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思い出横丁の日

まえがき

思い出横丁という新宿に名所の酒場がある。
私はどちらかといえば、新宿ならゴールデン街のほうが好みだったのと
それから、学生時代からのなじみということでいうと新宿より渋谷が贔屓である。

それで、種の起源が出版されたことになぞらえて、思い出横丁はなくり恋文横丁が消されたのをどういう自然淘汰かと書いている。ずいぶんと偏った記事になったが宿題のとおり種の起源について書いてみよう

種の起源

1859年11月24日に出版された『種の起源』は、生物学の歴史において画期的な転換点となった著作である。当時の社会では生物種は神による創造物であるという考えが支配的であったが、ダーウィンはこの既成概念に真っ向から挑戦する革新的な理論を展開した。私が特に注目するのは、この著作が当時の自然科学の方法論そのものを変革した点である。

ダーウィンが提唱した自然選択説の核心は、生物の進化が三つの要素の相互作用によって生じるという点にある。すなわち、個体間における性質の変異、親から子への形質の遺伝、そして環境による淘汰である。この理論の革新性は、私の研究経験からも明らかだが、進化のプロセスを機械的かつ自然な現象として説明した点にある。

特筆すべきは、ダーウィンの理論がラマルクの用不用説と一線を画していることだ。ラマルクが主張した目的論的な進化観に対し、ダーウィンは進化に目的や方向性がないことを明確に示した。私の見解では、この無目的性の認識こそが現代生物学の礎となっている。生物の変化は偶然の突然変異により生じ、環境への適応はあくまでその結果として現れるのである。

『種の起源』の影響力は、その学術的価値のみならず、非専門家にも理解できる明快な論述にも起因している。私の講義でも常に強調することだが、この著作は生物学の基礎を根本から変革しただけでなく、宗教や哲学の領域にも大きな波紋を投げかけた。

現代においても自然選択説は、適応進化を説明する最も有力なモデルとして認められている。ただし、注目すべき点として、ダーウィンの時代にはDNAや遺伝の分子メカニズムは未解明であった。これらの理解は20世紀以降の研究によってもたらされ、私たちの進化に関する理解をさらに深化させている。近年の研究でも、エピジェネティクスなど新たな発見が相次いでおり、ダーウィンの理論は現代科学によってその正当性が裏付けられ続けているのである。

ダーウインの自然観

まえがきに載せたnoteでは、自然に畏怖をもっていたとダーウインのことを書いているが、ちょっと概観からダーウインの自然観について考えてみる

La caractéristique la plus révolutionnaire de la vision darwinienne de la nature réside dans son rejet catégorique de la pensée téléologique. Fort de mes années d'expérience en recherche, je suis convaincu que ce changement de perspective a constitué le fondement de la biologie moderne. Alors que les théories de l'évolution antérieures supposaient que les organismes évoluaient intentionnellement pour s'adapter à leur environnement, Darwin a complètement renversé cette conception. L'idée que les changements biologiques résultent de mutations aléatoires, et que l'adaptation à l'environnement n'en est qu'une conséquence, est aujourd'hui fortement corroborée par les découvertes en biologie moléculaire.
Il est particulièrement important de souligner la vision mécaniste de la nature proposée par Darwin. Concevoir la sélection naturelle comme un processus mécanique dépourvu de finalité était extraordinairement novateur pour l'époque. Dans mes cours, j'insiste toujours sur le fait que la survie n'est que le produit du hasard et de la compatibilité environnementale, et qu'il n'existe pas de direction spécifique dans l'évolution des organismes. Cette compréhension constitue un fondement théorique essentiel de la recherche moderne en biologie évolutive.
Une autre caractéristique de la vision darwinienne est l'importance accordée aux changements graduels. Du point de vue de la biologie moléculaire, mon domaine de recherche, la validité de cette conception est confirmée. L'idée que diverses espèces se diversifient à partir d'ancêtres communs par des changements progressifs sur de longues périodes est également soutenue par les analyses génomiques modernes. La perspective privilégiant l'accumulation de petites mutations plutôt que des changements brusques et majeurs est devenue un concept central de la biologie évolutive moderne.

ダーウィンの自然観における最も画期的な特徴は、目的論的思考の徹底的な否定である。私の長年の研究経験からも、この視点の転換こそが現代生物学の基礎を形成したと確信している。それまでの進化論では、生物が意図的に環境に適応しようとして進化すると考えられていたが、ダーウィンはこの考えを根本から覆した。生物の変化は偶然の突然変異によって生じ、環境への適応はあくまでその結果に過ぎないという理解は、現代の分子生物学的知見からも強く支持されている。

特に注目すべきは、ダーウィンが示した機械論的自然観である。自然選択を目的のない機械的なプロセスとして捉える視点は、当時としては極めて斬新であった。私の講義でも常に強調することだが、生存は単なる運と環境適合性の産物であり、生物の変化に特定の方向性は存在しない。この理解は、現代の進化生物学研究において重要な理論的基盤となっている。

ダーウィンの自然観のもう一つの特徴は、漸進的変化の重視である。私の研究フィールドである分子進化の観点からも、この考えの正当性は裏付けられている。長い時間をかけた緩やかな変化により、共通の祖先から様々な種が分岐して多様化するという考えは、現代のゲノム解析によっても支持されている。突然の大きな変化ではなく、小さな変異の蓄積を重視する視点は、現代の進化生物学の中心的な概念となっている。

La perspective de la lutte pour la survie est également un élément crucial de la vision darwinienne de la nature. La reconnaissance que les limitations de la capacité environnementale empêchent la survie et la reproduction de tous les individus est clairement démontrée par les études écologiques. L'idée que la compétition entre individus constitue le fondement de la sélection naturelle est attestée par les nombreux cas de radiation adaptative que j'ai étudiés.
Ainsi, la vision darwinienne, qui rejette la téléologie au profit d'une approche mécaniste et aléatoire, n'était pas seulement révolutionnaire pour son époque, mais continue de fournir un cadre théorique important pour la recherche biologique moderne. Mon expérience de recherche confirme que la validité de cette vision est constamment réaffirmée par de nouvelles découvertes. Même à la lumière des connaissances modernes en épigénétique et en biologie évolutive du développement, la vision fondamentale de Darwin reste pertinente.

生存競争の視点も、ダーウィンの自然観を特徴づける重要な要素である。環境収容力の制限により、すべての個体が生存・繁殖できるわけではないという認識は、生態学的な研究からも明確に示されている。個体間の生存競争が自然選択の基礎となるという考えは、私が研究してきた様々な生物種の適応放散の事例からも実証されている。

このように、ダーウィンの示した目的論を否定し、機械論的で偶然性を重視した自然観は、当時としては革新的であっただけでなく、現代の生物学研究においても重要な理論的枠組みを提供している。この自然観の妥当性は、新たな発見によって繰り返し確認されていると言える。現代のエピジェネティクスや進化発生生物学の知見を踏まえても、ダーウィンの基本的な自然観は依然として色あせていない。

生存競争

生存競争を唱えたのはマルサスである、人口論でそれを示した。
ダーウインは人口論を読んで示唆を受けたのである。

L'évolution du concept de lutte pour la survie et les contributions des personnages principaux peuvent être expliquées comme suit.
Le concept de lutte pour la survie fut initialement suggéré par Thomas Malthus dans son "Essai sur le principe de population". Darwin a lui-même reconnu avoir développé ce concept en s'inspirant des écrits de Malthus.
Dans "L'Origine des espèces", Darwin a établi le terme de lutte pour l'existence (struggle for existence) comme élément fondamental de sa théorie de l'évolution. Dans l'interprétation de Darwin, la lutte pour la survie n'était pas simplement une question de survie du plus fort, mais plutôt un processus mécanique expliqué du point de vue de l'adaptation à l'environnement.
Herbert Spencer a appliqué le concept de lutte pour la survie à la société humaine et a créé l'expression "survie du plus apte". Bien que cette interprétation différât de l'intention originale de Darwin, elle s'est ensuite répandue sous la forme du darwinisme social.
Dans la biologie moderne, la lutte pour la survie est comprise dans un contexte plus large, englobant la compétition entre individus de la même espèce, la compétition entre espèces différentes, et l'interaction avec l'environnement. Ainsi, le concept de lutte pour la survie s'est développé grâce à plusieurs penseurs jusqu'à nos jours.

生存競争の考え方は、トマス・マルサスが『人口論』で最初に示唆した。ダーウィンは自身で認めているように、マルサスの著作からヒントを得て生存競争の概念を発展させた。

ダーウィンは『種の起源』において、生存競争(struggle for existence)という用語を使用し、進化理論の重要な要素として確立した。ダーウィンの解釈では、生存競争は単なる弱肉強食ではなく、環境への適応という観点から説明される機械論的なプロセスとして捉えられた。

ハーバート・スペンサーは生存競争の概念を人間社会に応用し、「適者生存」という用語を作り出した。これはダーウィンの意図とは異なる解釈であったが、後に社会ダーウィニズムとして広がっていった。

現代の生物学では、生存競争は同種個体間の競争、異種間の競争、環境との相互作用として、より広い文脈で理解されている。このように、生存競争の概念は複数の思想家によって発展され、現代に至っている。

スペンサーとの差異

よくあることだが、マルクスとマルクス主義が違うもののように
ダーウインとダーウイニズムは別物である。
というのは、適者生存という言葉があたかもダーウインが考えたように流布されているが、あくまで機械論的プロセスで、それは弱肉強食ではない。
フランス現代思想でも、目的論的思考への批判が行われたりしているが
目的論とは、強弱をつけるものであってダーウインはそうではない。
このことは別にnoteすることにする。
また、フーコーは進化論に着想を得て知の考古学を残している
権力と知の関係、近代主体性の形成過程の分析に取り入れたということだけ書いておく。
ともかくも、スペンサーのせいといっては書きすぎだが、ダーウイニズムの間違った流布のせいで、エセ進化論者が世の中にいる、しかも今もだ。

似非進化論者

似非進化論者の最も顕著な特徴は、ダーウィンの提唱した「適者生存」の概念を「強者生存」と誤って解釈することにある。この誤謬は単なる理論的な誤解に留まらず、社会構造における深刻な歪みを生み出す原因となっている。特に注目すべきは、彼らが自然淘汰の過程を極めて単純化し、弱肉強食を自然の不変の法則として捉える傾向である。

さらに問題を深刻化させているのは、進化に目的論的な方向性を付与しようとする傾向である。この誤った解釈は、19世紀後半にハーバート・スペンサーによって提唱された社会進化論と結びつき、現代においても根強く残存している。特に憂慮すべきは、この誤った解釈が社会的な不平等や差別を正当化する理論的根拠として悪用されている現状である。

科学的な観点からも、似非進化論者の主張には重大な欠陥が見られる。彼らは実証的な研究手法を軽視し、観測データや実験結果による検証を怠る傾向にある。代わりに、個人の主観的な経験や直感的な理解に基づいて進化のメカニズムを説明しようとする。このような非科学的なアプローチは、進化論の本質的な理解を妨げるだけでなく、社会に誤った知識を広める結果となっている。

現代社会において特に深刻な問題は、メディアを通じたこれらの誤った解釈の拡散である。ソーシャルメディアの普及により、科学的根拠を欠いた進化論の解釈が急速に広まり、それが既存の社会的偏見を強化する結果となっている。また、個人の努力による進化を過度に強調する風潮は、社会構造的な問題を個人の責任に帰結させる危険性をはらんでいる。

これらの問題に対処するためには、科学的知見に基づいた正確な進化理論の普及と、社会構造的な視点からの批判的分析が不可欠である。同時に、教育現場やメディアにおいて、進化論の本質的な理解を促進する取り組みが求められる。

似非進化論者の例

似非進化論者の主張に対する科学的観点からの批判について、体系的な分析を行う。

まず、目的論的解釈の誤りについて論じる必要がある。典型的な例として、キリンの首の進化に関する誤った解釈が挙げられる。「高い葉を食べるために首を伸ばした」という説明は、生物が意図的に進化を選択できるという誤った前提に基づいている。このような獲得形質の遺伝を無批判に信じる姿勢は、現代の遺伝学の知見と明確に矛盾する。

科学的手法の無視も重大な問題である。似非進化論者は実験や観測による検証を軽視し、反証可能性を認めない主張を展開する傾向が強い。特に懸念されるのは、個人的な経験や証言に過度に依存し、客観的な科学的証拠を軽視する態度である。

創造論者による進化論批判にも同様の問題が見られる。彼らは進化論を「絶対的真理」として批判するが、これ自体が進化論に対する根本的な誤解に基づいている。科学的証拠の恣意的な解釈や、宗教的信念と科学的方法論の混同は、建設的な議論を妨げる要因となっている。

正しい進化論の理解においては、以下の点が重要である。進化は目的を持たない機械的なプロセスであり、環境への適応は進化の目的ではなく結果として生じるものである。進化のメカニズムの根幹は、突然変異と自然選択の組み合わせにある。

このような科学的な理解に基づけば、似非進化論者の主張の多くは、進化のメカニズムについての根本的な誤解や、科学的方法論の軽視に起因していることが明らかとなる。これらの誤解を正し、科学的な進化論の理解を促進することは、現代の生物学教育において重要な課題となっている。

さらに、変化したものだけが生き残るということについて

「変化するものだけが生き残る」という広く流布した考え方には、複数の重大な問題点が存在する。

まず指摘すべきは、この理論が進化のプロセスを過度に単純化している点である。実際の進化は複雑で多様な要因が絡み合う現象であり、単純な因果関係では説明できない。さらに、この考え方は生物が意図的に変化を選択するかのような印象を与えるが、これは進化の本質的な無目的性を無視している。また、「生き残ったものが適者」という循環論法に陥る危険性も内包している。まさにトートロジーだ。

科学的な進化理論との乖離も顕著である。この理論は自然選択のみを強調し、遺伝的浮動による中立進化の重要性を看過している。また、変化の源泉となる突然変異の偶然性や有害変異の存在を十分に考慮していない。特に注目すべきは、一部の生物種が長期間ほとんど変化せずに生き残っているという事実を、この理論では適切に説明できない点である。

さらに深刻な問題として、この理論の誤用がある。社会ダーウィニズムへの転用は、差別や不平等を正当化する論理として悪用される危険性をはらんでいる。また、ビジネス界においてもこの理論が安易に適用され、科学的根拠を欠いた経営判断の根拠として使用される事例が散見される。

「変化するものだけが生き残る」という単純化された理論は、進化の本質的な複雑さを適切に捉えていない。進化は自然選択のみならず、遺伝的浮動や中立進化など、多様なプロセスを含む現象である。この理論を無批判に受容することは、進化に対する根本的な誤解を招くだけでなく、より広範な社会的問題の温床となる可能性がある。

このような理論の限界と問題点を認識することは、進化論の正しい理解と、その適切な応用のために不可欠である。特に教育現場や一般社会において、進化の複雑性と多様性について、より正確な理解を促進していく必要がある。

あとがき

わたしは文系だが、短絡的な発想が恥ずかしく思うときがある。
しっかりとした理論を構築するよう文系の人間も訓練すべきであるように思う。文系と書いたが、そうではない。とくにマスコミか・・・
ほかにも、分子時計に関する時期推定から種の分岐点の話など
単純でないことが山程このテーマにはある。でもそれは次回にしようと思う。

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