見出し画像

名古屋城秋の特別公開「アートサイト名古屋城2024」

名古屋城秋の特別公開「アートサイト名古屋城2024」に行ってきました!
城×アートとは、なかなか面白い試み。

さらにこの週末(12/6(金)~12/8(日))は通常16時半で閉城するところを19時半まで延長して開城する「ナイトミュージアム名古屋城」を開催。

御殿を夜間に見られる!しかも通常料金(500円)のままで!

これは行くしかないでしょ!と張り切って行ってまいりました!

本丸御殿内には狩野哲郎さんの作品。現代アートが意外にマッチしていて違和感がない。

普段は入れない場所に入れる貴重な体験!

まず軽く名古屋城について説明

徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城。大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられる。1930年(昭和5年)国宝(旧国宝)に指定されるも、1945年(昭和20年)5月14日の名古屋大空襲で焼失。2018年(平成30年)復元された本丸御殿の一般公開を開始。現在は天守閣の入場を禁止。

このイベント、名古屋城で見るアートというのももちろんおもしろいのだが、もう一点超オススメなことがある。本丸御殿では、各部屋の前に木製の低い柵が置いてあり、室内には立ち入り禁止となっている。

しかし、アートサイト名古屋城の15日間だけは、「玄関二之間」と「上洛殿松之間」の2部屋に限り、中まで入って観覧できるのだ。

玄関二之間 入室観覧
名古屋城本丸御殿の玄関には、竹林で群れ遊ぶ虎が描かれています。虎は日本には生息しない異国の霊獣であり、来訪者を威圧するため御殿の入口に描かれたのです。また虎が吠えると風が起こり竹がなびくと言われています。日頃はお入りいただけない部屋の中で、四周にわたって連続する竹林と虎の躍動感をご体感ください。

上洛殿松之間 特別公開
上洛殿(じょうらくでん)は、三代将軍家光(いえみつ)を迎える迎賓館として本丸御殿に増築されました。その中の松之間は、四周の襖はもちろん床の間や長押上まで金箔が貼られ、本丸御殿のうち最も多くの金を用いた部屋といえます。満開の桜も描かれ、その豪華さに驚かされますが、将軍が入ることはなく、将軍の家臣が待機する部屋であったと考えられます。

アートサイト名古屋城より)

迫力ある虎の姿が目の前に!ちなみに豹柄の虎は雌なんだとか(マジ?)。

ガイドさんいわく、自分もここに入ったのはじめてとのこと。なかなかない機会、お見逃しなく!

本丸御殿の中はこんな感じ。オレンジ部分は湯殿書院といって別の入り口から入る。

特別史跡名古屋城(公式サイト)より


中ではわたしたちもほかの見学者に混じって、スマホを手に撮影しまくっていたのだが、なぜか会場内のガイドさんによく声をかけられた。

気づくといつも同じおじさまがいて、「ここは天井を見てね」「次の部屋はじっくり見るといいよ」などなどコッソリ教えに来てくれる。ほかのお客さんには言ってる気配がないので、もしかして歴史好きがにじみ出てる?

そりゃ、わたしなんてこんなの書いてる人間だし。

上洛殿の前の案内のおじさまとは、なぜか話が盛り上がり、小一時間話し込んでしまった。さすがとってもくわしい!たぶんこの名古屋城界隈のコアな知識では到底かなわない。

明治維新で名古屋城は新政府に献上され、のち宮内省に移管。1930年(昭和5年)までは「名古屋離宮」と称された。翌1931年までは、一般市民は見ることのかなわない城だったのだ。

「恩賜元離宮」とも呼ばれた名古屋城は、一般公開からたった15年後の1945年(昭和20年)5月14日の名古屋大空襲で、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失。

奥山先生の『葵の残葉』で読んだ徳川の分家筋・高須四兄弟の話など。「あの人たちは気の毒でしたよね。尾張、一橋、会津、桑名を継いで新政府軍と幕府軍で対立したんですから。でも維新後に4人で写真を撮ったりして、仲は良かったんですかね」とおじさま。

その写真とはこれである。

本丸御殿の見学が終わると、よく声をかけてくれたおじさまがなぜか入り口あたりにいて「湯殿書院は行きましたか?」とまたもや教えてくださった。感謝。

なんと200年も使われることなく維持された湯殿書院

湯殿書院はガイド付き。
湯殿というんだからお風呂である。(とはいっても湯舟はなく、蒸しサウナ式のお風呂)

このお風呂、名古屋城にあるのだから、尾張徳川のお殿様のためのお風呂だと思うだろう。ところがどっこい、そうではないのである。

この湯殿書院、将軍さま専用のお風呂。将軍さまが上洛する際に途中でお泊りになる際に利用されたという。

それには以下の経緯があった。

本丸御殿は実際に尾張のお殿様に使われたのはたった5年間で、それ以降は二の丸御殿に移られた。本丸御殿は将軍上洛時の御成御殿となったのである。だから湯殿書院も当然将軍専用というわけだ。

しかし、三代将軍家光が1634年(寛永11年)に3度目の上洛をおこなったあとは、14代将軍家茂の1863年(文久3年)3月まで、なんと200年以上使われなかったのである。

理由の一つは、将軍家の力が増し、天皇のご機嫌伺のために上洛する必要がなくなったからだという。

家茂は上記の最初の上洛以降、第1次・第2次長州征伐に向かう途中にも名古屋城に立ち寄ったと考えられるが、それでも使用されたのは二代家忠・三代家光・14代家茂の3名、多く見つもっても10数回である。

200年以上の間、もちろんいつ将軍様がいらしてもいいように管理し続けたというのだから、なんとももったいない。こんなに豪華な素晴らしい建物がほとんど使われなかったなんて!

来客がひっきりなしに来場している今の方がよほど使われているかもしれない(復元したものだけど)。

名古屋城のWebsiteでは、オススメのフォトスポットとして「③本丸 上洛殿南側からの天守」を挙げている。それがこの青い二頭のドラゴン(水の獣)像のある場所。久保寛子さんの作品。わたしはこれは結構好き。

また、太平洋戦争の日々激しくなる戦況の中で、建物は避難できないけれど、中のものはできるからと、ふすまなどをはずして非難して置いたおかげで、復元の際に元のままを再現できたのだそうだ。

大政奉還の際には、中にあった武器などは尾張徳川家が持ち去ったので、城には刀剣などは残されておらず、それらはすべて尾張徳川家の別荘の跡地につくられた徳川美術館に収蔵されている。

なんにしてもお宝が残ったのはありがたい。しかし戦火で燃えてしまった城は元に戻らない。悔しい。



本丸御殿は2017年9月に来て以来。
本丸御殿はまだ当時は完成前だったのね…

このときは今とは逆にまだ天守閣に入れたので、ちょっとお得な期間だったかも。

一緒に写っているのは、当時名古屋で装画塾を開いて教えてくださっていた宮川和夫さん。撮影は夫の宮田雄平・右下写真の帽子にメガネが宮田。

余談ですが、このあと2021年9月にわたしは宮川さんにインタビューしております。



アートに出会う名古屋城へ

2023年よりスタートし好評を博した、史跡が舞台のアートプロジェクト「アートサイト名古屋城」。今秋は、年間200万人以上の人々が国内外から訪れる“観光地としての名古屋城”からインスピレーションを受け、「観光する行為」そのものをテーマに、総勢6組のアーティストによる作品を城内全域にわたって展開します。
また会期中には、夕暮れから夜間にかけて賑わう3日間の限定イベント『ナイトミュージアム名古屋城 』を開催。観光地であり、文化財でもある名古屋城を味わい、新たな魅力に遭遇する体験をどうぞお楽しみください。

開催概要

会期 2024年11月28日(木)-12月15日(日)
開園時間|9:00-16:30(閉門 17:00)
作品観覧時間|10:00-16:30
*西の丸御蔵城宝館、乃木倉庫、本丸御殿への入館は16:00まで
*天守閣には現在入場できません
*12/6、7、8は「ナイトミュージアム名古屋城」に併せて夜間公開いたします

ナイトミュージアム名古屋城

2024年12月6日(金) ・ 7日(土) ・ 8日(日)
開園時間|9:00-19:30(閉門 20:00)
作品観覧時間|10:00-19:30
*西の丸御蔵城宝館への入館は16:00まで
*乃木倉庫、本丸御殿への入館は19:00まで
*各イベントの詳細は「ナイトミュージアム」欄をご覧ください

観覧料

大人|500円 中学生以下|無料
*名古屋市内高齢者(敬老手帳持参の方):100円
*障害者手帳をご提示の方:無料(付き添い2名まで)
*名古屋城内への観覧料で「史跡・文化財の特別公開」「アートサイト名古屋城」「ナイトミュージアム名古屋城」を併せてご覧いただけます。
会場 名古屋城内の各所




いいなと思ったら応援しよう!