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【老人に聞く】ハッカー通史
変わった若者に「ハッカーとインターネットの歴史を書け。老人にはそうする義務がある」と言われたので、書いてみようと思う。
ハッカーという言葉はまあ曖昧でいささか恰好が良すぎるきらいがある。コンピュータ・ホビイストの歴史と言い換えてもいいだろう。ホビイストという言葉も最近はとんと目にしないが。
最近の若者は、PC-9801を知らないどころの話ではない。なんとブログやWeb2.0の時代すらも知らないのだ。物心ついた時からSNSがあった世代である。しかしこうした歴史は教科書にも載っていない。
文献はいろいろあるものの、通史として書かれたものは数少ないので、書いてみるのもいいだろう。明治維新を同時代人が書き残した通史が意外と少ないように、ハッカーの通史を同時代人が書くのも意外と珍しい例になるかもしれない。
とりあえず簡潔に記すので、もっと深く聞きたいことがあれば、気軽にコメントを残してほしい。また老人諸君は体験談をコメントしてほしい。
ハッカーの始まり
老生も生まれる前の話であるが、ハッカー文化は基本的には1960年代のMITのテック鉄道模型クラブ(TMRC)というところで生まれたと言われている。同時代的な文献はほとんど残されていないがThe Jargon Fileと言われる文献が唯一のまとまった同時代的な文献である。
そのころはコンピュータは大学にしかなかった。DEC PDPシリーズというミニコンピュータを使って、個人が遊びのプログラムを書き始めたのが、ホビイストの真の黎明期である。
この時代を知る人は、いまや70歳以上なので、興味がある人は、早めに聞きに行かないと絶滅してしまうだろう。この世代は、SNSをやっている人も少なく、もはや書き物もあまりしていない人が多い。
この時代の生み出した伝説的な製品はUNIXであろう。いまだに使われるオペレーティングシステムの金字塔である。思想という点では、自由ソフトウェア運動を生み出した。
パーソナルコンピュータ時代
現在パソコンやPCと呼ばれるパーソナルコンピュータとは、本来「個人用のコンピュータ」という意味である。それまでのコンピュータはいくら安いものであっても数百万円~数千万円の値段がしたため、個人が自宅に置くには現実的ではなかった。
それが個人でも気軽に買えるようになったのがパソコンである。マイクロコンピュータと言われる小型の集積回路がそれを実現した。パソコン黎明期の歴史に関しては、多くの文献がある。Apple, Intel, Microsoft, IBM PCの逸話には事欠かないだろう。
最初期の時代で、最も有名なコンピュータは1974年に発売されたAltair 8800であろう。
日本でのパーソナルコンピューティングの始まりは、1977年に発売されたNECのTK-80というキットだと言われている。そのあともNECが業界を牽引する状況が1990年代初頭まで続いた。いまでは信じられないが、当時のNECはハッカー思想を持つような先進企業だったのである。
老生は1978年生まれである。このころには一般消費者でも使うことができるApple IIやNEC PC-8001などの名機が生まれた。そのころの主な用途はゲーム、表計算、業務アプリ、コンピュータ学習などであった。
その当時にはマイコンBASICマガジンという雑誌があり、ゲームなどのプログラムが毎月掲載されており、それを打ち込んでゲームをプレイするのが青少年の楽しみであった。その当時プログラムを一般向けに安価に配布する手段としてはプログラムを印刷して配布するしかなかったのだ。
1985年には日本でもパソコン通信ホストであるASCII-NETが開業し、ネット時代の幕開けとなった。当時のパソコン通信は、いまのインターネットと異なり、非常にマニア色が強い場所であったが、やっていること自体はいまと変わらない。掲示板、チャット、ファイル交換といった機能が備わっていた。
この当時の日本にはパッケージソフトウェアを開発する企業も多数あり、日本でもパソコン業界は盛り上がっていた。日本のビデオゲームが世界市場を占有した時代でもあった。
日本はいまだ極めて保守的な社会であったが、パソコン業界やゲーム業界には自由な空気が溢れていた。
Windowsとインターネット
Windows 95が登場した1995年、日本でもついにマニア以外の一般人がパソコンを使う時代が到来した。それまで日本で主流であったNEC PC-9800が一気に凋落し、IBM-PC互換機が主流となった。
この時代にソフトウェア開発は複雑化・難解化し、日本のパソコン用パッケージソフトウェア業界は時代の流れについていけず、ほとんどの会社が倒産するか、業務用アプリの受託開発に流れていった。
とくにWindows用のソフトウェア開発の標準ツールであるC++とMFC/ATLは極めて難解で、多くのプログラマが脱落を余儀なくされた。
日本の長期停滞と、自由なパソコン業界の喪失があわさり、ソフトウェア業界には暗い空気が漂っていた。
その一方で、パソコン通信に代わり、インターネットが普及し、パソコンマニアではないが先進的な層はインターネットに飛びついた。
パソコン通信は、文字だけで、それも組版されていない文字の羅列(CUI)で、とっつきにくいものであったが、WWW/HTMLは組版された文字と図版によって表示され、一般人にも直感的で分かりやすいものであった。
インターネットの中でもWorld Wide Web (WWW)は、非常によくできた思想体系であり、HTMLとHTTPは極めてシンプルで分かりやすいプロトコルであった上に、UNIXとPerlなどのツールを使うことで大規模・複雑なシステムまで容易に開発することができ、爆発的に普及した。
この時代のウェブサイトは、一般の個人でも自分でHTMLを書き、なんならPerlスクリプトくらいは書いて、FTPでアップロードするという牧歌的な時代であった。
この当時は、ネットでちょっと目立ってるもの同士はすぐに知り合いになる時代であり、山形浩生のようなネット論壇が登場した時代でもあった。
インターネットは自由であり、法的にもアーキテクチャ的にも制限は非常に少なく、違法行為から反社会的行為まで、幅広く行われていた。
第一次ネットバブルが起きて、多くの新興企業が誕生し、ボロ儲けした時代でもあった。
その後、携帯電話インターネット(i-mode等)のブームが起きて、極めて多くの新興企業がボロ儲けしまくったのだが、老生は携帯インターネットには愛情をいっさい持っていなかったので割愛したい。
この時代を代表する書籍が思いつかないので、読者諸賢には情報提供をお願いしたい。
→ うちの社長が「ザ・スタートアップ ネット起業!あのバカにやらせてみよう」という本を紹介してくれた。知ってる人もでてきて面白い。
Web2.0
いまではWeb2.0という言葉を使う人もすくなくなったが、ソフトウェア業界が完全に転換する契機となった時代であると私は考えている。
それまでのWebでは、情報の作り手と受け手が比較的わかれている状態であった。Web 2.0ではブログツールのように誰でも情報を発信できるソフトウェアがどんどん登場し、インターネットは誰もが情報を発信するツールとなった。それに伴い、必要とされるソフトウェアの数や種類も爆増した。
Googleの誕生や、CGM(Consumer Generated Media)の隆盛がWeb 2.0時代を象徴していると言える。
日本では梅田望夫「ウェブ進化論」が一世を風靡し、多くのプログラマが受託開発からインターネットビジネスへと乗り出していった。このころからシリコンバレーを目指す日本のプログラマも増えだした。
これまでは、一流のプログラマであっても、受託開発などをやって、非常にストレスの多い環境で働くのが当たり前であったが、Web2.0以降は、もはやそのような環境で働くものはいなくなった。
このころ世の中ではスマホが登場し、また多くの億万長者を生んだが、老生はあいかわらずスマホに何らの愛情ももっていないので割愛したい。
SNSの興隆と自由なインターネットの終焉
Web 2.0の理想は潰えた。スパムによって潰された。
Web 2.0では、Googleのような横刺しのツールがあり、個人のブログやウェブサイトのような分散型のサイトがあるという世界であったが、スパムの爆増により、それでは品質が担保できなくなってしまった。
Googleはまともな検索結果を返さなくなり、権威性のあるサイトばかりを上位に表示する昔のYahooみたいになってしまった。個人のブログは検索結果に全く表示されなくなった。
そのためにウェブ上で表現活動をして人に読んでもらうためには、どうしても内部リンクを持つSNS的なツールに頼らざるを得なくなってしまった。
そうするとSNSの規約などによって言論の自由、表現の自由が制限される社会となってしまう。社会的な規制の強化とあわせて、もはやインターネットが自由な場所などとは到底言えなくなった。
数十年前のインターネットでは、児童ポルノが大企業や有名大学のサーバを経由してnetnewsで流れていたような時代もあったのに、いまや言論の自由の範囲内であっても企業の裁量で制限されるとは、大きく変わったものである。
そして詐欺と情報商材とインフルエンサー
現在について老生のような老いぼれが語るのは不適切かもしれないが、インターネットもつまらなくなったものだと思う。
詐欺師と情報商材屋とインフルエンサーがつまらない小銭稼ぎをして、くだらないゴシップが飛び交う場所になってしまった。要するに大衆化したのである。
この時代に最も求められる技術は、セキュリティ、詐欺対策、スパム対策、偽情報対策などになってくるのだろう。どうにも夢の無い話だ。
自由を求めた遊び半分のハッキングなど今や昔の話となり、いまのハッキングと言えば金儲けの犯罪者ばかりとなった。Bitcoinのように自由を求めた無政府主義者のプロジェクトも、単なる拝金主義者と詐欺師の道具となってしまった。
もはやインターネットの夢は終わったのか?
これからの未来はどうなるのか?
それは老生の関わることではあるまい。若者に後を託すのみである。
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