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観客の数だけ感想がある

鏡の実践のお話をする前に、まずこのお話をしたいと思います。
数年前、私が友達に誘われて「ジュラシックワールド 炎の王国」という映画を観たときのことです。

簡単なあらすじ 
火山活動が活発になったジュラシックワールドの島に取り残された恐竜たち。クレアとオーウェンは依頼人に頼まれ、恐竜たちを救い出すためにその島に向かったが、依頼人の真の目的は、捕獲した恐竜たちを高額オークションで売り捌くことだった・・・

私はあまり映画に詳しくないので、友達に誘われた時はタイトルだけ聞いて、「あの有名な恐竜映画の続編ね〜」くらいにしか思っていませんでした。しかし、この映画、全然予想と違って、私にとっては号泣レベルの悲しい内容だったんです(笑)恐竜たちがあまりに可哀想すぎて!!!

ネタバレになるので内容には詳しく触れませんが、火山噴火の中で逃げきれずに悲しい声で鳴いていたり、人間の欲望に振り回されて、まるで道具のようにひどい扱いを受ける恐竜たちを見ると、怒りと悲しみで胸がいっぱいになりました。私は犬が大好きなので、そういう姿と重ね合わせて観ていたからかもしれません。

映画が終わって、友達とコーヒーを飲みながら感想を話していると、彼女の口から予想外の言葉が出てきました。

"恐竜、めっちゃ迫力あって、格好良かったよね〜!!"
"ブルー(恐竜の名前)も可愛かったし!"
"私最近イライラしてたから、恐竜が踏み潰しながら歩いてるの、なんかスカッとしちゃったよ(笑)"

・・・全然、感想が違うんです。「そうだよね〜可哀想だったよね!」と言うつもりだったので、すごく驚いたのを憶えています。
私は「可哀想で悲しい・・」という感想を持ったのに対して、彼女は「迫力があって面白かった!」という、別の感じ方をしていました。まるで同じ空間にいながら、全く違う映画を観ていたかのように。

このお話から何が言いたいのかと言うと「観客の数だけ感想がある」ということです。1つ1つの感想には良いも悪いもなくて、同じ映画で同じ恐竜、同じ登場人物を見たとしても「そこに何を感じたのか」「どういう意味づけをしたのか」「どういうストーリーを体験したのか」は人それぞれなのです。

私たちの日常生活でも、同じことが言えます。例えばこの写真を見て、あなたは何を感じるでしょうか?

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"綺麗〜!憧れる〜!"
"なんか自分に自信がありそう。"
"なんか睨んでる?怒ってるのかな。"
"サバサバしてる姉御肌っぽいな〜。"

人によっては、女性の表情よりファッションの方が気になって、

"リップの色が可愛い〜!”
"ティアラが素敵〜!"
"私もこんなビーズのドレス着たい!"
"このドレス、半袖かと思ったら長袖じゃん!おしゃれ〜!"

なんて感じるかも知れません。

女性がこちらを見つめて立っている。実際はただそれだけです。しかし、私たちはそこに様々な解釈を重ね、自分の心で見たいように見ています。

・ 綺麗で憧れの女性
・ プライドが高そうな女性
・ 不機嫌そうな女性
・ 素敵なドレスを着ている女性

こんな風に、自分の世界に、自分の感じたとおりの女性を登場させているのです。

最後に、SNSで話題となった「全ての人を納得させる難しさ」という絵をご紹介しますね。ロバと老夫婦を見た人が様々な感想を言っているのですが、これは「視点による解釈の違い」を表現した絵とも言えるかなと思います。

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このお話は、数年前から東南アジアで話題になっているようで、投稿者のHERBAL 420JAPANさんという方が、分かりやすく日本語にまとめてくださっています。

例えば、ロバに乗っている老夫婦を見ても、「2人で乗るなんて、ロバがかわいそうだ!」という人もいれば「2人も乗せられる力持ちのロバだ!」という人もいるんですね。同じロバを見ていても、前者の世界には可哀想なロバが存在していて、後者の世界には力持ちなロバが存在しているのです。

このように、「私が感じたこと、思ったこと」の1つ1つが、登場人物に意味づけをして、人生という映画のストーリーを創り出しています。そして、ここでのポイントは、私が感じたこと、思ったことが、私の本心であるということです。空気を読んで取り繕いながら発した言葉でも、みんながそう言ってるからそうなんだ!とかでもなく、「それが私の本心である」ということが大切になります。

まずは今、私が何を感じているのか、何を思っているのかをまっすぐに気づいて、受け止めてみてください。「私が感じたこと、思ったこと」が世界に映し出されているのだから。

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