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【3分で学べる偉人の名言】 お釈迦様から学ぶ、普遍的に嫌われる存在“老害”にならない様にするためのヒント
頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。ただのむなしい老いぼれである。
真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される。
本日は世界的に有名な「お釈迦様」「ブッダ」こと「ゴータマ・シッダルタ」の言葉である。
何を隠そう、私はヘアースタイルを“丸坊主”にしてからというもの、それまで全く興味がなかった「仏教」に急に興味を持ち始めるという不思議な経験をしている。
最近では嫁から「お坊さんになれば?」と本気で言われるほど、仏教に対しての知識も深まったきた。
ブッダは35歳で“悟り”を開いたそうですが、現在私も35歳。
しかしながら全然悟れそうな気配もなく、煩悩だらけの毎日を送っている。
ちなみに、キリストも35歳くらいから活動を開始しているため、このくらいの年齢が“悟りやすい”時期なのかもしれない。
ブッダについては沢山面白いエピソードがありすぎるので、今回は割愛する。
ということで、早速本日の名言に注目してみると、「立派な年長者」になるための心得が示されている名言であることがわかる。
最近よく聞く様になった「老害」という言葉は、
「若者が年長者を敬わなくなった!けしからん!」
という風に受け取ることもできるが、逆を言えば
「尊敬に値する年長者が少なすぎる!」
という問題の表れなのかもしれない。
私も35歳という「若い」とも「もう若くない」とも受け取れる、“微妙な年齢”に差し掛かってきた。
これから、歳を重ねていく上で「老害だ!」とか「自分のことしか考えていない!」なんて若い子に言われてしまうとあまりにも寂しいので、なるべく自分自身の「心の垢」を取り除く努力を怠らないようにして、若い人から可愛がってもらえるお爺ちゃんを目指したいと思う。
それにしても、ただただ歳だけを重ねて、自分を磨こうともせず他者への慈しみの心を持たない自己中心的な高齢者を
「ただのむなしい老いぼれである」
と表現した“ちょっと口の悪いお釈迦様”に親近感を覚えるのは私だけだろうか?
要するに、昔からそういった年寄りは「老害」であり、好ましくない存在であったということがわかる。
約2500年前に実在したお釈迦様の教えが、時を超えて現在を生きる私たちに大きなヒントを与えてくれることに、物凄いロマンを感じると同時に「歴史から学ぶ意義」を感じるのである。