
牧野富太郎に憧れた植物画家・桜の仇討(S夫妻の植物画展より)(2002年10月)
2002.10.04 Friday
ここんとこ根を詰めすぎたせいか、今朝は頭が痛く、筋が固まったようになっていた。とても出かけられるような状態ではなかったのだけど、薬を飲んで、何とか出かけた。
行った先は新宿で、東北に住むS夫妻の植物画の作品展。二年ごとに開催される。気さくな人柄のご夫妻は、二年前に伺った際にもいろいろお話をしてくださった。今回は特に、なかなか聞けないようなお話も伺えて、実りの多い日であった。
さて、ここから先は、わたしが事前にどこかで読んだ話(2025年に加筆しているので詳細は不明)。
桜の仇討
ご夫妻の師事された太田洋愛先生は、「桜の太田」と呼ばれるほど、桜の絵で有名な方だったらしい。
その太田先生が発見し「太田桜」と名づけられた桜は、天然記念物となっている。(TOP画像は太田桜ではなくソメイヨシノ)
桜には葉の根元に蜜腺というのがついてるのが、植物学的な定説。ところが、あろうことか「桜の太田」の描いた「太田桜」の絵には蜜腺がひとつも描かれていない。
太田先生は非難を受け、失意のうちに亡くなられたらしい。
S氏は、まさか先生に限って、と信じて疑わなかったそうだ。
のちに、太田桜を移植する話が出た。木の持ち主であるお寺の住職に挿し木をお願いに上がると、「天然記念物を切るとは何事か。」とお怒りに。
太田桜の名付け親である太田先生が画壇に非難されて、太田桜の名折れとなっていることも不愉快だという。
「それでは、一枝下されば、わたしが先生の正しいことを証明して見せます!」
S氏は頼み込み、ほんの一枝だけいただいてきた。
その枝についていた葉62枚全部を詳細にスケッチした。
すると、その太田桜には、蜜腺のない葉のほうが多かったのである。また、蜜腺のついてない部分は密集していた。
だから、太田先生が描かれた部分は、たまたま蜜腺のない部分だったということが考えられるのだ。
こうして見事に師の仇を討ったS氏。
住職は「こんないい弟子を持って、太田先生もさぞお喜びだろう」と感動して、桜の移植を許してくださったそうだ。そのうちの一本は、新宿御苑に植えられた。
若者は先人の話を聞く「権利」がある
S氏にこの話を読んで感動したと話すと、とても喜んでくださった。
そして本当にいろんな話をしてくださった。ほかにもお客様がいらっしゃるのに、わたしばかりでいいのかとたずねると「若者には、僕ら年寄りの話を聴く権利があるんだよ」と言われた。
少し前に話した奥様には「忙しいときには、無理して大きいものを描かなくてもいいんです。やめないで細々とでも続けること、それが一番大事です」と言われた。
S氏はもっと厳しかった。
展示してある葉の絵に添えてある「忙しいから描けないのではなく、忙しいからこそ、葉一枚でも描くべきだ」この言葉にどきっとしたわたしであった。
そのS氏には「とにかく数描くことは絶対に大事です」と言い切られてしまった。確かに・・・ごもっともです(笑)
60代で才能は開花する?
太田先生やほかの大家と言われる先生も、素晴らしい作品を遺されたのはやはり60代も後半になってからなのだそうだ。
「まだ30年以上あります」と答えると、まだまだこれからですよ、と笑われた。ちなみにS氏は40代になってから始められたそうである。
わたしの師事するT先生も始められたのは30代後半。20代後半で始められたわたしはやはり幸せなのだろう、と思う。
そのあと上野に別の展覧会に出かけ、さらにまたもや浅草橋に少し買出し・・・でも帰る頃にはすっかり元気になっていたわたしであった。
2025年の雑感。
そしてあっという間に月日は去り、今のわたしは絵で生計を立てている。そして60代までは数年を残すのみとなった。代表作、描かねばね。
太田洋愛先生の絵、素晴らしい!この展示、行きたかったなぁ・・・
え?よく見ると、無料だったの~???

"植物画を描くということは、労多くしてむくわれることの少ない仕事であるが、たいへん重要な仕事であるから頑張るように"
この言葉は、日本を代表する植物図鑑である『牧野日本植物図鑑』(1940年)を著した植物学者の牧野富太郎が、1929(昭和4)年頃、旧満州(現中国東北部)に暮らした太田洋愛(1910-1988)という一人の植物画家に送った励ましの言葉です。
牧野富太郎は太田洋愛のもとにケント紙、丸ペン、墨、面相筆を送り、手紙には植物を描く上での注意事項を書き添えました。
牧野富太郎との交流がきっかけとなって植物画の道へと進んだ太田洋愛は、終戦を経て1948(Bo和23)年に帰し、その後『原色日本林業樹木図鑑』(1964年)、『原色日本のラン』(1971年)、『日本桜集』(1973年)など、主要な図鑑類の原図を手がけていきます。
1970(昭和45)年には日本ボタニカルアート協会の創立に携わり、戦後日本における植物画の普及にも尽力しました。
本展では、牧野富太郎を尊敬し続けた植物画家の太田洋愛が描いた貴重な植物画やスケッチなど、未公開作品を中心に約100点(前期と後期で展示入替)を紹介します。
会期 【前期】2014年2月1日(土)~3月10日(月)【後期】3月15日(土)~3月31日(月)会期終了
料金 無料
休館日 火曜日休館 ただし2月11日は開館
会場 練馬区立牧野記念庭園記念館
住所 〒178-0063 東京都練馬区東大泉6-34-4
03-6904-6403