鹿と国宝が珍しくない|伊勢奈良2019 後編
正式名称「神宮」
春日大社 鹿
翌朝、ふと宿の窓から外を見ると、道路に鹿が悠々と歩いている。奈良らしい、鹿の出勤時間だ。
興福寺五重の塔の前の宿から、奈良公園に向かう道中は、奈良県庁があったりする官庁街でそれなりに大きい道もあるのだが、そこにも奈良公園の鹿がうろうろしている。
あまりにそこら中にいるので感覚が狂うが、奈良の鹿は神の使いであり、天然記念物でもある。こんなにも人と鹿が共存しているのは、奈良と厳島神社くらいのものだ。
春日大社に参拝する道にも、当然鹿がおり、観光に来たであろう欧米系ファミリーは、大はしゃぎしている。おぉ、Enjoy Japan.
春日大社の神の使いこと鹿の「神」の神社であり、当然のように国宝である。奈良の鹿との共存は昨日今日どころか、1,000年規模の関係を持つので、歴史に裏付けされた共存なのだ。
ただし、奈良の鹿の上に君臨するのは、鹿せんべいを売っているオバチャンである。
東大寺 でかい?
春日大社参拝後、同じく奈良公園内にある東大寺へ。
奈良の大仏でお馴染みの場所で、奈良時代の大仏ブームの火付け役。平安時代の平重衡と、戦国時代の松永久秀によって、それぞれ焼かれた経験があり、その都度再興されている。
そんな東大寺は、高校の修学旅行のときに訪れているはずなのだが、何をしたのかは全く覚えていない。柱の穴くぐりという、大仏の鼻の穴と同じ大きさの柱の穴をくぐるという、謎のアトラクションがあることは知っていたが、さてそれは現地で知ったことなのか、後に知ったことなのか定かではない。
奈良の大仏は高さ14.7mと、かなり大きなものである。その大きさは、牛久大仏の手の平にちょうど乗るくらいらしい。
・・・という雑学を、入場列にいるときに友人に披露したところ、
「奈良の大仏を見る前にそんなこと聞かされたら、奈良の大仏すげーじゃなくて、牛久大仏すげーと、となるだろ!」
と至極もっともなことを言われる。奈良の大仏を観るときに牛久大仏の話をしてはいけない。
依水園・吉城園・旧大乗院庭園
奈良公園で鹿まみれになった後、奈良市内にある、庭園をめぐる。京都よろしく、奈良各地に立派な庭園が多い。
・依水園
前園と後園に分かれており、それぞれ時代が異なる景観がある。前園には江戸時代の作庭で茶室が楽しめ、後園は明治時代の池泉回遊式庭園。いずれも広々とした敷地に異なった景観が楽しめるのが見どころである。
・吉城園
元は寺院があったところが、時代を経て庭園となった場所。春日山を借景とした景観と、杉苔が美しい。
・旧大乗院庭園
大乗院という寺院が平安時代に消失したが、そこにあった庭園だけ残され、戦国時代に整備されたという、数奇な歴史を持つ庭園。広々とした敷地が気持ちがいい。街中にあるが空いていたため、しばし芝生で寝っ転がることも可能。(寝っ転がった。)
近距離でこれだけの庭園をハシゴすることは稀だが、そこはさすが奈良。京都より地味と言われがちであるが、その分スタッフの人ものんびりしており、ゆったりできる場所が多かった。鹿と共存する街はダテじゃない。
興福寺 国宝
一周して戻ってきた興福寺。藤原氏の氏寺として、藤原最盛期には強大な勢力を誇った寺である。シンボルマークの五重塔のほか、中金堂、東金堂、西金堂の3つの金堂があり、いずれも国宝級の仏像が安置されている。
そして文化財が展示されている国宝館には、その名の通り、興福寺が所有する国宝・重要文化財が展示されている。
興福寺は、建造物と彫刻・工芸品を含めて27件の国宝を所有し、歴史的価値の塊のような寺。国宝のほか、重要文化財も多数あるため、重要文化財が多少出てきたところで「なんだただの重文か」と、感覚が麻痺するレベル。
国宝や重要文化財に対する知見があるあわけではないが、これだけ数で押されただけで「藤原氏ってすごかったんだな」と納得するレベルである。
長谷寺 修行
奈良市内を一通り観光した後、次の目的地は長谷寺へ。途中、今井町街並み保存地区という、伝統的な街並みの保存地区を見学した後に、桜井市の長谷寺に入る。
長谷寺は、真言宗豊山派の総本山である。僕の実家の宗派が真言宗豊山派であるため、その本家本元である。
初瀬山の山麓から中腹にかけて、境内になっているあたり、修行大好きな密教っぽくて大変よい雰囲気。そして399段の登り回廊が広がっているあたり、訪れた人にも修行の楽しさを伝えているようだ。(楽し・・・い?)
季節が合えば、牡丹が満開になるらしく、花の御寺の異名がある。「枕草子」「源氏物語」「更級日記」にも登場し、源氏物語の「二本の杉」が現存しているので、二重の意味での聖地巡礼も可能。
長谷寺の本堂自体が国宝であり、山の中腹に位置した本堂から、麓の景色が見渡せる。12月ということで寒々しい景色ではあるが、気持ちの良い空間だった。
伊賀上野城 忍者
長谷寺から山を越え、伊賀市内で宿泊。文字通りの伊賀越えである。
翌早朝、伊賀上野城へ。公園となっているので、どんなに早朝でも登城が可能。規模としてはかなり広いもので、一周するだけで1時間ほど要する。天守は模擬天守なので見どころは特になく、どちらかといえば藤堂高虎が改築した際の高石垣と堀が残っているのが特徴。
また、伊賀出身で忍者説もある松尾芭蕉を祀る俳聖殿もあるが、中に何があるのかは分からない。さすが忍者の里。
ぐるりと一周した後、歴史好き友人が言う。
「さて、もう一周するか。」
何が彼をそこまで惹きつけたのかは分からない。
なお、城の縄張りの一角に高校があり、その高校の中に当時の蔵が現存しているらしい。高校内に入ってはいなかったが、おそらく高校は忍術学園に違いない。
伊賀上野城を「二周」した後、伊賀忍者博物館へ。忍者の資料館+体験施設のようなところ。面白いのは、忍者屋敷をガイド付きで体験できるところ。マンガのようなトンデモ忍者ではなく、あくまで史実的な忍者屋敷を再現しているので、とても勉強になる。
曰く、忍者屋敷とはあくまで敵襲に備えた一般人の家でもあるとのこと。素早く逃げるためにはどうしたらよいか、当時の人たちの考えが詰まったものが、仕掛けとして形になった、というのは面白い。
忍者を体験したところで、東京へ向けて帰路につく。伊賀越えの終盤である。
伊勢から奈良の夢の2泊3日旅、国宝だらけ。
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