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一汁三菜の日

まえがき

はじめてトライするタイトルである。
連続投稿に挑戦していた時期には、ちょうど佐賀県に出張していたらしく
香港の旅行記がストックにあったのでそちらを投稿した。

上のnoteは自分の修学旅行という気分で考えをまとめて書いたこともあり
読んでいただきたいが、、、
今日は語呂合わせみたいに食品メーカーが伝統的な食事のスタイルを次世代に継承しようと制定した記念日である。
まずは、ユネスコに和食が世界遺産となっている。無形文化遺産というらしい。その理由についてまとめるところから書いてみたい。

一汁三菜

「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された。

登録の主な理由として、以下の4つの重要な特徴が評価された:

  1. 多様で新鮮な食材の活用 南北に長い日本の地形を活かした多様な食材を使用し、素材の味わいを活かす調理技術が発達した点が特徴である。

  2. 健康的な栄養バランス 一汁三菜を基本とする理想的な食事スタイルを持ち、うま味を活用した動物性油脂の少ない食生活を実現している点が挙げられる。

  3. 自然との調和 季節の花や葉による料理の装飾や、四季の移ろいを表現する盛り付けと器の使用に特徴がある。

  4. 年中行事との関係 正月などの伝統行事と密接に関わり、家族や地域の絆を深める役割を果たしている。

文化的意義として、この登録は単なる料理としてではなく、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた食に関する「習わし」として評価された。これは日本の食文化全体が、世界的に重要な無形文化遺産として認められたことを意味している。

この中の一つの要素である一汁三菜を重点としてみる。
そもそも一汁三菜とは、

基本的構成

主食:ご飯
一汁:味噌汁、スープなど汁物1品
三菜:主菜 タンパク質を中心の料理
   副菜2品 野菜、海藻類などを中心とした料理

これは実は千利休が、本膳料理という豪華な料理のアンチテーゼとして
提唱したものである。質素で簡素な中に美を見出す「わび」の思想を表現し、最小限の品数でもてなしの心を目指す引き算の美学がきいている。
茶会の前の食事なので、茶の味わいを損なわない程度の量、そして時間も茶に集中できるように短くする、なにより過度を避け素材の味を活かす日本料理の本質も踏まえての提案なのである。

料理を小鉢で出す

日本料理の特徴として、諸外国の料理と比べてやたらと食器が多いことが挙げられる。
日本料理において、器は単なる食器以上の重要な役割を担っている。料理人たちは、一品一品の料理に込めた思いを最適な器で表現することを重視し、それは和食文化の本質的な要素となっている。器と料理の調和により、視覚、触覚、嗅覚、味覚、そして時には聴覚までもが刺激される、五感で楽しむ豊かな食事体験が創出される。また、四季折々の移ろいや、供される場面に応じた繊細な器選びにより、料理の価値は一層高められることとなる。

日本の食文化において特筆すべきは、料理の種類に応じて専用の器が発展してきた点である。例えば、なますという酢の物専用の器は、長い歴史の中で改良が重ねられてきた。この器は程よい深さと大きさで設計されており、酢の染み出しを防ぐ工夫が施されている。これにより、料理の見た目の美しさが保たれ、なますの持つ爽やかな風味と視覚的な美しさが最大限に引き立てられる。

土瓶蒸しもまた、日本料理における器と料理の調和を示す好例である。その形状は、蒸し物の香りと味を最大限に引き出すよう設計されている。注ぎ口から立ち上る湯気は、料理を目で楽しむ演出としても効果的で、食事の始まりを告げる視覚的なシグナルとなっている。この様な演出は、料理を単なる栄養摂取以上の、豊かな文化的体験へと昇華させている。

刺身の器選びにおいては、特に細やかな配慮が必要とされる。向付と呼ばれる器は、生魚の色合いを引き立てる深みのある器として知られ、その選択には料理人の深い美意識が反映される。また、水引と呼ばれる凹みは、余分な水分を受けることで、刺身本来の味と食感を損なわないための工夫である。これらの細部への配慮は、日本料理における「もてなしの心」の表れといえる。

煮物に用いられる器も、その料理の特性に合わせて進化してきた。小鉢は汁気のある料理に適した深さを持ち、蓋物は料理の温かさを保つだけでなく、蓋を開けた時の演出効果も考慮されている。この「開けた時の楽しみ」という要素は、日本料理における視覚的な演出の重要性を示している。

酒肴の器については、より繊細な配慮がなされる。珍味入れは、少量の珍味を引き立てる小ぶりな器として、その形状や大きさが細かく計算されている。猪口は一口サイズの肴に最適な深さと形状を持ち、酒の肴を美しく見せるだけでなく、食べやすさにも配慮がなされている。

現代の料理人たちの間では、「器は料理の着物である」という考えが深く根付いている。これは、料理を単なる食べ物としてではなく、一つの芸術作品として捉える日本料理の本質的な考え方を表している。一品一品を丁寧に扱い、最適な器で提供することは、料理人の思いを視覚的に表現する重要な手段となっている。

この様な日本料理における器と料理の関係性は、和食文化の重要な要素として世界的に高い評価を受けている。適切な器の選択により、料理の価値と美しさは一層引き立ち、それは単なる飾り付けを超えて、日本の食文化の本質的な部分を形成している。

器の選択は、料理人の技術と感性が結実する重要な場面である。それは料理の味わいを最大限に引き出すだけでなく、季節感や場面に応じた演出を可能にし、食事の場を豊かな文化的体験へと昇華させる。こうした伝統は、現代においても脈々と受け継がれ、新たな解釈や表現を加えながら、日本の食文化の発展に寄与し続けている。

このように、日本料理における器は、単なる食器以上の深い意味を持つ。それは料理人の思いを表現する媒体であり、和食文化の重要な構成要素である。各料理に最適な器が開発され、受け継がれてきた背景には、食事を通じて五感に訴えかけ、精神的な満足も提供しようとする日本の食文化の本質が存在している。

混ぜない

基本的には、料理は個人ごとに盛り付ける、家族それぞれのお茶碗も箸も専用なことが多い。さらに料理は混ぜない。端的にいえば、ごはんとおかずは別々に出す。ごはんと一緒に食べるからといって、丼物は別だが、一緒に盛り付けない。お隣の中国では結構平気で、別の料理どおしを混ぜてしまうこともある。これは、日本料理が、素材の味を活かし、シンプルに味付けをしているのに、ほかのが混ぜられたら台無しだからという理由もある。
それぞれの料理を作り手の配慮にしたがって食べるのである。
これは、どっちがいいというよりも、中国では、複数の香りや辛味を重ねて豊かな味わいを目指すのとは方向性が違うのだ。

三角食べ

ごはんと主菜、副菜、さらに汁物を順番に口に運ぶ食べ方である。
日本料理は口中ではじめて混ざり合う。これには香の物、つまり漬物も大事な役目を果たすが、一汁三菜の中に実は香の物は入っていない。
本人好みの味の濃さもあることから、こうした食べ方が尊重される。
主菜の味が薄ければ、香の物で調整するといった具合だ。それなのに、混ざられると調整が狂う。

神経質なゾーニング

ちょっと神経質に思えるかもしれないが
こうした文化が実はものづくりの品質に効果を発揮したこともわかる
大田区を取材したことがあった。そのときに、

納品物を鉄粉が舞い散る場所においているといった事例は日本では起こりにくい。これをゾーニングというらしい。
料理の一品一品を小鉢に分けることは実はゾーニングをしているといっていいだろう。日本は実は疫病対策も徹底していた歴史を持つのである。
ここで日本における料理分離と衛生観念の歴史的考察について、その関係性を詳しく述べていきたい。

江戸時代、長崎出島は日本における西洋との接点であったが、同時に疫病の入り口でもあった。コレラや赤痢などの感染症が持ち込まれる中、日本人は経験的に食事方法を工夫することで感染予防を図っていった。一つの例として、宴会での大皿料理を避け、一人一人に料理を分けて配膳する習慣が定着していったことが挙げられる。

興味深いエピソードとして、ある藩の記録には、疫病が流行した際に、藩主が家臣たちに対して「飲食の際は互いの箸を交えぬよう」という触れを出したという記述が残されている。このような具体的な指示が出されていたことからも、当時の人々が食事と衛生の関係性を重要視していたことがわかる。

日本の伝統的な食事作法においては、一つの皿の料理だけを食べ切る「片付け食い」を無作法とし、複数の料理を順番に口にする作法が推奨されてきた。これは単なる礼儀作法という側面だけでなく、料理同士を混ぜないことで食材本来の味を損なわないという美食の知恵でもあった。

明治時代には、西洋から「hygiene(衛生)」という概念が導入され、「衛生」という言葉が生まれた。しかし、それ以前から日本人は清潔に関する独自の感覚を持っており、それは食事の場面でも実践されていた。例えば、料理人の世界では「包丁」と「まな板」を料理の種類によって使い分ける習慣が古くから存在し、これは現代の食品衛生の考え方と合致するものである。

空間的な配慮も特徴的で、料理ごとに専用の器を使用し、個人ごとに食器を分け、さらには約1.8メートル(畳一枚分)の距離を保つ習慣があった。この距離感覚は、現代のソーシャルディスタンスの考え方を先取りしていたとも言える。

こうした伝統は現代においても重要な意味を持っている。個々の料理を分けて提供することは、交差汚染のリスクを低減し、食材の鮮度管理を容易にする。また、食物アレルギーへの対応も明確になるという利点がある。

例えば、近年の寿司店では、醤油を個別の小皿に取り分ける習慣が定着しているが、これは複数人で一つの醤油差しを共有することによる細菌感染のリスクを防ぐという現代的な衛生観念と、日本の伝統的な料理分離の考え方が見事に調和した例と言えるだろう。

このように、日本の食文化における料理分離の考え方は、長い歴史の中で培われた知恵であり、現代の衛生管理の観点からも理にかなったものであることが理解できる。

もう少し遡ると、清めという伝統もまたあった。

清め

日本の伝統的作法の多くは、清潔観念と切り離すことができない関係にある。特に注目すべきは、この「清め」の思想が神道の影響を強く受けており、単なる物理的な清潔さだけでなく、精神的な浄化の意味も含んでいる点である。

その代表的な例として、神社参拝時に行う手水の儀式が挙げられる。手水は単なる手洗いではなく、心身を清める儀式としての意味を持つ。口をすすぎ、手を洗うという行為は、外界の穢れを落とし、神聖な場所に入る準備として行われる。この行為は、物理的な清潔さと精神的な清浄さを同時に追求する日本の伝統的な清潔観念を如実に表している。

日本家屋における靴の脱着も、同様の文脈で理解することができる。靴を脱ぐ習慣は、単に床を汚さないためだけのものではない。外の穢れを家の中に持ち込まないという清潔観念が根底にある。玄関は外と内の境界線として機能し、そこで靴を脱ぐという行為は、物理的にも精神的にも清浄な空間に入る準備としての意味を持つ。

食事作法においても、清潔観念は重要な役割を果たしている。箸の使用に関する様々な禁忌、例えば箸渡しの禁止などは、単なるマナーではなく、清潔と不浄の概念に基づいている。箸を舐めることや、共用の皿に直接箸をつけることを避けるのは、衛生面での配慮が根源にある。

江戸時代から定着した一人一膳の文化も、疫病対策としての側面が強い。個人の食器を使用し、他人と共有しないという習慣は、感染症の拡大を防ぐ実践的な知恵であると同時に、日本の清潔観念の表れでもある。

入浴文化も日本の清潔観念を考える上で重要な要素である。湯船に入る前に身体を洗う習慣は、湯船の水を共有するという文化と密接に関連している。これは他人の汚れを気遣う日本特有の清潔観念の表れと言える。温泉文化においても、身体を洗ってから湯に浸かるという習慣は、温泉の効能を最大限に享受するためだけでなく、他の入浴者への配慮という側面も持っている。

このように、日本の伝統的作法は清潔観念と密接に結びついており、単なる形式的なマナーではない。それは身体的な清潔さと精神的な清浄さを同時に追求する日本独自の文化的価値観を反映している。この清潔観念の形成には、神道の影響を受けた「清め」の思想、疫病対策としての衛生習慣、そして他者への配慮という社会的側面が複雑に絡み合っている。

現代においても、これらの伝統的作法は日本人の日常生活に深く根付いており、日本文化の重要な一面を形成している。日本の清潔観念に基づく伝統的作法は、衛生的であるだけでなく、精神的な浄化や社会的調和を促進する役割も果たしており、日本社会の秩序維持や公衆衛生の向上に大きく貢献してきた点は特筆に値する。

あとがき

ユネスコに無形文化遺産として登録されたのは、日本にとって財産だ
その財産のひとつ、清めとゾーニングについて少し触れた
片付け食べなどの概念も実はこれに類する
根底には自然と一体化する心が生んだことなので、次回はもう少し
突っ込んでそちらを書いてみたい。

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