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映画『ある男』の世界に浸る(2022年)

2018年に読んだ小説の中で最高傑作は何かと問われれば、間違いなく『ある男』(平野啓一郎)だと答える。

当時大好きで課金して読んでいたCakesでの連載を、毎週楽しみにしていた。終わったときはしばらくロスになったほど。

当時残した感想を全文載せる。ややネタバレがあるので注意。

(その後ライターが本業となり、自分の拙文が恥ずかしいので軽く校正を入れています。もとの文に興味ある方は、引用下のリンクから飛べます)

2018年10月の終わりから11月にかけて「ある小説」にはまっていた。それが「ある男」(平野 啓一郎)である。

平野氏曰く「読み出すと止まらない小説」ではなく「いつまでも読む終わることなく、その世界に浸っていたい小説」を目指しているとある。

本作において、少なくとも私に対しては平野氏の「たくらみ」は成功していると言える。

最後の部分、何度も読み返して何度も泣いた。そのまま、この世界と自分の世界の境界が曖昧になりそうだった。

平野氏の「人の描き方」のこの丁寧さは何だろう。あまりに巧みで、まるでその場にその人がいるかのようなのに、技巧に走る訳もない。あくまでも真摯で、どこまでも文学的に格調高く正統派なのだ。

実は主人公の弁護士にはあまり共感しなかった。しかしここで平野氏が描きたかったのは「どんな恵まれているように見える人にも、そのバックヤードには何かしらあるモノ」だとこと。その例えとしては「ちょうどよい人物」なのだ。

背景に何かある人(主人公の弁護士)、家庭に問題がある人(T)、自分の預かり知らぬところで不幸を背負わされている人(X)。この3人を軸に物語は展開する。主人公とXには妻(R)が、Tには元恋人(M)がいて、主人公はそのそれぞれの女性ともかかわりを持つ。

幸せって何だろう。
人はいつだって過去との比較で生きている。
その半生を理不尽な不幸で踏みにじられた男(X)が、とある方法で人生をやり直す。その結果、彼は幸せな家庭を手に入れる。それは平凡なものだったけれど、Xにとっては唯一無二の極上のものだっただろう。

田舎の小さな会社で実直に真面目に働いて、地域に少しずつ溶け込んで行ったX。ようやく静かな生活を手に入れられた。そんな些細なことが、彼にとってはどれほどかけがえないことだったか。

ただ妻がいて子どもがいる。そんなありきたりな、他の人にとっては「退屈」といえるかもしれないその生活が、彼にとってはどれほど素晴らしいものだったか。

慎ましく慎ましく生きて幸せを手に入れたその姿が身近な人と重なって、胸を打たれた。
名作だと思う。久しぶりに読んで良かったと思える作品に出会えた。

「ある男」(平野 啓一郎)(2018.11.29 Thursday)


さて、映画は2024年12月13日(金)に視聴。
6年ぶりにその世界に浸った。

悪くはない出来です。結構泣いたし。

ただ、小説が傑作なだけに映画化は難しいのかもしれないとも感じた。

割と今回のキャスティングは好意的に捉えられているようだが、実はわたしはちょっと違うかな、と不安があった。しかし実際に見てみると、意外にはまっていた。特にX役の窪田正孝さん。

彼のちょっと病んだように見える感じと、生気を失った以前のXがピタリはまっていた。本来の自分を取り戻したXの姿もよかった。

ただ、Xの妻R役の安藤サクラさんが、わたし的にはちょっと違う。

もっと華奢で「健気」な感じがするのだ。サクラさんだとたくましすぎて、肝っ玉母さん味が強すぎる。Xとの対比なのかもしれないし、これはこれで「アリ」かもだけど、ピッタリとは思えない。。

あとは、残念ながら「尺が足りない」と感じた。

原作はとても読みやすくてあっという間に読めるが、非常に重厚な作品で、映像だけでは伝えにくい細やかな描写が多いことも、映画でやや物足りなさを感じる一因かもしれない。

映画だと、Xまでたどり着くのが早すぎる。そこが肝のはずなのに。

なぜか主人公と妻の関係にそこそこ重点が置かれていて。

真木よう子さん演じる主人公の妻は、夫とXの妻Rとの関係を疑う。この二人の間には依頼人と弁護士以上の関係は何もない。

原作では、主人公は清野菜名さん演じるTの元彼女Mに惹かれている。映画ではそこはまったく描かれなかったけど。

原作と決定的に違うのはTの描き方だ。

Tが一瞬しか登場せず、言葉を発しなかったのが残念だった。仲野大賀さんの無駄遣いである。

主人公とXの妻Rは、Xの過去を追うと同時にTの過去も追う。Xは運命に翻弄された「被害者」といえるが、TもX同様にみなされていく。

ところが、再会したTは・・・・ここ、すごく意味深で考えさせられる場面だったのに、さっくりなくなっていたのが残念。

ネットでほかの人の感想には「Tがなぜそこまでして自分の人生を捨てようとしたのか理解できない」というのが多かった。

確かにあまり説得力がないよね。原作ではそこはキチンと描かれていたのに、さっくりと削られていたから。(病気の父に危険をともなう臓器移植をすることを半ば強要されていた。そもそも兄と差別されて育った中で、自分の命を軽視されているように感じて、そんな家族から逃げた、という話)

とはいえ、最初に書いたように、悪い映画ではないです。

Xはジムの会長にも最後に勤めた会社の社長にも愛されていた。その描写とか、泣けた。

でも原作もぜひ読んでみて欲しい。


ある男
監督      石川慶
脚本      向井康介
原作      平野啓一郎
製作      田渕みのり
        秋田周平
製作総指揮   吉田繁暁
出演者     
妻夫木聡・・・城戸章良:弁護士。ある日、かつての依頼者である里枝から「ある男」に関する奇妙な相談を受ける。
安藤サクラ・・・谷口里枝:城戸が担当したかつての依頼者。亡くなった「大祐」の身辺調査を城戸に依頼する。
窪田正孝・・・谷口大祐(X):里枝の再婚相手で林業に従事。のちに事故死。死後、偽物の大祐であると判明。Xとして調査される。
清野菜名・・・後藤美涼:本物の谷口大祐の元彼女。
眞島秀和・・・谷口恭一:本物の谷口大祐の兄。老舗旅館の跡取り。
仲野太賀・・・谷口大祐(本物)
真木よう子・・・城戸香織:城戸の妻。
小籔千豊・・・中北:城戸の同僚の弁護士。
柄本明・・・小見浦憲男:戸籍交換ブローカー。
音楽      Cicada
撮影      近藤龍人(J.S.C.)
編集      石川慶
制作会社    松竹撮影所
製作会社    「ある男」製作委員会
配給      松竹
公開      日本 2022年11月18日
上映時間    121分
製作国     日本
言語      日本語
興行収入    5億100万円


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