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湖里庵、鮒寿し、教養としての世界史の読み方 / ポッドキャスト『投資家の日常は、いとをかし。』 #20 2024年10月 後編

以下はこちらのポッドキャストのテキスト版です。

前編はこちら



renny:前編ではノーベル賞をテーマにお話してきました。ここからは投資に繋がってるところほとんどないかなとは思うんですが、グルメの話といいますか、吉田さん、ご旅行に行かれてたんですよね。

吉田:ちょうど9月のポッドキャストの収録をした後、9月下旬に滋賀の琵琶湖の方へ行ってきました。

renny:以前のポッドキャストでもお話させていただいたと思うんですが、安土城のあったところとかに行くとかってお聞きしてたような記憶があります。

吉田:安土城に行こうと思ったんですけど、なんかすごく暑くて、これは無理だと安土城は断念したんですよ。

renny:あのタイミングって関西でも結構暑かったですよね。

吉田:9月下旬なのに32度とかで、とても山城を攻略できる状況ではなかったですね。

renny:安土城には立ち寄らず、どのような場所に行かれたのですか?

鮒寿し懐石の宿「湖里庵」

吉田:今回一番良かったのが、琵琶湖の北西、高島市の北の方、山を越えたら福井県みたいな位置にある、湖里庵っていう宿に泊まったのがすごく良かったんです。

renny:なるほどだいぶ奥地っていうか、僕も全く土地勘ないからあれなんですけど、結構な田舎じゃないですか。

吉田:滋賀県は北の方は田舎ですね。南は大津とかがあって都市なんですけれども。

renny:北に上がっていけばいくほど、言い方は悪いんですけど田舎感が高まっていく印象があるんですけれども、その宿があるあたりもそういう感じなんですか。

吉田:そうですね。でも昔はだいぶ栄えてた場所で、江戸時代、明治時代ぐらいまでかな、たとえば北海道から昆布を京都に運ぶにあたって、船で福井県の敦賀の辺りまで来て、山を1つ越えてちょうどその湖里庵がある街まで来て、そこからは陸路ではなく、琵琶湖で船に積んで南へ運んで京都へ、そんないろいろな物資の通り道だったんです。

renny:そういうふうな運び方してたんですね。福井で下して京都に近いところ南の方に持っていくような中継地点がその湖里庵のある土地ですか。

吉田:そうですね。ちょうど宿から昔の港の残骸みたいな遺構が見えたりする場所でした。

renny:その港っていうのは琵琶湖の港っていうことですか。

吉田:昔の琵琶湖にはたくさん港があったんです。陸路で運ぶより、琵琶湖で船に乗せちゃった方が全然早くて楽だから。

renny:うん。そういうことだったんですね。そのお宿はどういうところが良かったんですか。

吉田:ここは江戸時代から続いてる鮒寿し屋さんが営む宿なんです。

renny:鮒寿し、吉田さんお得意なんですか。

吉田:得意とかではなく、滋賀に行ったときにしか食べれない珍味という認識です。

renny:食べるということは結構お好みっていう感じなんですか。

吉田:美味しかったですよ。前に滋賀を訪れた時、琵琶湖の北側にある余呉湖のほとりにある「徳山鮓」ってところで、初めて鮒寿しを食べて、こりゃ面白い食べ物だなって思ってて、別のところでも食べてみたいな、っていうことで、今回は湖里庵を選んだんです。

renny:そうなんですね。僕は関西出身だけど、鮒寿しは食べたことないかもしれないっすね。

吉田:宿で鮒寿しに関するお話をいろいろ伺えて面白かったです。作る蔵によって全然味が変わるものらしくて。

renny:それはどうして違ってくるんですかね。

吉田:それぞれの蔵に棲みついた乳酸菌と、作る人にくっついている常在菌が合わさって、味が決まるものらしいんですよ。

renny:でもその蔵によって菌が違うというのは、何となく日本酒でも似たようなことを聞いたことがあるかも。だからその発酵食品にある独特のそういうものなのかもしれないですよね。

吉田:そうですね。鮒寿しが特に何か変わってるなと思ったのは、蔵に入れるのは当主1人だけらしいんですよ。違う人の菌が混ざっちゃうと味がおかしくなっちゃうから、1人しか蔵に入れない。

renny:それは当然手作りというか、機械化していない状態なんでしょうね。あの地域では皆さん鮒寿しを作られてる感じなんですかね。

吉田:その宿に地域に関係する本がいっぱいあって。それ読み漁って、帰ってきてからも図書館で借りて読んだんですけど、以前は琵琶湖の周りに、ちっちゃい湖、湿地帯みたいなのがたくさんあったらしいんですね。そこでフナがたくさん捕れたらしいんです。とても食べ切れない量だったから、たとえば夏に野菜がいっぱい収穫できて、食べきれないから漬物にしたっていうのと同じ感覚で、フナで保存食を作ろうという流れで、琵琶湖の周りで広まった食べ物らしいんです。

renny:ということは鮒寿しにする前のフナも結構食用として食べてたってことですかね。

吉田:そうですね。でも戦後にその湿地帯を埋め立ててしまったことで、だんだんフナがとれなくなっちゃってきて、今はとんでもない値段になり、一般家庭でつくる文化はなくなったようです。

renny:養殖するの難しいんですかね。

吉田:そうみたいですね。養殖するはやっぱり高くてよく売れる魚が中心なんですよね。だから地域限定で食べてたフナをわざわざ養殖はしないかな。

renny:フナが減っていく中で、鮒寿しはフナがいなけりゃ作れないと思いますし、だからそこの部分が制約要因になって、鮒寿し文化が危機になっていく情勢にあるのかなと思ったりもするんですけれども。

吉田:完全に危機ですね。

renny:お宿で召し上がった鮒寿しってやっぱり全然違うというか、さっきおっしゃってたように蔵によって何か出来具合が違うっていうのは、なるほどその通りだなってお感じになるものだったんですか。

吉田:鮒寿しを食べたのが2回目なんでなんとも言えないですが、湖里庵は料理の仕方がうまいなと感じました。発酵食品だから、チーズと同じような位置づけだよね、と捉えてパスタに調理していたのは驚きでした。すごい発想だしちゃんと合ってるし、あれは驚きでしたね。

renny:パスタ。それは一体どういう感じなのですか。

吉田:鮒寿しはフナと一緒にお米を漬けるんですけど、そのお米が発酵してチーズみたいな風味になるから、そのお米をクリーム状にしてパスタに絡めているんです。クリームパスタみたいな感じになってるんですよ。

renny:へえー、ちょっと想像がつかないです。

吉田:やっぱり旅先でしか食べられない料理が食べれる、ってすごい嬉しいなと思って。滋賀県の宿はやたら近江牛を推しがちなんですけど、そうじゃなくて地元に根ざしたちょっと珍しい料理を食べたいなっていうのがあって、湖里庵はそういう願いを叶えてくれる場所だったんですよね。そうだ、もうひとつ地元でしか食べれない食材だと、琵琶湖の鮎をいただいたんですけれども、普通の鮎とまるで違う味わいだったんです。普通の鮎は川に住んでいて苔を食べて育つんですけど、琵琶湖には苔がないから動物性のプランクトンを食べて育ってるそうなんです。

renny:へえ、植生が全然違うんですね。動物性を食べてると、なんかイメージとしては少し脂がのってるのかなと思うんですけど。

吉田:そんな感じですね。ちょっと脂が乗って、食べ応えがあるような。普通の鮎はなんとなく内臓を楽しむみたいなところがあるんですけど、琵琶湖の鮎はお魚を普通に食べるみたいな感じです。

renny:それは興味深いですね。でも琵琶湖の鮎もまた、これ結構希少な食材なんじゃないですか。

吉田:希少食材のはずです。

renny:そうですよね。それこそそこに行かないと食べれない食材でしょうし、その地域以外で流通することはないんだろうな。滋賀県、琵琶湖でしか食べれないものがあるっていうのが鮒寿しであり、宿は湖里庵っていうことなんですね。

吉田:滋賀県の鮒寿し系だと湖里庵と徳山鮓がオススメです。

本村凌二「教養としての世界史の読み方」

renny:続いてグルメというと食欲の秋ですけど、秋といえば読書の秋でもありまして、読書のお話もお聞きしたいなと思います。今月、ご紹介していただける本は、どんなものになりますでしょうか?

吉田:これは何年前に出た本なんですけど、私が最初に読んだのは2018年で、本村凌二さんの「教養としての世界史の読み方」。文庫版が発売されていたんです。以前は電子書籍で読んでたんで、この機会にもう一度読もうと思ったんです。

renny:最初は2016年に出てるみたいですね。最近、文庫版が出たんですか。

吉田:今年の春ぐらいに出てたのかな。

renny:なるほど、これがおすすめの1冊ですね。

吉田:そうです。最近新しく発売される「◯◯の教養」ってタイトルについてる本に、いい本ないんですよ。著者はそんな想い書いてないのに、出版社がマーケティングのために「教養」と強調してしまって、なんだこれは?みたいな本が新刊本にあふれているんですよね。だから読書好きの方から見向きもされない可能性があるんですけど、この本はいい本なんです!っていうことをまず強調したいんです。

renny:なるほど。具体的にどういうところが正しく教養に繋がるかなって感じられたんですか。

吉田:最初に読んだとき一番心に残ったのが、「すべての歴史は現代史である」っていう話で。歴史っていうのはそれに触れた人の生きる時代の背景だとか、その人の経験のフィルターを通して読み解かれるものだから、必ず現代史になるものなんだっていう話が書かれていたんです。これを2018年に読んで、なるほどと思った後に、2020年にコロナの話がやってきた時、これを実感する話に出会ったんです。

吉田:奈良の平城京から出土する食器の大きさについてなんですけど、平城京の初期の頃は大きな食器がいっぱい出土していて、後半になってくると、小型のお皿とかお椀がいっぱい出土していて、研究者の方もなんでなのかなとか深く考えずに通り過ぎてたらしいんです。でも、いざコロナの真っ只中に置かれた時、これは感染予防のために、大皿に料理を盛っていたものが、感染症対策で1人1人小皿に料理を盛るようになったんじゃないか?と初めて気がついたっていう話を聞いたんです。そのときにまた本村さんの本の話を思い出して、現在起こったことによって、過去の認識が変わるみたいな、見慣れたものがいつもと違って見えたりするっていう、これは投資とも関係ありそうで、物事の見方が広がった一冊です。

renny:そうですね。投資信託でも投資先の会社が大きく変わったりするようなことがあったりするわけですよね。ガラッと入れ替わってるのは何がそうさせたのか、と考えることは、結構あるんですけど。さっき平城京の食器の話なんかもそういう背景があって、外的な環境が変わったことが影響していると思うんですけれども、そういうようなことを考える訓練のようなことになるかもしれない。この本のソフトカバーの紹介には「歴史を学ぶことは過去と現在との関わり合いを知るということ」って書かれてるんで、そういうことなんですよね。

吉田:そうですね。

renny:最近文庫版が出たということで、僕も興味があるし、読んでみたいなと思っております。ただAmazonのページ見てると、よく一緒に購入されてる商品として、「教養としてのローマ史の読み方」をはじめ、教養ってタイトルの本がやたら出てきますね。

吉田:そうですね。たぶん2010年代半ばに池上彰さんとか、出口史朗さんだったかな。

renny:ライフネットの出口さん。

吉田:あのお二方が「教養」や「リベラルアーツ」ってよく言ってたのをきっかけに、教養って名前をのついた本が出だして、この「教養としての世界史の読み方」はその初期の頃の本ですね。

renny:そういうことなんですね。ちょっとこちらの方ぜひ、ちょっと興味ある方は手に取ってみてはいかがでしょうか。あともう1冊いかがですか。

小林俊之「地力をつける 微分と積分」。東大の人気講義が書籍化!

吉田:小林俊之さんの「微分と積分」。私が今、大苦戦している一冊です。

renny:なぜ苦しまれてるんですか。

吉田:内容が難しくて全然読み進められない。。。

renny:事前にインプットしていただいたお話だと、東大の文系学生さんが受けられてる講義を本にされたっていうふうにお聞きしてるんですけれども。

吉田:そうですね。教室で立ち見が出るほどの人気講義らしくて。

renny:微分と積分はどの辺がその難しさの要因にあるんですか。

吉田:なんでしょうね。高校時代に数学をちゃんとやらなかったから、訳がわかんなくなってしまったんですよね。何回も戻って読み直さないと、途中で記号の意味がわかんなくなっちゃうんですよ。

renny:そもそも微分と積分に興味をお持ちになったというかそういうそういう本読まれようと思ったそもそものきっかけって何なんですか。

吉田:文系の向けの講義なら自分にも分かるだろうと思ったのですが…

renny:蓋を開けてみたらかなり難しいっていうような。

吉田:そうですね。まだ半分ぐらいしか進んでないかな。

renny:いや僕自身、微分も積分もうもう本当必要最低限のことしかやってなくて、大学入ってから数学は一切触れずに卒業したんで、全くわからないと思うんですけれど。ただ、微分と積分って最近投資とかあるいは生き方とまで言ったらちょっと話が大きくなりすぎなんですけど、微分的なのか積分的なのかみたいな話がちょくちょく出てくるような感じしています。微分は変化がどれぐらいかっていうような感じで、ちょっと誤解を恐れずに言うとやや短期思考というか、一方で積分は文字通りある程度の積み重ねみたいなところがあるんで、それなりに時間軸が長いようなものが積分なのかな、という捉え方をしています。今読まれてる本は微分と積分の違いみたいなことっていうのはどういうふうに書かれているんですか。

吉田:まだ微分しか読めてなくて、積分にたどり着いていません。ただただ理系に進まなかったことを後悔させられてばかりです。

renny:そういうのをお読みになってるっていうことは、理系に進んでいればと想像されたりしてるわけですか。

吉田:当時すごく迷った末に文系を選んだんですよ。数学が苦手だったわけではなかったので。それだけにちょっと後悔があり、もう1回数学に挑戦しようとかっていう気持ちがあるのかな。

renny:僕は数学から早く離れたいと思ってたか学生だったんで、何の迷いもなく文系に進んだので、そこは全然違いますね。この本を通り過ぎた後には、何か次の展開がもしかしたらあるかもしれないっていう感じですか。

吉田:そうでしょうね。だって東大の頭のいい人たちが、これはすごい!と思って講義に殺到しているんだから、これがちゃんと理解できたら、新しい世界が開けるんじゃないかと。

renny:そういう新しいチャレンジをされるっていうのは本当にすごいなと思います。ちょっと次回のポッドキャストでどうでしたか?ってまたお聞きするかもしれない。

吉田:ひぇー、やめてー。


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