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共同書店の売れ筋、索引の歴史、バカの研究、コモングッド / ポッドキャスト『投資家の日常は、いとをかし。』 #26 2025年1月 後編

以下はこちらのポッドキャストのテキスト版です。

1月の前編の内容は↓↓



renny:このポッドキャストは投資がメインテーマにはなっているんですが、吉田さんのグルメの話や、読書の話をしていて、グルメの方はまだ正月休み中なんですよね。

吉田:いろいろお店を予約してるのが、この3日後ぐらいからどんどん入ってくる予定です。

renny:グルメの話は来月以降ということで、この後編ではまずは本屋さんの話から入っていきたいと思います。吉田さん、年末年始にテレビをご覧になって、本屋さんの番組を目にされた、っていうふうにお聞きしたんですけれども。

共同書店の売れ筋

吉田:正月にテレビ見ていたら、神保町の「ほんまる」という棚を貸してる本屋さん、ちょうどrennyさんがやられてるのと同じタイプの本屋さんが出てきて、どういう棚が人気かっていう話をしてたんです。著者のサインがしてある本が置いてある棚が、結構売れてるっていう話で、何でそういうことが起きるかというと、一般的な書店は本が売れなかったら返品するってことがよくあるらしくて。

renny:はい。そういう制度になってますよね。

吉田:でもそこにサインが書かれちゃうと、返品ができなくなるそうなんです。だから、もし大きな書店にサイン本は新刊本以外ありえないらしくて。だから発売してからだいぶ経った本がサイン本として置かれていたら、そこに行かないと買えない本になるから、そういう棚の本が結構売れてるっていう話でした。

renny:そうなんですよね。僕も本当に初期の頃は一部の本に著者のサイン入りっていうのを置いてたんです。でも著者の方にどこでサインもらうか問題がありまして、僕がやってる神保町の本屋さんは、取次のところに本屋さんの方が注文してくれて納品される形になってるんで、僕の手元を通らないんです。そうすると、著者の方にサインをもらうには現地に来ていただかないといけない。初期の頃はなぜできたかっていうと、僕が自分で仕入れたから手元に一旦、本が来てたんですよね。それで著者の方にお目にかかるときにサインをいただけたのですが。ただ今回、吉田さんのお話をお聞きして、なにかやりようがないか考えています。たとえば神保町のお店の場合は、1日店長をできる仕組みがあるので、そのときに著者の方に来ていただいて、サイン会をやったらいいのかなと思ってます。そういうふうな特典をつけないと、本屋さんで本を買う理由がないと思うんで、どうやっていくか、いろいろ考えてますね。他にもテレビで紹介されていた、本屋さんで売れる本で特徴あるようなものってありましたか?

吉田:もう一つは結構特殊で、イラストレーターさんが自費出版した本と、そのイラストレーターさん挿絵を書かれた小説を置いてある本棚が結構売れてるって話でした。

renny:それもやっぱりそこでしか買えない本って感じですよね。

吉田:自費出版は普通の書店では見つからないですもんね。

renny:僕も先月のポッドキャストで少しお話ししましたが、僕の方でも自費出版の本の売れ行きがいいんですよね。ネットでも売られてたりはするんで、本当に好きな人だったらネット通販で買われると思いますが、実際に手に取ってみたいと思われたりする方が買ってくださるのかなと思ったりします。そこでしか買えない本屋さんならではの物が大事なのかな。今年もいろいろ考えていかなきゃいけないなと思っているところです。吉田さんもそういう本屋さんをやってみれたらどうですか?

吉田:家から近かったらやってみたいけど。(神保町は遠い…)

renny:そうですよね。儲けを出そうと思ったら全然儲からない、というのは先月のポッドキャストでも話しましたけど、本屋をやることの面白さというか興味深さ、それこそ「をかし」なので、僕も店長みたいなシステムってまだ使ったことないですし、そういうのをやってみたら、また違ってくるのかなと思ってます。神保町にお越しになったときは、ぜひどんなところかご覧になってみてはいかがでしょうか。

renny:ということで本屋さんのお話をしてみたわけですけれども、実際の本のお話、ここ最近読まれた本を、吉田さんがブログでいくつかご紹介されてたと思うんですけれども。

デニス・ダンカン「索引の歴史」

吉田:最近読んだ中で一番興味深いなって思ったのは、デニス・ダンカンさん「索引の歴史」。あの本の後ろによく就いている辞書みたいなページの歴史です。索引っていうものができたのは、1230年のことらしいんです。

renny:1230年ですか。相当昔ですね。800年ぐらい前。

吉田:聖書につけた索引が最初らしいです。

renny:聖書って索引がついてるんですか。ホテルとかに置いてあるのを見たことありますが、大体開いたことないんで。

吉田:私も分からないんですが、特徴的な索引としては、信者からこういう質問が来たらこのページを見る、とすぐに参照できるように、そこを開いてすぐに話したりできるようにっていうのが最初の形だったらしいです。

renny:ユーザーインターフェースが整っていたんですね。それが索引の歴史の始まりで、そこからどういうふうに発展していったのですか?

吉田:その後は聖書とかで個人的な参照用にしか使われなかったんですけど、それが200年ぐらい経って13世紀になると、印刷術のグーテンベルクの時代がやってきて、印刷が普及すると、本にページ数が振られるようになるんです。それ以前は全部写本だったので、人それぞれ文字の大きさが違うと同じ内容の本でも、ページ数が微妙に異なるので、索引が広まらなかったんです。でも印刷されたページ番号を振られた本に作品をつける、って形で広まっていったそうなんです。

renny:印刷術がきっかけで索引が広まったんですね。

吉田:あとは印刷された本が大量に出回り始めて、手に入れることができる情報の量が爆発的に広がった時代でもあるので、どんな内容が書いてあるか手っ取り早く理解するために索引がすごく重宝された時代でもあったんですよ。

renny:どんなことが書いてあるのかを知るために、最初のページからじゃなくて索引から見るみたいなことがあったってことなんすかね。

吉田:そうですね。この本を読んでいると、この本を読んでると、索引の内容も今の用語とページ数という形ではなくて、詳細な目次に近いような形で、それを読むだけでどんなことが書いてある本がわかるみたいイメージですね。

renny:今風に言うとChatGPTとかに要約させたようなものが、そこに載っていたんですね。

吉田:なので、そうすると索引頼りの本との向き合い方を批判する有識者みたいのが現れ始めるんですよ。

renny:もしかしたらChatGPTに対する批判にも近いのかもしれない。

吉田:まったく一緒なんですよ。Googleが出てきたときも言われたし、このAIのときも言われたことが、16世紀の索引に対する批判と全く同じなんです。索引を頼りに欲しい情報だけ抽出して読んで手っ取り早く知識を得ることは正しいのか?とか、長時間かけて本と向き合うための集中力がなくなっちゃうんじゃないか?とか、何か疑問を持ったらまず索引を調べるみたいなことでいいのか?というように。すべて索引をAIやGoogleに置き換えられるような議論が、500年ぐらい前から同じことを言っている。だから人間の知性や知恵に影響されるようなものが出てくると、全く同じ議論を始めるんだな、っていうのが面白かったですね。

renny:今お聞きして、それに近いことなのかなと思ったのは、影山知明さんの「大きなシステムと小さなファンタジー」。西国分寺でクルミドコーヒーという喫茶店の店主の方が12月に出版された本なんですが、その中でプロセスパラダイムとリザルトパラダイムという対になる概念みたいなものが示されています。要はリザルトに対してどう向き合っていくというか、結果を目指していろんなものをやっていく、それと反対側の概念としてプロセス、過程を大事にしようという考え方が示されているんです。索引は結果へグワッと寄っていって、全体を読まなきゃ意味ないよねっていうのがプロセスなのかな。同じようなことは、もういたるところで起きてるのかもって気がしました。

吉田:なるほど。

renny:でもどっちがいい悪いというものでもなく、要は塩梅、バランスなんですよね。索引や要約だけ見て、読んだ気にならなきゃいけないところもあるし、一方でそれをやってしまうと身に付かないところもありますし。ちょっと話が飛んじゃうんですけど、ChatGPT、AIがこれだけ強くなって、大学に問わず高校ぐらい教育の現場でかなり難しいことになっているそうなんですよね。レポート等を書くのが、もはや自分で書くのが馬鹿らしくなる感じで、危機感をお持ちになってるみたいなことが、大学の先生のTwitterか何か見ましてね。そのあたりの議論も元をたどると、索引と似たような似たようなところに行き着くんじゃないかと思います。要は索引だけ抽出したらレポート書けちゃいますみたいな。

吉田:そうですね。索引よりもっと昔には、文字について古代ギリシアで議論になってたりするんですよ。人が文字を扱うようになって、記憶力がなくなったんじゃないかとか。

renny:またあっちこっち飛んじゃいますが、先月のポッドキャストで2024年の一番のおすすめの本ってご紹介してくださった、本村凌二「教養としての世界史の読み方」ありましたよね。僕も読ませていただいて、その中で、一つだけおやおやって思った話が、昔の人間は神の声が聞こえたという話が出てきて、若干オカルトティックに感じたんですが、でも今のお話を当てはめてみると、文字が出てきたのと関係があるんじゃないかと思ったんですが。

吉田:ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」の話ですね。昔は人の右脳と左脳がくっついてなくて、それぞれわかれてたんじゃないか、右脳に「神」が宿り、左脳である「人間」に語りかけていたのでは?その後、右脳と左脳が繋がることによって神の声が聞こえなくなっていたんじゃないか?みたいな仮説なんですよね。そこに文字の獲得が関わっているのかもしれない。

renny:それが考古学や解剖学で証明されたら、かなりの大発見かもしれないですね。

吉田:そうですね。神の起源みたいなのが分かるのかもしれない。

renny:この他に面白かった本として「バカの研究」をあげられてましたよね。あれをブログで拝読してなかなか面白かったなと思ったんですけど、あの内容は見つけた人から何かお叱りを食らいそうな心配もありますが…

ジャン=フランソワ・マルミオン「バカの研究」

吉田:ジャン=フランソワ・マルミオンの「バカの研究」ですね。刺激的なタイトルですけど、行動経済学に近い内容で科学者たちがバカとは何か?議論している本です。結局、バカって何なんだろうって定義したら、バイアスがかかりすぎちゃった人。

renny:でも逆にバイアスがかかりすぎちゃってるからこそ、すごいものを生み出すとかってこともあるのかな、と思ったりもしたんですよね。なんか「バカになれ!」「バカになるぐらい突き詰めろ!」みたいな精神論もありますよね。

吉田:実際この本ではスティーブ・ジョブズの例が紹介されていました。iPhoneとかすごいものを発明したけど、自分自身が病気になったときに、現代医療を信じないで変な方向に突き進んじゃった結果、短命になってしまったという話。バカと天才は紙一重。(※スティーブ・ジョブズは、後に彼を死に至らしめる膵臓がんが最初に発見された時、担当医師が手術で完治可能な奇跡的な事例と歓喜したが、本人は手術を拒否、1年後には手の施しのないまで、がんが進行していた。)

renny:バカという言い方じゃなくて「パラノイアだけが生き残る」ってことを言った人がいたような。そこで紹介されていたのがスティーブ・ジョブズだった記憶があるんです。でもこれも加減の問題なのかなとは思うんすけどね。

吉田:そうですね。

renny:「バカの研究」を読まれて、こういう馬鹿になっちゃまずいな、と思われるところはありましたか?

吉田:なぜバカになっちゃうのかというと、周りの状況を自分でコントロールしたいっていう欲望からおかしなことを始めるっていうは話があって、この辺は投資と関係あるかな。自分に有利な情報しか取り込まなくなっていって損をする、っていうのは、ありがちな展開なので。

renny:たしかにありますよね。バイアスがきつくかかってしまうと、環境の変化に対して意固地になるというか、前提条件が変わってきつつあるのに、吉田さんがおっしゃったようなことで、その環境の変化に順応できなくなっちゃう。

吉田:だからこの本は投資家におすすめの本じゃないかな。おかしなことに囚われて損しないため、自分自身がバカにならないように、周囲の馬鹿に巻き込まれないように、そういうのって、投資で成功するために必要だなと思うので。

renny:難しいところではありますけどね。ただ周りがどうこうというのに左右されると、そういう風なことに陥ってしまうようなところもあると思いますし、どこに基準点を置くのかって難しいと思うんです。でもやっぱり、あるタイミングで群集心理みたいな、表現を選ばずに言うと、世の中全体がバカになっちゃうことが、ある種のバブルだと思いますし、その反対に総悲観、金融危機みたいなものもそうですよね。自分の目や感覚をどこまで信頼できるのか、そういうのを考えていくと、吉田さんの過去の読書の話から出てきた、将棋の羽生さんとか勝負事の人たちの話が出てくるのかな、と思ったりしますが。

吉田:確かにそうですね。その手の本が多くなりますね。最終的にどう判断するか、やっぱり最後は1人で決めないといけないので、将棋の羽生さんとか、先月紹介したチェスのカスパロフさんとか、麻雀の方の本(桜井章一「努力しない生き方」)も良かったな。

renny:やっぱりそういう意味で、1人で決めるような部分の鍛錬や経験がある方が強かったりするのかもしれない。でも羽生さんにしても、麻雀のプロの人にしても、チェスの人にしても、プロとしてやられてるんで、そういう場に立つことは一般的には無理だと思うし、その辺の難しさはありますよね。普通の人がそういう経験を積むにはどういうことをやればいいのかな、やっぱり普段の仕事を一生懸命やるってことなんですかね。

吉田:私はあまり仕事をしてこなかったんで分からないですが、自分の場合は投資をしてきて、リーマン・ショックとかああいうタイミングで鍛えてもらってきたっていう感じですね。

renny:そうか。相場とかそういうようなところに身を置くことで鍛えられるというか、自分なりの決断を試されるっていうようなことがあったっていうことになるんでしょうね。あともう1冊、行きましょうか。

ロバート・ライシュ「コモングッド」

吉田:次はロバート・ライシュ「コモングッド」。これまでに5冊ぐらい出てるのかな。そして翻訳してくれる方も、割と毎回一緒なんじゃないかな。「コモングッド」を日本語にするのは難しいらしくて、翻訳者も迷ったとあとがきに書かれてました。文脈によって「共益」「公共善」「良識」など、どれにも当てはまる概念とのことです。

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renny:なるほど、日本語にはない概念みたいなところがあるっていうことなんですかね。

吉田:著者が定義して書いてある箇所を読み上げると、

「コモングッド」とは、同じ社会の一員として連帯する市民が、互いにどんな義務を負っているかを示す共有価値である。それは、私たちが自発的にそれに従おうとするような規範であり、また、私たちが成就させたいと願う理想でもある。

renny:具体的にはどういうものがそれに当たるのですか。

吉田:暗黙の了解がイメージに近いのかな。でも20世紀後半ぐらいからアメリカでは失われていってしまって。手段を選ばないで勝とうとする政治家、手段を選ばないで利益を最大化しようとする企業の人、経済を不正操作する人が出てきて、コモングッドがアメリカで衰退していったことが書かれています。その手段を選ばず利益を最大化するっていう中で批判されてるうちの1人に、ゼネラル・エレクトリックのCEOだったジャック・ウェルチさんとか出てくるんです。昔は名経営者として名高い人だったんだけれども、時代が変わって評価がガラッと変わったのが興味深い。

renny:やっぱりすべての歴史は現代史なんですね。

吉田:そうですね。あの人は株主とか時価総額のことしか考えずに、従業員をどんどん切っていった人だ、みたいな形で、今は批判されてるんですよね。

renny:そういう意味では、さっき出てきたスティーブ・ジョブズもそうかもしれませんし、もしかしたらバフェットさんも、後世ではとんでもないやつだ、って言われる可能性がもしかしたらあるかもしれない。

吉田:わからないものですよね。

renny:だからコモングッドみたいなものが、普遍的なものなのか、環境によって変わっていくものなのか。でもやっぱり普遍的なものがあったりするんじゃないかな。それを探ることが古典を読むことに繋がったりするのかなと思うんですけど。

吉田:そうですね。本当に昔からある考え方なのか、今ポッと出てきたものなのか見極めるために、古典を読むっていうのはあると思います。

renny:さっきの「索引の歴史」の話で、要は新しいテクノロジーが出てきたときに、同じような議論をしているような普遍的なところもあって、そういうのは古典を読むとなるほどな、みたいなところはきっとあるんでしょうね。

吉田:そうですね。その時に批判されればされるほど、ちゃんと後世まで残るものになる、みたいなところがあったりしますね。

renny:そういう意味では批判されるっていうのを恐れない、その勇気も必要なのかもしれない。そういうふうに本を読むことで、新しい発見というか気付きがいろいろあるんですね。

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