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串と杭

まえがき


串の語源を調べてみると
いろいろと広がりがあったのでメモしておこうと思い書いたものである。
串と杭はたしかに関係ないが、広がるうちに自分の中ではつながった。

串の語源について

1.くひふし説
 くひは「交入ひ」とかく。何かを刺し貫くことになる
2.奇し 霊(くしび)説
 未だかく霊(くし)びに異(あや)しき児有らず と
 日本書紀にある。大野晋は、「くしび」について
 ”奇しくも”という現代語の語源はここにあるとしている
 この説は、意味的に離れすぎている気がする

3.櫛との関連性
 串と櫛の発音は同じで、いずれも細長い形状をしている
 ことから

といろいろとアイデアはあるものである
この中で私は3の説について少し書いてみようと思う。

串と櫛


神事と串

串は細長い形状している、細長いものは
なにかを指し示すことに使う。
たとえば、筮竹による占いである。細長い竹の棒である。
幣串(へいぐし)は神の依代として用いられる神具である、
これを立てることで、その場所が神に捧げられていることを示す。
玉串は榊や樫、杉の枝に紙垂や木綿を麻で結んで下げたものである。
天の岩戸開きの神話に由来するとされ、神霊の依代と考えられている。
このように神事に串は欠かせないものである。

澪標 みおつくし について

澪標という言葉がある
「みおつくし」水脈つ串と書いて
水路を示すために串を立てて表示したことに由来する
古来、日本の河口や浅瀬には「みおつくし」という杭が立てられて
船の安全な航行を導く道標となっていた。

そして、澪標と身を尽くしをかけた和歌が多数ある
有名なのは源氏物語のその名も「澪標」の巻

みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁(えに)は深しな

源氏物語

そして、百人一首にもみえるのである。

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ  
             元良親王

難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
みをつくしてや 恋ひわたるべき
             皇嘉門院別当

百人一首

引用した百人一首の2首は奇しくも難波という地名と一緒に詠まれている
難波津は、古くから海に面した低湿地帯で、多くの入江や水路があった。
船の航行のための目印として澪標が必要とされていた、また重要な港として機能しており、水上交通の要所としての歴史もある。
また風光明媚な土地だったのであろう、俵屋宗達の「関屋澪標図屏風」に
松と船が描かれている。


俵屋宗達の「関屋澪標図屏風」

串と櫛

身を尽くすという献身には、それなりの決心があるわけである
掛詞もそのまま心には両義がそのままジュマンジのごとくリアルになる。
明確な方向性を示すということでいえば、献身も水路の案内も似ている。
思えば櫛も髪の方向性を決めるものである。このあたり、文化の深読みとして髪を梳りながら何事かを思い詰めるシーンがあるかもしれない。

 串は神事に用いられ、神を招く道具であり、あるいは神に捧げるものであったり、存在を指し示すものであった。
 櫛は髪を整えるものであるが精神性を表現するものと考えても、それほど突拍子もないことでもあるまい。身を尽くす献身と方向性は髪を梳かす動作にも実際の効果にも現れる。
 櫛は江戸時代には身分を表すグッズでもあったので、その存在を指し示すものであると言えるのである。
 このように深読みすると、串と櫛には、存在を明らかにする、方向性を刺し示すなどその役割には共通点が多く見られるものである。

杭の杭州

広州と分けるために杭州のことを杭の杭州と呼んだりする。
杭州は水路が発達したいわゆる水の都であり、
まさに杭が水路や港を示す標識として使われていた。
隋の時代から杭州と呼ばれていて水郷文化が発達した地域である。

白居易の詩に「杭州春望」がある

望海樓明照曙霞,護江堤白踏晴沙。
濤聲夜入伍員廟,柳色春藏蘇小家。
紅袖織綾誇柿蒂,青旗沽酒趁梨花。

白居易「杭州春望」

護江堤」(護江堤防)や「濤聲」(波の音)などの表現から、杭州の水路や湖の様子が浮かぶ

蘇軾も杭州マニアだ。特に西湖を深く愛しすぎていて実に453首の漢詩を残している、、いや残しすぎだろう・・・・

水光瀲灔晴方好,山色空蒙雨亦奇。
欲把西湖比西子,淡妝濃抹總相宜。

蘇軾「飲湖上初晴後雨」

この詩の意味は、
晴れた日の湖面のきらめきは美しい
霧がかかったような雨の日の山の景色もまた素晴らしい
西湖を美人に例えるなら
薄化粧でも濃い化粧でも両方似合う
(拙訳)

まるで一人の女性のように、西湖を愛してしまっている様子が
比喩でなくわかる。


見尽串(みおつくし)


串は突き刺すもの、
食べるときには箸を使わず(箸を使って串から食材を外すのは禁じ手だ)
直接口で噛みちぎるように食べる
とても野蛮にも思えるが、
澪標という杭のおかげで、身を尽くすと掛けたダジャレのお陰で、
野蛮とは程遠い美意識を感じされるのである。

松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、濃き薄き、数知らず

紫式部「源氏物語」

源氏物語の澪標の巻は転換点とされ、
平安時代の美意識を色濃く反映してもいる巻だ。
参内する貴族の衣装も色彩豊かに描かれていて美である。
澪標という物体と身を尽くすという人間の感情を結ぶのは平安の美である。この巻に出てくる六条御息所の出家と死は栄華の儚さと美である。

野蛮と雅も日本人の美意識の中で、どこか調和がとれているところが面白いものである。

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