195回 Kick the can
缶切りを使って缶を開けたことがある人は、おそらく昭和生まれだろう。
缶切り自体見たことがないという若者は多いに違いない。現在流通している缶詰は殆どプルトップ式になっているので、何も専用の道具がなくても簡単に開けられるから便利だ。
道具というのは使うのにコツがいるため、缶切りも初めて持たされたら何をどうすればいいかわからない可能性がある。私なんぞ幼い頃、母親に缶切りを使った缶詰の開け方を特訓されたぞ。
そもそも缶詰自体、レトルトなど様々な保存食品が出ている今では、存在感が薄い。せいぜい家にあるのはツナ缶だけ、ということもあり得る。
缶詰というのは保存食品だ。昔は食べ物を長期に貯蔵するためには、塩蔵か燻製か酢漬けというくらいしかなく、不味かったり腐敗したりすることも多かった。なんとか栄養豊富で新鮮、しかも美味しい食料を大量に確保することはできないかと考えたのが、かのナポレオン・ボナパルトである。
戦争に於いて兵士たちの士気を維持し高めるのに必須なのは、なんといっても「兵站」、つまり食事である。その当時はビタミン不足による壊血病の被害も深刻であった。
そこでナポレオンは、現在の金額に換算すると1200万円になる懸賞をつけて、優れた保存食のアイデアを募集した。優勝したのが、ニコラ・アベールが発明した瓶詰めである。真空にして詰めた食品を加熱殺菌すれば長期保存ができるという缶詰の基本原理が、1804年にアベールによって発明されたのだ。
ただ瓶詰めは重くて割れやすい。そのため1810年にイギリスのピーター・デュランドが、金属製容器に食品を入れる缶詰を開発した。これで食品の長期保存と携帯という問題が解決できたのだが、当時はまだ殺菌や密閉の方法に問題があったため、中身が発酵や腐敗で膨らみ爆発するといった事故もしばしば起こっていたようである。
缶詰はその後軍隊や船員などに広く普及していく。
その頃の缶詰の開け方は、ノミとハンマーで叩き割ったり、銃剣でこじ開けたり、なんと銃で撃ったりと、かなりワイルドである。これでは缶詰が粉々に飛び散ってしまい、中身が果たして残っているのだろうかと心配になる。
現在も使われているようなテコ式の缶切りが登場したのは、缶詰が発明されてから50年も経ってからであった。
1959年にアメリカのエーマル・フレイズが、缶切りを使わない「イージーオープンエンド(EOE)」という方式(日本ではプルトップ式とも言われる)を発明する。ピクニックに缶切りを持って行くのを忘れて缶ビールが開けられなかったことがきっかけと言うから、さぞかし悔しかったのだろう。
早くも1965年には日本でもプルタブ式のEOEが導入されているが、これも最初はビール缶だったというから、いかにみんなビールを簡単に飲みたかったかがよくわかる。
EOEのうち、缶蓋の一部が開口するものをパーシャルオープンエンド(POE)と呼び、方式としてはプルタブ式が主流であった。
しかしこのプルタブが缶本体から切り離されることから、ポイ捨てされたものを知らずに触って怪我をしたり、鳥や動物が飲み込むなど環境問題となったりしたため、1980年代には缶から分離しないステイオンタブ方式に殆ど切り替わっている。
EOEの中で蓋全体が開口するものを、フルオープンエンド(FOE)と呼ぶ。「パッ缶」などと呼ばれることも多く、お馴染みのツナ缶などはこの方式だ。
猫用の缶詰にも多く用いられているが、これには苦い思い出がある。大学生当時、大学校内には野良猫が何匹も棲みついていた。その中で顔見知りの猫がお腹を空かせていたので、急いでコンビニで猫缶を買って開けようとしたところ、いくら引っ張っても開かず、ついにはタブが取れてしまったのだ。
もちろん缶切りなどは持ってはいない。期待している猫に申し訳なく、もう一度コンビニに走りもう1缶買ってきたときには、すでに猫はどこかに行ってしまっていた。返す返すも気の毒なことをしたと悔やまれる。
缶詰の中でも、フルーツ缶に関しては特別な思い出のある人も多いに違いない。これも昭和のよくある話であるが、子供の頃熱を出すと桃缶を買ってきて食べさせてもらえたなどなど。
いまでこそ物流の速さ/早さは凄まじく、「朝採り○○」といった新鮮な野菜や果物が簡単に手に入るが、昔は日持ちがしにくい果物を美味しい状態で手に入れるのは難しかった。中でもパイナップルは収穫後は早めに食べるに限るため、保存に適さない。
1935年日中戦争が近づく中、台湾から石垣島に集団移住をしてきたパイナップル生産農家の人たちがもととなって工場を設立。1938年にはじめて国産のパイナップルの缶詰第1号である500ケースを出荷した。
いまでは台湾産の新鮮なパイナップルも普通に手に入るが、あの甘いシロップに漬けられたパイン缶が懐かしい人もいるだろう。
ちなみにミカンの缶詰は1877年海外輸出用商品として開発された。当初はミカンの外皮が付いたままというから、それは人気がなかった。その後も外皮は剥いたが内皮(薄皮)は付いたままだったので、食べにくく渋みもあった。そのため手作業で内皮を剥いていた時期もあるそうだ。
それが温めながら酸とアルカリの水溶液に順に漬けて内皮を分解し、その後水で洗うと簡単に取れる方法が開発されたことで処理の効率が一気に上がり、大量生産が可能になった。美味しいミカン缶は世界中で人気となり、1939年には年間131万缶ものミカン缶が輸出されたという。
いまでは缶詰は災害時の保存食品としても見直されている。
パンの缶詰といったものから、お惣菜やおつまみといったものまで、種類も豊富だ。長期保存が可能な上に、温めなくてもそのまま食べられる缶詰は、確かに便利この上ない。
あらためて、いろいろ常備しておかなければと思ったことである。
登場した缶詰:桃缶
→かつて桃缶といえば黄桃であった。白桃は当時の技術では缶詰にするのが難しかったのだ。黄桃自体もともと缶詰専用だったらしいが、いまでは生食で美味しい黄桃の種類も沢山出ている。
今回のBGM:「Pineapple」by 松田聖子
→「パイナップル・アイランド」は、幻想の中にしかない理想の南国だな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?