深刻な迫害は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ下で起きた。「ポラモス」(ロマニ語で「大量虐殺」の意)と呼ばれる迫害では、推定25万から50万人のシンティ・ロマが殺害された。彼らは「人種的に劣等」とされ、強制収容所への移送、医学実験の対象、大量虐殺の犠牲となった。

文化的には、シンティ・ロマは口承による歴史や伝統の継承を重視する。特に音楽は重要な文化要素であり、フラメンコやジャズ・マヌーシュなど、現代音楽に大きな影響を与えている。また、家族の絆や共同体の結束を重んじる価値観を持つ。

現代では、EUにおいてシンティ・ロマは公式に認められた少数民族となっているが、教育、雇用、住宅での差別は依然として続いている。特に東欧諸国では、ゲットー化や貧困の連鎖、ヘイトクライムなどの問題が深刻である。

一方で、シンティ・ロマの権利擁護運動も活発化している。1971年にロンドンで開催された第1回世界ロマ会議では、ロマの旗や国歌が制定され、民族としてのアイデンティティ確立に向けた重要な一歩となった。また、各国で文化遺産としての認知も進み、2019年にはオーストリアでロマの言語と文化が無形文化遺産に登録された。

シンティ・ロマの文化

シンティ・ロマの文化芸術は、人類の表現史において比類なき豊かさを誇っている。その文化的影響力は音楽、舞踊、文学、視覚芸術など、多岐にわたり今日も世界中で脈々と受け継がれている。

音楽においては、スペインのフラメンコに代表される情熱的な表現様式を確立した。激しいギターの旋律と手拍子(パルマス)、感情豊かな歌声は、ロマ文化の本質的な特徴となっている。また、「ジャズ・ギターの父」と呼ばれるジャンゴ・ラインハルトは、独自のジプシー・ジャズを確立し、即興演奏とロマ伝統音楽の融合により現代音楽に多大な影響を与えた。

クラシック音楽の分野でも、リストの「ハンガリー狂詩曲」やエネスクの作品に見られるように、ロマ音楽のリズムや旋律が取り入れられ、19世紀の音楽に革新をもたらした。東ヨーロッパやバルカン地方では、高速で複雑なリズム、情感豊かな旋律、バイオリンやアコーディオンによる演奏が特徴的な民俗音楽を生み出している。

舞踊では、フラメンコダンスの源流となった力強い身体表現や、バルカン地方における即興的な動きと複雑なリズム感を特徴とするダンスを発展させた。これらは祭りや結婚式など、共同体の重要な行事において中心的な役割を果たしている。

言語と文学においては、ロマニ語による豊かな口承文学の伝統を持ち、物語や歴史を世代を超えて継承してきた。神話や寓話には、彼らの価値観や歴史が色濃く反映されている。

ビジュアルアートと工芸の分野では、鮮やかな色彩と装飾性の高いデザインを特徴とするジュエリーや刺繍などの伝統工芸が、彼らの文化的アイデンティティを象徴している。現代アートにおいても、ロマの伝統を引き継ぐ芸術家たちが活躍している。

映画界では、エミール・クストリッツァ監督の「ジプシーのとき」(1988年)をはじめ、彼らの生活や文化を描いた作品が世界的な評価を得ている。

こうした豊かな文化遺産を持つシンティ・ロマの人々は、ユダヤ人と同様にホロコーストの犠牲となった。しかし、戦後の歴史認識において、彼らの受けた迫害は十分に顧みられることがなかった。これは人類の歴史における重大な不正義であり、正しい歴史認識の確立が求められている。

近年、シンティ・ロマの文化を保護し、継承するための活動が活発化している。各地で音楽祭や展示会が開催され、彼らの芸術文化の多様性と創造性が再評価されている。その精神は、「土地や所有物に縛られない自由な生き方」という哲学的価値観とともに、現代社会に大きな示唆を与え続けている。

放浪の気づき

この問題を語るときに、得てして次のような言説があがる。

シンティ・ロマの歴史的な放浪の生活様式は、多くの人々の心に自由への憧れを植え付け、芸術や文学に大きな影響を与えてきた。彼らの生き方は、現代社会における「放浪」の原型として捉えることができる。
放浪は、社会の束縛から解放される象徴的行為である。時間や場所に縛られず、最小限の所有物で生きることは、物質的な執着からの解放を意味する。シンティ・ロマの放浪生活は、この究極の自由を体現している。
未知との出会いは、放浪がもたらす最大の魅力の一つである。新しい景色、人々、文化との邂逅は、価値観を広げ、自己理解を深める機会となる。予期せぬ困難を乗り越えることで、適応力や問題解決能力も養われる。
放浪には計画通りにいかない展開が待ち受けている。偶然の出来事や人々との出会いが新しい物語を紡ぎ、日常では得られないスリルと感動をもたらす。世界の広さと多様性を実感できることは、旅を続ける原動力となる。
自然との一体感も放浪の重要な要素である。街や自然の中を歩き、その土地の風や音、匂いを直接感じることで、人間が自然の一部であることを思い出させる。都会の慌ただしさを離れ、太陽や月の動きに合わせた生活リズムを取り戻すことができる。
他者とのつながりも放浪の本質的な魅力である。計画されない偶然の出会いは、時に人生を変える影響を与える。異国で受ける親切や歓迎は、人間の温かさを再確認させ、他者への信頼を深める契機となる。
放浪は単なる現実逃避ではなく、自分の心や現実と向き合う挑戦でもある。シンティ・ロマの放浪の精神は、目的地ではなく過程を重視する生き方を示している。その中で得られる感覚、学び、人間関係が、放浪を特別な体験としている。
この自由、冒険、自己発見、そして人間としての根源的なつながりを再確認する旅は、現代社会で失われがちな感覚を取り戻す機会を提供している。シンティ・ロマの放浪の伝統は、人生の豊かさや意味を見出すための重要な示唆を与え続けているのであるなど・・・・

シンティ・ロマの放浪文化

しかしながら、上記のような言説は自分たちの社会がいかにも正統で、
日常はその社会を常体とすべきという規範やモデルとして扱うことにつながる危険を孕んでいる。

そしてそれこそが、歴史的事実の歪曲につながる。

というのも、彼らは好き好んで放浪生活をしていたわけではなく、むしろ差別や迫害から逃れるために強制的に放浪を余儀なくされていたからだ。
自由な意志による放浪というイメージはこの歴史的な事実を覆い隠してしまう。さらには、このステレオタイプ 自由な放浪者というレッテルは、シンティ・ロマを他者として固定化し、差別や偏見、排除を生む可能性がある、さらには、ロマンティックな放浪イメージは現代のシンティ・ロマが直面している教育・雇用・住居などの深刻な社会問題の軽視につながるのだ。

むしろ、重要なのは、彼らの文化的貢献を評価しつつ、過去から現在までの差別の実態を直視することである


あとがき

差別について、書くことは難しい。
完全に差別についてなくすことは、ほぼ不可能であるからだ
わたしたち人間は悲しくも差別するのが好きなのである。
人知を超えたなにかや、もっと上位のもので相対化し差別に対して構造的に解体する道しかないからである。
けれど、なぜこの話題にふれたのかについていえば、実は、ジャンゴ・ラインハルトというジャズ奏者のファンであり、彼もシンティ・ロマの出身だからという事実があることを白状する、
次回はもう少し、クリステヴァに近づいて考えてみようと思う

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