昭和と平安と鎌倉|遠野2019
遠野伝承園・カッパ淵 小川
早朝、友人の運転する車で、岩手県遠野へ。遠野物語のおかげで、民俗学的な文化が色濃く残る(と思われる)地域だ。この遠野、岩手県といえどなかなか距離がある。東京から向かうと、仙台でやっと半分という距離。これは民俗学も残る。
まずは遠野伝承園なる施設。こちらは、かつての農家の生活を再現し、当時の文化の体験施設。有名なところでは、家の神であるオシラ様のオシラ堂などがある。
この伝承園から歩いた場所に、遠野の目玉観光地である「カッパ淵」がある。カッパが多く住んでいたという伝説が残る場所で、カッパを祀った祠がある場所だ。
・・・ただの小川である。
申し訳程度に、釣竿に吊るされたキュウリが物悲しい。これはカッパがいても、出るに出られない。
(一応、ときどきカッパおじさんなる、カッパ釣りの伝承園のスタッフがパフォーマンスをしているようだが、、、)
遠野ふるさと村 ロケ地
カッパは見られなかったので、遠野ふるさと村という、農家の生活を再現した施設(2回目)へ。昔ながらの家を再現した野外博物館であるが、建物自体は伝承園と変わらない。ただ、広々とした敷地で、山里の雰囲気があるので、こちらの方がリアル。
この地域の農家の家は、南部曲り家というようで、長方形の母家に厩が合体することで、建物がL字形になっているのが特徴。
敷地内にこうした曲り家が点在する程度で、他に何があるというわけではないが、広々とした山里を歩くのは気持ちがいい。ちなみにここは、大河ドラマ「真田丸」のロケ地としても使われており、遠野の郷であると同時に真田の郷でもあるようだ。
台温泉 昭和の謎
この日の宿は、花巻エリア内の台温泉なる場所。花巻温泉を抜けた先にある、小さな温泉街である。いつもならもう少し交通の便がよいところに宿をとるのだが、行楽シーズンだったため、こちらに宿泊。
さてこの台温泉、昭和で時が止まったかのような場所。エリアの中に数件は新しめの宿もあるが、多くは昭和に建てられてそのまま継続しているもの。数件はすでに廃墟と化しており、時代の変わり目を見ているようだ。
そんな中、僕らが泊まった宿も、リアル昭和な宿。数十年前は流行っていたのかな、と思わせるものの、さすがに建物が古く、いろいろとメンテナンスがしきれていない様子。
そして何より、謎の間取り。
通されたのは、6畳ほどの和室で押し入れから布団を敷くタイプ。これだけなら何も疑問はないが、部屋の襖を開けるともう一部屋あり、そこには古びたダブルベッドが一台。
布団を敷くので、ベッドはいらないはずだが?と思っていた僕らだが、やがて友人曰く、
「元は連れ込み宿だったのかもしれない。」
とのこと。・・・あぁ、なるほど。
真相は謎。
毛越寺 極楽
翌朝、花巻エリアにはもう用はないとばかりに、平泉エリアへと移動。なぜ花巻に泊まった。
平泉といえば、中尊寺金色堂であるが、その他にも世界遺産に列せられたものがあり、その一つの毛越寺へ。
毛越寺は、平安時代に建立され、その後奥州藤原氏によって再興された天台宗の寺。奥州藤原氏以降、中尊寺とともに奥州のシンボル的な存在だったらしい。
そんな毛越寺、建築もさることながら、広々とした池を中心とする浄土式庭園が有名。浄土式庭園といえば、京都の平等院鳳凰堂か毛越寺か、といったところ。
東京に住んでいると、およそ訪れるのは大名庭園がほとんどなので、こうした浄土式庭園は、なかなかに新鮮。池を中心に、極楽を再現しようとするのは、当時の仏教オタク的な試みかもしれない。
厳美渓・達谷窟 荒々しい
少し時間が余ったため、厳美渓へ。およそ2kmにわたって、川の浸食によって形作られた渓谷である。
名物的なものに、川をはさんだ向かいの店から、ロープで吊るされた団子を買うことができる「かっこうだんご」がある。
景勝地として知名度はあるものの、特徴的なものがあるあわけではないため、早々に移動。
達谷窟は、毘沙門天を祀ったお堂で、坂上田村麻呂によって建てられた場所。岸壁を削った場所に建てられており、また岸壁に磨崖仏が刻まれているなど、なかなかに荒々しいお堂。さすが平安の征夷大将軍は血の気が多い。
この達谷窟も、平泉の世界遺産「浄土思想を基調とする文化的景観」の構成遺産の一つとして登録申請がされていたようだが、中尊寺、毛越寺とは違い、こちらは残念ながら延期。確かに浄土のような穏やかなものではないからな。
奥州、何かと荒々しい。
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