わたしはイラストレーターである。
イラストレーターの中でも線画で勝負してきたわたしにとって、「線」とは最重要要素である。
昨日の日記に書いたように絶不調の身にはやや難解な展示だったが、おもしろかった。
「え?これのどこが線?」という作品もあって。
この展覧会は以下の構成で展開している。
「線表現の理解」は難解だ。
本展を担当した安来正博研究員は「鑑賞する方の感覚で見てもらえたら」と語る。
約150点にも及ぶコレクション作品を通して、新たに「線をめぐる冒険」に出る展示、だと感じた。
わたしのイラストは線画だ。
リアルなイラストを描く人からはときどき、線画や輪郭線を憎んででもいるような人がいる。確かにリアリティを追求するならば、「輪郭線」などというものは「ありえないもの」なのだろう。
しかし、彼らの発言や考えこそが絵画のすべてだと考えるのは早急だ。
確かに輪郭線はこの世に存在しない。
けれど絵のここに線があることで、「これは写真ではなく絵です」と主張しているのだともいえる。
逆に、実際にあるものを一切描かず、本物そっくりに描くのみが正しいのなら、絵画である必要はないのではないか?
日本のイラストレーション創成期のイラストレーター、つまり大御所たちは押しなべて線画の画家である。
すでに鬼籍に入られた和田誠、安西水丸、ペーター佐藤、原田治、そして我が名古屋の誇る宇野亜喜良…(敬称略)
イラストスクールの恩師でもある安西水丸さんは「線がすべて」だとおっしゃっていた。
線を魅力的に描ける者がイラストレーションを制するのである。
こちらの作品の方が強く印象に残った。
分断された額の作品はもしや、と思ったらやっぱり福田美蘭。
昨年名古屋では、こんな展覧会が話題になった。なんとこれ、名古屋以外に巡回していないのである。
ほかに気になったのは、自身の義足にハイヒールを履いたセルフポートレート作品の現代アーティスト・片山真理。
美術館の冊子に彼女のインタビューが掲載されていた。
もともと写真を「作品」とはとらえておらず、セルフポートレートを取っている感覚もなかったという片山。しかし作品作りを通じて、自身の障害がそのまま「主張」「作品」となることへの責任感を持つようになってきたことなど。
14年半ぶりに訪れた国立国際美術館は、やはり素敵な美術館だった。
カフェのプリンが最高においしかった。しかしこの展示、1200円って安すぎないか?そして高校生以下無料って…!!さすが国立。
夜は大阪駅の居酒屋で粉モンを食べまくって大坂満喫。