炭団について
まえがき
今日は立冬ではない。
今年の場合は明日が立冬である
↑を書いた日はたまたま立冬であった
今日は明日のためにというわけではなく、日本文化として立冬について
書いてみるが、それでは課題の興味が尽きてしまうので
炭団について書いてみようかと思うが、
どうして炭団が出てくるのかは、この先をぜひとも読んでください笑
立冬と日本
二十四節気は古代中国において確立された暦法の一つであり、太陽の黄道上の位置に基づいて一年を24等分した季節区分である。その中で立冬は、冬の始まりを告げる重要な節気として位置づけられてきた。本研究では、この立冬という節気が日本においていかなる文化的変容を遂げ、独自の意味を付与されていったのかを考察する。
中国からの伝来
立冬の概念は、遣唐使による文化交流を通じて日本に伝来した。特に注目すべきは、862年(貞観4年)に二十四節気が正式に採用された際の経緯である。当時の太政官符には、「天地の気運に順い、農事の節を正す」という理念が記されており、これは後の日本における立冬解釈の基礎となった。
平安期における受容
平安時代の貴族社会において、立冬は単なる季節の区切りを超えて、和歌や物語の重要な季節表現として機能するようになった。『古今和歌集』には立冬に関連する和歌が収められており、例えば
「立冬や 霜降る野辺の 朝霧に 消えゆく秋を 惜しむ心は」
という歌からは、日本人特有の季節の移ろいへの繊細な感性を読み取ることができる。
「茶の湯の正月」としての立冬
茶道において立冬は特別な意味を持つ時期とされ、「茶の湯の正月」と呼ばれた。この時期に行われる「口切」の儀式は、新しい茶壺を開く象徴的な行事として定着した。例えば、『山上宗二記』には、千利休が立冬の口切の儀式を特に重視していたことが記されている。
立冬と茶室の設え
立冬を迎えるにあたり、茶室の設えも大きく変化した。夏から秋にかけて使用されていた風炉から炉に切り替わる時期とされ、これは単なる実用的な変更以上の意味を持っていた。炉開きに際しては、特別な掛け軸が選ばれ、季節の移ろいを表現する花が活けられた。
武家社会における立冬
武家社会では、立冬を厳格な規律の一つとして捉えていた。特に注目すべきは「炬燵開き」の習慣である。旧暦10月の初亥の日に定められた炬燵開きは、武家の規律正しい生活態度を象徴する行事となっていた。
町人文化における立冬
一方、町人社会では立冬を比較的柔軟に解釈し、実用的な生活の知恵と結びつけていた。例えば、二番目の亥の日まで炬燵開きを待つという習慣は、武家との差別化を図りながらも、独自の文化として昇華させた好例である。
旧暦10月の亥の日に行われた炬燵開きだが、
上記にみたように武家と町人では日取りが異なっていた。
江戸っ子は痩せ我慢が好きだが、この2番目の亥の日まではどんなに寒い日があっても炬燵を出さなかったという。困った人たちである笑
さて、さえざえしくとは、うきうきする様子を表している
炬燵開きの日から暖をとれるので、嬉しいという意味だ。
ちょっと粋な句では
泣きながら髪をとかしている女性の姿を詠んだ句だが、
こたつを超えて落ちた櫛という情景が印象的である。
建築様式への影響
立冬の到来は、日本の住宅建築にも大きな影響を与えた。特に注目すべきは、炉や炬燵を効果的に配置するための間取りの工夫である。例えば、江戸時代の町家では、炬燵を置く座敷の位置を南向きに設定し、冬の日差しを最大限に活用する工夫が施されていたという
この頃の炬燵の熱源は、木炭か炭団であった。
木炭は高価だったため庶民は炭団(たどん)を使うことが多かった。
たどんは、木炭や竹炭の粉末を海藻などの粘着剤と混ぜて団子上にして
乾燥させたものだ。塩原太助が商業的に成功した。
たどん文化の発展
江戸時代における立冬の文化を考える上で、たどん(炭団)の存在は特筆に値する。木炭の粉と海藻の粘着剤を組み合わせたたどんは、当時としては画期的なリサイクル燃料であった。ある古老の回想によれば、「たどんの火加減は、まるで生き物のように繊細で、部屋全体を優しく温めてくれた」という。この証言は、江戸の人々が確立した洗練された暮らしの知恵を如実に物語っている。
実は、たどんは、炬燵だけではなく、煮物料理や、お湯を沸かしてお茶をいれるのにも使った。火力は1キロあたり5000Kcal前後で、木炭より弱いが長時間燃焼し続ける便利なものである。
”たどんに目鼻” というのは、色黒で目鼻立ちがはっきりしない表現で、
相撲では黒星のことを「たどん」といい、ちょっと見た目が悪かったりするのだが、それだけ生活に馴染んでいたということである。
いまではあまり炭団を使うことはないが
サザエさんという漫画に炬燵に手を入れて、みかんと炭団を間違えるというシーンがあるらしい 実は昭和初期まで使われていたのである。
そこで、ちょっとエネルギーの観点から炭団を考察したい
エネルギー視点からの炭団
エネルギー源の歴史と特徴について、炭団(たどん)から現代の暖房機器まで、ざっとエネルギー観点からながめてみよう。
炭団は江戸時代から昭和初期にかけて広く使われた暖房用の燃料だ。木炭の粉を海藻から作った糊で固めて作られ、一日中ゆっくりと燃え続けるという特徴がある。発熱量は1キロあたり約5,000キロカロリーで、現代の灯油やガソリンと比べると低いものの、室内暖房用としては十分な熱量を持っていた。
炭団の最大の特徴は、その使いやすさにある。一度火をつけると、火加減を調整するだけで一日中燃え続け、部屋全体を程よい温かさに保つことができた。また、木炭の粉を再利用して作られることから、資源を無駄にしない環境にやさしい燃料でもあった。
現代の暖房機器と比べてみよう。ガソリンエンジンは高い出力を出せるが、エネルギーの多くが無駄になってしまう。全体の20-30%しか有効な仕事に変換されず、残りは排気や冷却で失われてしまうのだ。
灯油ファンヒーターは、熱効率が80-90%と高く、使い勝手も良い。ボタン一つで温度調整ができ、安全装置も充実している。しかし、灯油の価格変動の影響を受けやすく、定期的なメンテナンスも必要となる。
環境への影響を考えると、炭団には利点が多い。硫黄分が少なく、木炭の再利用という点で環境負荷が低かったのだ。一方、現代の化石燃料は高い熱効率を持つものの、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を多く排出する。
維持管理の面では、それぞれに特徴がある。炭団は灰の処理や火の管理に手間がかかるが、道具は簡単で壊れる心配が少ない。現代の暖房機器は操作は簡単だが、故障時の修理や部品交換が必要となる。
コストを比べると、炭団は材料費が中心で初期費用が低く抑えられる。現代の暖房機器は設備の購入費用がかかり、燃料代も価格変動の影響を受けやすい。
この比較から、将来のエネルギー技術への重要なヒントが見えてくる。効率の良さだけでなく、環境への影響や資源の再利用も考える必要があるのだ。炭団のような昔の知恵を現代の技術と組み合わせることで、より良いエネルギー利用の形が見つかるかもしれない。
たとえば、バイオマス燃料の開発では、炭団の持つ「ゆっくりと安定して燃える」という特徴を参考にできる。また、廃材や副産物を活用する考え方は、資源の循環利用を目指す現代にも通じるものがあるのではないだろうか・・・
技術は進歩しても、「限られた資源を無駄なく使う」という基本的な考え方は変わらない。炭団という昔の暖房用燃料には、現代のエネルギー問題を考える上で重要なヒントが隠されていると思う。
現代への炭団の提言
田中優子氏の実験:
江戸時代の生活様式と現代への示唆について、史家・田中優子氏は、実験的研究をしたことがある。本にもなっているので、読まれた方も多いと思うが、その中ではつぎのようなことがわかっている。
江戸の暮らしは、驚くほどに少ないエネルギーで営まれていた。行燈の明るさは現代の60ワット電球のわずか100分の1に過ぎず、現代人の感覚からすれば著しく不便に映るであろう。しかし、この光量の制約は、むしろ創意工夫を生む源泉となっていたのである。
着物一つを取っても、その使用法には深い知恵が宿っていた。夏には裏地を取り去り、冬には綿を入れることで、一着の着物を四季折々に適応させていた。また、ほつれが生じれば自ら修繕を施し、一着の着物を長きにわたって大切に着用し続けたのである。
照明についても、行燈の微かな光に適応すべく、様々な工夫が凝らされていた。和紙と墨を用いた書物の制作は、その代表的な例である。また、浮世絵も、この光量に最適化された芸術として発展を遂げた。限られた資源の中で、人々は環境に適応しつつ、新たな文化を育んでいったのである。
時間に対する認識もまた、現代とは大きく異なっていた。江戸の人々は、時間を直線的な進行として捉えるのではなく、一年という循環の中で理解していた。この世界観は、資源を大切にする持続可能な生活様式と密接に結びついていたのである。
本質的な豊かさ:
田中優子氏の研究が示唆するのは、手間を惜しまない生活の真価である。確かに、江戸の暮らしは現代の基準からすれば煩瑣であった。しかし、その手間こそが、創意工夫を生み、生活に深い充実をもたらしていたのである。
現代社会は効率と利便性を追求するあまり、手間を省くことばかりに腐心している。しかし、むしろ手間をかけることによって生まれる工夫の喜び、創造の楽しみこそが、真の豊かさをもたらす。江戸の人々の暮らしは、現代人が失いつつある本質的な豊かさを、雄弁に物語っているのである。
この歴史的な知見は、持続可能な社会の構築を模索する現代において、極めて示唆に富むものである。効率や利便性の追求が必ずしも人間的な充実をもたらさないという事実は、現代の生活様式を再考する重要な契機となるであろう。
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